【七夕】
「マシュラ、マシュラ!」
帰宅して机に鞄を置いた途端、向かいの家の窓から声がかかった。その声に、マシュラと呼ばれた少年は窓辺に駆け寄る。窓を開ければ、向こうも同じように窓から乗り出すようにして少女が手を振っていた。
「今日クータルと一緒にご馳走を作るんです。マシュラもぜひ食べに来てくれませんか?」
マシュラにとっては願ってもない話だ。「モチロンだぜ!」と、両隣三軒に響きわたるような弾んだ声で答える。
「ふふ、マシュラったら相変わらずですね」
ヤクモがくすりと笑うと、マシュラのほうはそっぽを向いて照れた格好だ。
昔と同じ。
照れ屋で、たくさん笑ってたくさん怒って、いつも元気いっぱいだ。
けれど。
(ふとした瞬間、貴方は大人の表情を見せる。わたしを追い越して、成長してゆく。ほんとうに相変わらずの貴方だけど、時々心細くなる。貴方がどこかへ行ってしまうような。わたしには手の届かない、遠い存在になってしまうような……)
* * * * * * * * * * * * *
「なんだよ、お前らもう来てたのかよ」
夕刻、ヤクモの家を訪れれば、いつもの面々が早々と騒いでいた。
「OH〜、マシュラ〜! クータルを止めてください〜!」
サーゴが息を切らしている。見れば、作る端からクータルが料理を食べているらしかった。
「今日の料理の出来は最高なんだな〜、我慢してられないんだな〜」
食欲の塊クータル、ヒゲがぴくぴくと動いている。やれやれと肩をすくめたマシュラだが、すぐに彼女がいないのに気がついた。
「な、サーゴ。ヤクモどこ?」
「え、なんですって? ああっ、クータル! パッケージのままハム食べちゃ駄目ですッ!」
「ヤクモだよ」、マシュラはきょろきょろとあたりを見回した。
「ああ、ヤクモさんならさっきまでクータルと一緒に料理していたんですが……あれ?」
とりあえず二人ががりでクータルを椅子にぎゅうぎゅうと座らせていると、ヤクモの弾んだ声が飛び込んできた。
「皆さん、短冊を持って来ました! 願い事を書いて下さいね」
ヤクモの手には、色とりどりの細長い色紙が握られていた。サーゴが、うんうん頷いて言う。
「今日は 『たなばた』 でしたね」
「 『たなばた』 ァ?」
マシュラとクータルが、異口同音に頓狂な声をあげた。
(すっかり忘れてた、そんな行事もあったな)
配られた短冊を手に、マシュラは鼻の頭を掻いた。クータルのほうへと目をやれば、彼もきょとんとしている。
(クータルの奴、あいつも忘れてたんだ)
お互い横目で様子を窺う。どちらからとも知らず笑い出した。
「そうか、今日は七夕のご馳走だったんだな〜」
クータルは感心したようにつぶやく。何のご馳走か知らないで作っていたんですか、とサーゴなどは苦笑交じりに吹き出してしまう。
「さて、どんなお願い事を書きましょうかねえ」
ところが、この「お願い事」というやつが難問だった。四人とも短冊を前に筆を持つ手が止まっている。こんな時いつもならば真っ先に書き上げるマシュラも、なぜかまだ書く事が決まらないようだった。神妙な顔で何か考えている。そろそろ料理が気になってしょうがないクータルの集中力も限界に近かった。ちらちらと台所に目をやる。
(今日の料理の隠し味はマタタビなのねん。たまらないんだな〜)
ついに静寂が破られた。食欲の塊クータル、始動である。
「ボク、まず腹ごしらえするんだもんね〜!」
「ああっ、クータルっ、抜け駆けはズルいですよー!」
今日はご馳走が出るとあって、おなかを空っぽにして待っていた二人は片っ端からオードブルを平らげ始めた。クータルは今まで「おあずけ」をくっていた反動もあって、皿ごと料理を口に運ぶ動作がいつにも増して素早い。たちまちサーゴの陣地まで侵略し始めた。
「NO〜!、それはミーのフライドチキンです〜!!」
空中を、肉やら食べ終えた骨やらが乱舞し始めた。
「ああ、もう! 静かにしてくれよー!」
マシュラが立ち上がる。これじゃあ、短冊なんて書けやしない。
「ヤクモ」
マシュラは振り返ると、ヤクモの腰に手を回した。
* * * * * * * * * * * * *
視界が大きく回転する。よく晴れた夜空に星々が煌くのが、突然目に飛び込んできた。
「マシュラ……」
ハイパーフォームだ。ヤクモを軽々と抱え、夜空へと飛び出す。みるみるヤクモの家は足下に遠ざかり、星々が大きく見えるほど上昇した。あっという間に星煌く天空の只中だ。
(すごい、こんなにたくさん星が……。きっとこれなら夜空の恋人達は出会えたに違いありません。良かった……)
思わずマシュラの胸に頬を押し当てたヤクモは、はっとして顔を上げた。真紅の仮面の下から蒼翠の瞳が真っ直ぐにヤクモを映していた。
「マシュラ……」
頬が一瞬にして熱くなるのを感じた。
突然鼓動が早くなった心臓を鎮めるように、ヤクモは満天に輝く星を見ながら語る。
「マシュラ、牽牛と織女は一年に一度、今日この日しか会えないのだそうです。しかも、雨が降れば会えないの」
そう、大きな天の川を境に、離れ離れになったふたり。切ない想いを重ねて、ひたすら会える日を待つ。この星空のどこかの、悲しい二人の物語。
と、今まで一言も発しなかったマシュラの声が、そのとき耳元で低く響いた。
「俺ならば」
落ち着き始めていたヤクモの心臓が急加速で鼓動し始める。柔らかな声音にふるえが来そうだった。
(どうして貴方の声は、これほど甘く私の耳に響くのでしょう……)
マシュラは言葉を継ぐ。
「俺ならどんなになってもヤクモを探す。どんな所にいようと、必ず迎えに行く」
揺れる青菫の瞳とゆるぎない蒼翠の視線がお互いを捉えた。視線は、もう離れなかった。
「願い事、最初はヤクモとずっといられるようにと書こうと思った。だが、それは願い事じゃない。ヤクモと共にいる、それは俺の意思だ」
ヤクモを抱く腕に、少し力が入った。
涙がこぼれそうになって、ヤクモはマシュラの胸に顔をうずめた。
「私も。どんなになっても、どんな所にいようと、私も貴方を探していいですか……? この広い夜空でもし数万光年離れたとしても、お互いの姿が変わっていても、私は貴方に必ずまた会います…必ず……!)
そっと肩を引き起こされた。もうマシュラは何も言わなかったけれど、ただ、瞳だけがヤクモを優しく見つめていた。言葉ではない、幾億の想いを込めて。蒼翠の、綺麗な、綺麗な瞳だった。
満天の星空の中で、ふたりはいつまでも寄り添っていた。星は各々異なる色で煌めいていて、音を奏でているかのようだ。小さく、二つの星が瞬くのが見える。
「あれが牽牛、織女ですね」
ヤクモがつぶやいた。頷くマシュラは少し笑って、そろそろ戻らないとあいつら大変だぞ、とヤクモを見た。
「そうですね。帰りましょう、みんなのところへ!」
夜空を流星がひとつ、地上へと鮮やかに流れていった。マシュラとヤクモが地上の満腹コンビにしばらく問い詰められたのは、言うまでもない。
< 終 >
2005.07.07 UP
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