【闇光る】


 あの戦いから、はや数年経つ。マトリクサーと人間が作る共存村は、小規模ながら拡大の様相を見せ始めていた。しかし問題が無いわけではない。人間とマトリクサー、馴染めぬ両者が自分の種族だけの街を作り、何事かあれば一戦交える事も辞さないという土地もある。マトリクサーが席巻する世界に不安を抱き、冷凍睡眠から目覚める事すら拒否した人間もいる。そもそも支配者と被支配者である両者が、何の違和感も不満も無く融合するのは稀有な事と言っていい。憎悪に近い嫌悪、深く根付いた敵対心、己の意にならぬものに対する不信感……両種族に刻まれた拭いようのない傷跡だ。
 しかし共存村では次第に人が、マトリクサーが集まり始めていた。そこに集まる者は理念も思想も種族もてんでばらばらだったが、ある種の活気があった。人が集まれば軋轢と摩擦を生じる。大きな揉め事が起こったのも、一度や二度ではない。しかしお互いを理解しようという共存村の理念は、人間にもマトリクサーにも次第に根付き始めているようだった。


 新たに作られた共存村での仕事を終え、マシュラとヤクモは小さな渓流沿いを歩いていた。村に繋がるこの渓流が住む人々の生活を支えている。三百年前マトリクサーによって徹底的に破壊された、その地がここだ。それが今では見違えるように豊かになりつつある。きっといい村になるだろう。
 村をあとにして、マシュラとヤクモは旅路を急ぐ。
「ヤクモ、疲れたんじゃないか?」
「マシュラこそ。連日力仕事を手伝っていたでしょう? 皆あなたの仕事ぶりに驚いていましたよ」
 瞬く間に新しい住居が立ち並んで、この一ヶ月で共存村の景観は一変したものである。
「大した事ねえよ」
 そう言うマシュラは、心なしか照れくさそうにそっぽを向いた。いい加減なようにも見えてじつは面倒見のいいマシュラである、こういう仕事も嫌いではなかった。それに、ヤクモと歩むこの生き方である。マシュラにとって不満などあるわけもない。

 すでに日の落ちた夕闇の中、二人は歩き続ける。明日はまた別の場所へ様子を見に行く事になっているが、歩いた距離は道程の半分にも満たなかった。
「すみません。わたし、歩くのが遅くて……」
「まだ足が痛むんだろ?」
 覗き込むマシュラの瞳にヤクモはそっとかぶりを振って答えたが、額に浮かぶ汗がそうではないと語っていた。この村へ来る途中、金品を奪うをなりわいとしたならず者たちに襲撃されたのである。マシュラに蹴散らされて彼らは退散したが、図らずもヤクモは足を痛めてしまった。それがまだ治りきっていないらしい。
「今日は野宿しよう。俺、腹減っちまったよ」
 視界の利かない夜の旅は危険だ。このへんが限界だろう。


 薄闇の中、薪が音を立ててはぜる。焚き火の前に並んだ二人の顔には、暖かい炎の色が踊っていた。
「マシュラ、昔ここには大勢の人間がいて、お父様のそのお父様の……とにかくずっと昔の私の『ご先祖様』が住んでいたんですって。私も居たはずなんですが、小さい頃だったのでよく覚えていないんです。」
「へえ、じゃあここはヤクモのふるさとみたいな所なんだな」
「そうみたいです」
 微笑んだヤクモの顔にうっかり見とれてしまったマシュラは、コホンと咳払いした。
「それにしてもその足だ、明日は無理しちゃ駄目だぞ」
「心配かけてしまいましたね。ごめんなさい」
 手に持った飲み物の器をヤクモは申し訳無さそうに掌で転がす。少し躊躇ったあと、口を開いた。
「でもわたし、あの盗賊達が金品を狙ったと知ってちょっと安心したんです」
「!?」
 突然の告白にマシュラは絶句したが、ヤクモは困ったような複雑な面持ちで言葉を繋いだ。
「人間だからとか、マトリクサーだからとか、そんな理由で襲ったのでないと知って少しだけホッとしました」
「あのなー」
 そういう問題じゃないだろとお説教の面持ちでヤクモに向き直ったが、今に至るまでの日々を思えばヤクモの気持ちも分からないではなかった。
「ヤクモはズレてんだよ、ほんと」
「そうでしょうか」
 顔を見合わせると、お互いくすくすと笑い始めた。
「そろそろ寝ようぜ。 明日も一日歩き詰めだからな」
 焚き火の火を小さくして寝床の準備を始めた。明日ヤクモが歩けないようならば、おぶって歩こう、そう思うマシュラだった。


