【背中越しのあなた】


 荒野に、ふたつの足音がきこえる。それらは縫うように廃墟と草原をすすみ、森のそばまで近づくと立ちどまった。
 背中の荷物をおろした青年――マシュラは大きく「伸び」をする。
「今日はよく歩いたぜ」
「ほんとうに。共存村へはあとすこしですね」
 額の汗をぬぐいながら答えたヤクモは、いま来た道をふりかえった。出発してから、もう十日ばかりたつ。彼女の歩みがお世辞にも早くないというのもあるが、道すがら周囲の土地や街のようすを見てまわっていたせいもある。
 遅れはしたが、収穫はあった。この周辺は数年前から水が湧くようになったらしく、いくつかの小さな森が育っていることがわかったのだ。
「マシュラ、見てください。泉があります」
「へー、荒れ地にこんなきれいな水が湧くのか」
 こうなるとマシュラは、じっとしていられなくなる。ほかにもなにか面白いものがみつかるかもしれない。
「俺さ、ちょっと探検してくる!」
「ええ。では、わたしはちょっと洗濯を」
 ヤクモは微笑んだ。マシュラのこういうところは、昔とちっとも変らない。


* * * * * * * * * * * *


 ひとしきり森や周辺の廃墟を探索し、マシュラはようやくもとの場所にもどってきた。手にはふしぎな形の果物。食べられるかどうかは、神のみぞ知る、だ。
「ヤークーモ! なんかめずらしい果物みつけたぞ」
 木々のあいだをぬけてマシュラが泉に姿をあらわすと、水をはねる音と小さな悲鳴があがった。
「きゃあ!」
「え? あ!? すまん!」
 マシュラはあたふたと、来た方向へ回れ右をした。――泉ではヤクモが水浴びをしていたのである。
 青年は頭をかいた。たしか昔もこんなことがあった気がする。あのときはなぜヤクモが隠れるのか、まったくもって意味不明だった。けれど数年たったいま、色気より食い気のマシュラにだって、さすがにこれがマズい状況だということはわかる。
「わりぃ。むこうで待ってる」
 操り人形のようにぎこちなく立ち去ろうとすると、ヤクモの声が追いかけてきた。
「どうでしたか」
「え?」
「面白いこと。なにかありましたか?」
 マシュラは立ちどまると、おかしな果物をみつけたこと、廃墟のビルに登ると別の小さな森が見えたことを、背をむけたまま話した。
「明日、行ってみようぜ」
 期待に胸をはずませるマシュラの声に、ヤクモはくすくすと笑った。
「いつまでたっても村に着きませんよ」
 笑うとわずかに水音があがった。ヤクモははっとして泉へ身を沈める。いつものように話しかけたものの、いまは一糸まとわぬ自分だ。小さな水音ひとつでも、すべてを見られるように恥ずかしい。静けさにつつまれた森の中、相手の姿が見えないことが感覚をより繊細にさせている。

 マシュラは自分の顔に片手をあてた。さっき目にとびこんできたヤクモの無防備な肩が、瞼から離れない。こわいくらい頼りなげな肩だった。背中ごしに聞こえたかすかな水の音が、よけいにその肢体を想像させる。
(まいったな……)
 彼にしてはめずらしく、一歩も動くことができなかった。
 ふたりのあいだには凝固したような静寂が横たわっている。こんなときこそ鳥でも獣でも飛びこんで来ればよいものを、虫一匹でさえ息をのんでいるように沈黙しているのだ。永劫につづくかと思われるような静けさである。

「……ヤクモ」
「……マシュラ」
 同時に声が発せられた。ふたりとも、耐えかねたようにかすれた声だった。
「なんか喋っててくれよ」
「なにかお話しててください」

 彼らが背中あわせの状態でなかったら、さだめし顔を見あわせたことだろう。
「はーーーーーー」
 マシュラはずっと息を止めていた者のように、大きく空気をはきだした。無意識の、なんの変哲もない動作だ。しかしそれが普段の自分を取りもどさせてくれたようだった。
「って、ヤクモも喋れよなー」
「あっ……そうですね!」
 変化はカードをひっくりかえすように一瞬だった。いつものマシュラの口調が、もうヤクモを安堵させている。ふしぎだ。ほんの短い瞬間に、張りつめて、高鳴って、安心して。
「そういや、洗濯するって言ってたよな。おわったのか?」
「ええ、とっくに!」
「しょーがねぇなぁ、ヤクモは」
 マシュラは手にした果物を真上に放ってはまた受けとめた。
「でも勝手に水浴びするやつは、謎の果物を食べる罰ゲームな!」
「まあ!」
 梢のあいだの空を眺めながら、マシュラは屈託なく笑った。彼が心底ほっとしていたのは言うまでもない。正直なところ、さっきは頭の中がぐしゃぐしゃになってしまいそうだったのだ。
「でも……おなかをこわしたらどうしましょう」
「はは。じょーだん、じょーだん。けど水浴びするんなら、ちゃんと言えよな」
「え?」
「……じゃねーと、びっくりするだろ」
 ヤクモは菫色の瞳を幾度かまたたかせた。マシュラも動揺していたのだろうか。自分とおなじように、千々に乱れる胸を押さえながら? 普段のマシュラからは、ちっとも想像できない。
「これからはそうします。でもあの…………あなた本物のマシュラですよね?」
「は! なに言ってんだ」


* * * * * * * * * * * *


 やがて小さな森に野営の火がともった。ささやかな晩餐を、瑠璃の空と金の星が見守っている。
「マシュラ。さっきの果物、やっぱり食べてみましょうか」
「だーめ。クータルがいたら食わせるのになあ」
 ふくふくと太り、最近ヒゲなども伸ばしはじめたらしいあの友人の姿をヤクモは思いうかべた。
「クータルたち、次の共存村に着いたでしょうか」
「寄り道してなきゃな。サーゴがなんとかしてるだろ。た、ぶ、ん、な」
 もしもクータルやサーゴに私のこの気持ちを相談したら、彼らはなんと言うでしょう。応援してくれるでしょうか――そんなことをヤクモは思った。
「会いたいですね」
「そーだな」

 変わらぬもの、変わってゆくもの。どれも愛おしい。ただ少し、とまどうこともあるけれど。
「彼らに聞いてほしいことが、たくさんあるんです」
「それって、おれじゃ駄目なのか?」
「マシュラには、いつか話します。きっと」
「ふーん。ま、いっか」
 マシュラは頬杖をついてヤクモの顔を見つめた。焚火のあかい炎が、ふたりの顔をあたたかく照らしている。頬が火照るのは焚火のせいばかりではないと、お互い知るのはいつになるだろうか。


< 終 >












2014年10月1日UP
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