【ビターorスィート】


 二月十四日、それは恋する女の子の大切なお祭り、バレンタインデーだ。
 いま「お祭り」と言ったが、それは女の子だけではない、むしろ男の子にとってもビッグイベントなのである。朝、鏡の前でいつまでも髪型を気にしてみたり、登校したらしたで机の中をドキドキしながらさぐってみたり、無駄に放課後居残ってみたり。
 そんな期待に胸躍らせる青春男子がそれぞれの思いを胸に緊張の一日をすごしている中、ただひとり孤高のクールさを保っている男がいる。どんなときでも薔薇の花は欠かさない、生徒会長のリュウマだ。
 彼は校門前で待ちかまえる乙女たちをワルツのステップで華麗にスルーし、机に山と積まれた色とりどりのチョコレートの包みをブルドーザーがそうやるようにざっとひと撫でして専用袋に流し込み、羨望のまなざしを向ける男子諸氏を「フッ」というやたら分かりやすい笑みで憐れんだものである。
 そうこの男、なかなかモテるのである。少々背は低いが眉目は秀麗だし、なんといっても大金持ちの貴公子だから、少女たちはきゃわきゃわ言っている。いっぽうで彼の浮世離れした奇行はしばしば失笑の対象であり、まっとうな観察眼を持つ者には「ないわー」などと手ひどい評価を下されたりもしているのだが、本人は知るよしもない。

 そんなリュウマだが午後の授業も過ぎて放課後になると、さすがに焦りの色を濃くしていた。
(おかしい、そろそろ来てもいいはずだ……!)
 リュウマは動揺を押し隠すように、金色の髪をかき上げた。彼が待っているのはそこらへんのどうでもいいチョコレートではない。可憐にして清楚、心優しき学園の花、ヤクモのチョコレートである。
 彼はいまだヤクモが恥ずかしそうに頬を染め愛の告白にやって来ない理由を、持ちうる頭脳のすべてを駆使して分析することにした。ほかに想う人がいるかもとか、そもそもそんなに仲良かったっけとかいったマイナス面は分析要素に入っていないらしい。
 数分後、彼は派手な音をさせて机に片足を立てると、勝利者の雄叫びを上げた。
「分かったぞ!」
 未練がましく居残っている青春男子たちが、なにごとかと環視する。
「ヤクモさんがあぶれ者の集まるこんなむさくるしいところに来るわけないじゃないか。彼女は僕の下校を待っているんだ!」
 リュウマは華麗に身をひるがえしたかと思うと、「びし!」という音をたててポーズを決めた。
「では諸君、お先に失礼するよ!」
 ダッシュで駆け去る。数秒後、三段抜かしで階段を駆け下りる音が聞こえた。教室に残された者たちはいっせいに溜息をつく。
「あいつ、すげー前向きだな……」


 下校中の少年少女を跳ね飛ばしながら校門にたどりついたとき、彼は分析の正しさをようやく確信することができた。
 ヤクモが校門の脇にたたずんでいる。その姿は一輪の花のようだ。手には美しく包装された包みを持っている。下校中の者の中から誰かを探しているのだろう、少し緊張した薔薇色の頬であたりを見回している様子は、清楚の一言に尽きる。
(美しい、やはり美しい!)
 リュウマは自分の審美眼を誇らないわけにはいかなかった。さあ、このリュウマにチョコレートを渡したまえ、可憐なひとよ、ヤクモさん!
 その心の声が届いたのだろうか、ヤクモはこちらを見ると表情を輝かせた。湖に陽がさしこんだように、青い瞳がきらめいている。
 ヤクモは意を決したようにこちらへと駆けて来た。如月の風に髪がなびく。軽く息を弾ませて、軽やかに駆ける。
 ……と、軽やかなまま、リュウマの横を駆け去ってしまった。
「へ?」
 背後を見ると、そこには一人の男子生徒が立っているではないか。ヤクモは嬉しそうに声をかけた。
「マシュラ!」
 リュウマは驚愕のあまり声を出すことさえ忘れて固まっていた。
(またお前かー!!!!)
 そう、リュウマの天敵、マシュラである。とは言え、マシュラのほうは彼を敵とさえ思っていないらしいが。
「良かった。もう帰ってしまったかと思っていたんです」
「ちょっと職員室に用があってな」
 リュウマはじりじりと後ずさりした。これはあれだ、ここで嫌な会話が始まる前兆だ。