 焚き火は小さな熾火となり、周辺の僅かな空間をほんのりと赤く照らしている。夜の密度が急速に増したようにヤクモには思える。こうして見ると、随分村から歩いてきたのだという実感が湧く。なにしろ光るものは、そばにあるこの熾火だけなのだ。どんな小さな灯火も民家の明かりも見つからない。ところがヤクモは、ふわ……と遠い闇の中に何かを見たような気がした。気のせいでしょうか?、彼女は目を凝らす。

「マシュラ、あれを!」
 ヤクモは薄闇の中を指差した。村へと流れる渓流のほうだった。マシュラは危険に備え、ヤクモの前に立って注意深く闇を透かし見る。小さな光点がひとつ、またひとつ。よくよく見れば、数え切れないほどの光の明滅が息づくようにまたたいている。まるでそれは光るぼたん雪のように、そこかしこに優しく舞っていた。
「蛍……!?」
 ヤクモは立ち上がって、光の浮遊する渓流の朧闇を見上げた。焚き火の炎が盛んな時は気づかなかったが、ここにはたくさんの蛍が生息していたのだろう。淡い黄緑色の小さな光が、しっとりとした闇の中に乱舞している。
「きれい……。 マシュラ、知っていますか? この地には昔たくさんの蛍がいたのですが、かつての大異変で絶滅したと思われていたんです。それが、こんなにたくさん!」
 不毛の地と思われた地球にも確実に自然が戻っている、それが嬉しかった。瞳を喜びで溢れさせるヤクモを見て、マシュラは妙案を思いついた。
「ヤクモ、蛍つかまえてやるよ」
 危なっかしい足取りで一匹に狙いを定めると、素早く両掌に包み込んだ。指の間から、命ある光がやわらかく息づいている。
「ほら」
 差し出した両手の籠を、ヤクモは優しく押し開いた。黄緑色の小さな光は、マシュラの小さな叫び声と共に空へ消えてしまった。蛍は人の魂が化したものという言い伝えがあるというが、まさに天へと昇るかのようだ。拗ねた抗議の声にヤクモは微笑んだ。
「ね、飛んでるほうがきれいでしょう?」


「蛍と言えば……」
 と、マシュラが可笑しそうに言った。
「あの旅の途中は色々あったなぁ」
 ホタル人の遊園地での一騒動も、今では懐かしく思える。あのまま別れ別れにならなくて本当に良かったと心の底からヤクモは思った。もし別の道を歩んでいたら、自分は共存村を作ろうなどと思っただろうか。二人でこの美しい光を目にする事も無かった筈だ。
「あれから随分経ちましたね」
 マシュラはハイパーフォーム時と同じくらい背が伸びた。さもあろう、最後の戦いから何度季節を経た事か。ヤクモはマシュラに寄り添って、とん、と彼の腕に頭を寄せると、マシュラは不器用に反対側の手でヤクモの頭を撫でた。
「きれいだな、蛍」
「ええ、とても」

 光っては消え、消えてはまた光る命の乱舞を、二人は飽く事無く見つめていた。音もなく続く光の舞踊に、渓流のせせらぎだけが伴奏の音色を奏でる。やがて来る夏の前奏曲である。


< 終 >












2007.05.24 UP
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