【笑顔で行こう】


「じゃあ、今日の昼メシって……」
「ごめんなさい。これだけしかないんです」
 ちょうど時刻は、お昼どき。よく晴れて、外で食事をするにはうってつけのよい天気だ。
 しかしふたりは、雨降りまえの空のようにどんよりとしている。ヤクモがマシュラに手渡したのは、小さなパンひときれだけ。街の市場には立ち寄ったばかりだ。それなにのこのありさまというのも、ちょっと目を離したすきに、買った物を盗まれてしまったからである。
 マシュラはちっぽけなパンを受けとると、飲みこむようにして平らげた。
「あいつら、ぜったいに見つけだしてとっちめてやるぜ!」
「やめてください、マシュラ」
 この少年は快活で明るい性格だが、力に頼りすぎるところがある。はじめて出会ったときも、彼はそのせいで災難にあっていたのだった。
 マシュラはしぶしぶながら、という顔をしている。
「わかってるって。あいつらがおとなくしく返したら、ケンカしねーよ」
「ありがとう、マシュラ」
 彼にとっては、この笑顔がまぶしい。悪魔ともよばれた人間が、こんなにもやさしく儚げだなんて思ってもみなかった。よくぞいままでひとり旅をしていられたものだ、とマシュラは思う。マトリクサーの中にはそうとうタチの悪いやつだっている。ヤクモなんか、自分がついていなければいいカモにされるのが目に見えているのだ。

「とにかく、このマシュラさまに任せとけって」
 マシュラはぽんぽんとヤクモの頭に手をおいた。とにかく安心させてやりたかったのだ。しかし、どうしたことだろう。予想に反して、ヤクモの菫色の瞳はみるみるうちに潤んでゆく。
「ええっ、なんだよ。オレ、なんかしたか!?」
 マシュラは固まったきり動けなくなってしまった。彼はこんなとき、どうしたらいいかを知らない。ケンカならば誰にも負けるつもりはないが、こういうことはさっぱりだ。
「……ごめんなさい。お父様の手を、思いだしたんです」
 それは、数百年も昔のこと。いまはもう永遠に隔たれてしまった、彼女の父。頭をなでるそのてのひらは、大きくてやさしかった。でも、かなしそうな瞳をしていたように思う。
「ヤクモの親父さんか……」
 そういえばヤクモってひとりきりなんだよな、とマシュラは思った。肉親も、身近にいたであろう者も、すでにいない。それどころか彼女と同じ種族は、とうに滅びたといわれている。ヤクモには、帰る場所がどこにもないのだ。
「ヤクモ、大丈夫だって。オレがちゃーんと『センター』ってところにつれて行ってやる」
 マシュラは小さな子供にするように、ヤクモの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「そこに人間がいるかもしれねえんだろ? そしたらヤクモは、ひとりじゃないんだぜ」

 真剣な表情で言い、ふいにマシュラは沈黙した。
「どうしました?」
 それは苦しそうな顔にも見える。
「マシュラ?」
「…………っ!」
 彼は顔をくしゃっとゆがめた。そしてつぎの瞬間には、おもいっきりふきだしていた。
「ぶはっ、へんな頭!」
「え!?」
 マシュラはヤクモの頭をゆびさして笑いころげている。さっき乱暴に撫でたせいで、ヤクモの絹糸のような髪もすっかりぐしゃぐしゃになってしまったのだ。
「ひー。寝ぐせよりひでーぜ」
 そのデリカシーのなさのほうがよほどひどいと思われるのだが、ヤクモは気にしないようだった。
「まぁ。そんなに変ですか?」
「変!変! すっげー変!」
 笑いころげているマシュラを見ていると、なぜだかヤクモまでおかしくてたまらなくなった。われしらず笑みがこぼれる。やがて声をたてて笑わずにはいられなくなった。
 マシュラとヤクモはふたりで笑いつづけ、笑いが途切れそうになると、顔を見合わせてまた笑いころげた。

「腹がよじれちまうぜ!」
「わたし、こんなに笑ったことありません」
 ヤクモは笑いすぎてうかんだ涙をそっとぬぐった。楽しくても涙がでるということを、ヤクモははじめて理解した。そんなことは、コールドスリープの学習機能は教えてくれなかったから。
――ひとりではないことが、こんなにも嬉しいということすら……わたしは知りませんでした。
「マシュラがいます」
「ん、なんだきゅうに?」
「もしもセンターに人間がいなくても、わたしはひとりぼっちじゃないんです」
「えーっと、よくわからねーけど、じゃあセンターには行かねーってことか?」
 ヤクモはやさしく首をふった。
「いいえ。センターに行って確かめます。そこがなぜ希望の地と呼ばれ、わたしがなにをするべきかを」
 マシュラがヤクモに惹かれるのは、こういうところだった。時々頑固すぎるのは玉に瑕だが、ただの弱っちいやつではないのだ。じつはけっこうスゲー女の子なんじゃないかと思ったりもしている。
「よーし、おもしろそうだぜ!」
 マシュラは拳を握りしめた。胸のわくわくが止まらない。西へ、未知なる希望の地へ! この可憐な少女を、かならずセンターに連れて行ってやるのだ。ちっぽけな村の王様気取りでいるより、よほど心躍る存在理由だった。
「じゃあ、まずは食い物だな。腹いっぱい食わねぇと西には行けねーぜ!」
「はい!」

 ふたりは空をみあげた。さえぎるもののなにひとつない、広く深い蒼穹。
 この空は、はるかな西へとつながっている。とてもとても、うつくしい空だった。


< 終 >












2014年9月1日UP
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