「あの……マシュラ。これを受けとってくれますか」
 ヤクモは可愛らしい包みを差し出した。
「なんだ、これ」
「チョコレートです。その……今日はバレンタインデーなので」
 ああ、そっか、という態でマシュラはまばたきをした。彼の中では喧嘩で勝つこととか、いかに昼飯を早く食べるか、といったことが多くを占めているので、そういうのはつい忘れてしまう。事実、彼は自分にチョコレートを渡そうとする乙女たちにまったく気づかず歩き去ってしまったこと数知れないのである。もちろん悪気などないのだが、いかんせんそこらへんが鈍いらしい。
「手作りなのですが、よかったら食べてください」
 少しはにかみながらヤクモが言うと、マシュラは破顔一笑した。
「オレ、チョコ好きだぜ」
 好き、それはチョコレートのことなのに、まるで自分が言われたかのようにヤクモの胸は高鳴ってしまう。あなたはこの気持ちを知っているかしら。私の、たったひとりの、たいせつなひと。
 マシュラは差し出された包みをそっと受け取った。がさつなマシュラにしては、丁重なしぐさだ。
「ありがとう」
 それから、いたずらっぽい目をして見せた。
「これだけか? オレ、もっと食えるけど」
 その一言でヤクモの緊張はすっかり取り払われてしまう。ヤクモは思わず声をたてて笑っていた。
「ふふふ、マシュラらしいですね」
 手作りのチョコレートはそれひとつだけだと言うと、マシュラは「そっか、じゃあだいじに食べないとな」と言って笑った。
「さてと、もう夕方だな。一緒に帰るか」
「はい」
 ヤクモは見違えるように背の伸びたマシュラを見あげ、ほほえんだ。二月の夕風が黄水晶のように光っている。


 校舎の陰までじりじりと後退していたリュウマは、声なき声で叫んでいた。
(それって本命チョコじゃないかー!)
 がくりと膝をつく。
 しかもしかも、「これだけか」とか「一緒に帰るか」とかとか、まるで自分のものみたいな顔をして、なんというずうずうしさ!
 リュウマはそれでも最後の気力を総動員して、よろよろと立ち上がった。今日のところはマシュラのやつに花を持たせてやるのもいいだろう。あいつに騙されたヤクモさんの目を、いつかこのリュウマ様が覚まさせてやるのだ。
 彼はやっとのことで声を絞り出した。
「……バートル、どこだ。は……早く迎えに来い」
 蜃気楼のように今にも消え入りそうなリュウマを、下校中の生徒たちが不思議そうな顔で見ている。

 超望遠カメラで一部始終を観察していたバートルは、あるじを迎えに行くべく車のキーを回した。
 彼女は重々しく頷く。
(そう、それでよいのです)
 世界の王になるために、リュウマにはもっと勉学に励んでもらわなければならない。こんなことにかまけている時間など無いのだ。
 しかし、ハンドルを操るバートルの目は、なぜか優しい。
(あのかたには貰えなくても、可愛らしいチョコレートをたくさんいただいたではありませんか。このバートルも用意していますから、あとで一緒にチョコパーティをしましょう)
 顔に似合わず(?!)、人情家なバートルであった。


 綺麗な包装紙、色とりどりの可愛いリボン、手作りや舶来物のさまざまなチョコレート、さまざまな想い。
 さて、少年たちの食べるチョコレートは、苦いだろうか、甘いだろうか。


< 終 >












2012年2月18日UP
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