【雨の揺りかご】
雨が洞窟を覆っている。聞こえるのは雨だれの音ばかり。ときおり低く響くのは、遠雷だろうか。
「なー、サーゴ、クータル。外に出てなんかしよーぜ。たいくつなんだよ」
ヘルメット姿のマトリクサーは肩をすくめた。
「この雨では、とても出られませんよ」
サーゴは剣を抜いて、布で拭きあげている。なかなか切れ味もよさそうだ。
「こんなときぐらい武器の手入れをしてはどうです。つねに怠りなく準備をしておけば、いざというとき役にたつものですよ」
「なんだそりゃ。それより、だれが一番びしょぬれになるかの勝負をしようぜ! サーゴはヘルメットかぶったままでいーからさ。 な?」
ヘルメットという単語を聞いて、サーゴはくるりと背を向けた。
「……ノーサンキューです」
「なんだよ、つまんねー。じゃあ、クータル!」
「ボク、これから料理の下ごしらえをするんだな。だからびしょぬれになってる場合じゃないんだな」
「おまえもかよぉー」
すると彼らのシェフは、重々しく言ってのけた。
「料理のおいしさは、下ごしらえで決まるんだな。見えないところに手間暇をかけるのが、偉大な料理人なのよね」
「だーれが偉大だよ」
マシュラはあきれ顔で踵をかえすと、ハクバーのほうへと向かった。
「しゃあねぇな。ヤクモのとこにでも行ってみるか」
洞窟の奥は、入口よりはずっと静かだった。雨の音は、紗をかけたようにやわらかく聞こえる。
「ヤークーモー! 朝からずっと雨でたいくつすぎるぜ。なんかおもしれーことねえかな」
ハクバーの中を覗き込むと、たしかにヤクモはそこにいた。――――返答は、無い。菫色の瞳は、長い睫毛にしっかりと覆い隠されている。
「……って、寝てんのかよ!」
するといつのまに来ていたのか、サーゴが声をかけた。消えそうなほど小さな、ささやく声音だ。
「……マシュラ、ビークワイエットですよ。寝かせてあげましょう」
「おい、まだ昼だぜ? 眠るには早いだろ」
サーゴは身をかがめると、さらに声をひそめた。
「ヤクモさんはこのあいだ、熱を出したでしょう。寝られるときに寝て体力を温存する……消極的に見えるかもしれませんが、それもりっぱな戦いなんです」
「そういやヤクモ……無理してたもんな……」
マシュラはハクバーのドアに、ちょこん、とあごを乗せた。中を覗き込むようすは、まるで仔犬だ。
サーゴはヤクモのために、自分の毛布をもって来たらしい。そっとかけてやりながら、マシュラをうながした。
「彼女をよくごらんなさい」
マシュラはサーゴの視線を追って、息をのんだ。
「ヤクモ、操縦桿持ったままだ!」
「はやくセンターへ行きたくて、さぞかし気が逸っていることでしょう。それでも彼女は、根気強く待っているんですよ」
マシュラはめずらしく神妙な顔つきだ。
「そっか……。これも、ヤクモの戦いってやつなんだな」
毛布をかけられて少しあたたかくなったのだろうか。操縦桿をにぎるヤクモの手が、ほどけておちた。サーゴは起こさぬように、両腕をそっと毛布の中におさめて言う。
「ミーたちは、どうしてもヤクモさんをセンターに連れてゆきたいんです」
マシュラは気色ばんで声をあげた。
「お、オレだって!」
「ええ。わかってます。だから、いまは静かに、ですよ。あとでクータルが元気の出るディナーを作ってくれますから」
マシュラはおとなしく頷いた。
「うん……、そーだな。わかった」
「おや、物分かりがよくなりましたねえ」
「なんだよそれ」
サーゴは内心感嘆していた。短気と聞かん気にかけては右に出る者がない、そんな少年だと誰もが思っていたものだが……。
「オーケー。ではむこうに行ってましょう」
ところがマシュラはニッと笑うと、サーゴににじりよった。
「それはわかった。よーくわかった」
「なんなんです、その顔は」
「だーかーらー、ヤクモは寝るのに忙しいだろ? というわけでサーゴ、誰がいちばん一番びしょぬれになるかの勝負、いまからしようぜ!」
さきほどは「静かに」と自分で言ったものの、サーゴは思わず声をあげていた。
「ノーサンキューですってば!!」
なにも物分かりがよくなったわけでは、ないのである。
しとしと、ぽつぽつ。
しとしと、ぽつぽつ。
乾いた大地に、水がしみこむ。水は種子をうるおし、芽を育てる。芽吹いた緑は弱くても、たしかに、着実に、根をはって枝をのばしてゆく。――――彼女の足どりのように。その音は、ヤクモの夢の中にも聞こえているだろうか。
(ヤクモ、いっぱい寝ていっぱい食って、また元気だしてくれよな!)
マシュラは耳を澄ませた。まだ雨は降りつづいている。それはやさしい子守唄になって、西を目指す者の休息を見守っているようだった。
< 終 >
2016年6月1日UP
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