【ホットミルク】


 パチパチと焚き火のはぜる音がする。火は不思議だ。うっかり手など突っ込もうものなら大火傷してしまうのに、暖かくて、そばに居たくて仕方がない。
 ヤクモは橙色に光る焚き火の焔を眺めながら、マシュラの言葉を思い出していた。
 ―― そんなの、行ってみねーとわかんねーじゃん。
 センターなんてもうないのかもしれない、そんな弱気を一瞬で吹き飛ばしてしまった彼の言葉。そう、マシュラの言うとおりだ。困難の多い旅の中で、かくも簡単なことを忘れかけていた。マシュラの言葉はヤクモの背中を押してくれる。まるで彼の手のひらのようにあたたかく。


「なー、ヤクモ。まだできねえの?」
 かけられた声で我に返った。そうだ、今はミルクを温めているのだった。焚き火にかけた鍋を覗き込むと、ミルクはもうふつふつと音を立てている。
「あっ!」
 ヤクモは慌てて焚き火から鍋をおろした。砂漠地帯は気温の高低差がはげしい。寝る前に温かいミルクでも用意しようと思ったのだが、うっかり火にかけすぎてしまったようだ。
 少々熱すぎるカップを前にしてヤクモは苦笑した。
「ホットミルクを飲むとよく眠れるそうですよ。ちょっと温めすぎましたけど……」

 マシュラは「いよっ、待ってました」などと言いながら、嬉しそうにカップを受け取った。
「オレ、これけっこう好きだぜ」
 まぶしいような笑顔である。
「そうですか、良かった」
 ヤクモが隣に座ると、まるい月と焚き火に照らされて二つの影が並んだ。
「こんな冷える晩には温かいものが良いですね」
「ああ。それに、これ飲むと背が伸びるしな」
「背?」
 ヤクモがマシュラを振り向くと、マシュラはばつが悪そうに月を仰いだ。
「いや、なんでもねーよ、ははは」
 笑ってはぐらかしながら、何げなく後方に目をやった。そこにはヤクモと自分の影法師が並んでいる。すこし背の高いほうがヤクモで、小さいほうがマシュラだ。
(くそー)
 我知らずマシュラは唸ってしまう。ヤクモはマシュラの顔を覗き込んだ。
「どうかしましたか?」
「え、いや、その……」
 なんて真っ直ぐで綺麗な眼差しなんだろうと思う。この人を守りたい。このお人よしで何事にも真摯な優しいヤクモを。

 マシュラはわしゃわしゃと頭をかいた。
「ほら、なんつーか、背が高けーほうがカッコイイだろ」
「そうでしょうか?」
「そう!」
 マシュラがあまりにも力いっぱい頷くものだから、ヤクモは思わず笑んでしまう。
「今のままで、マシュラはすてきですよ」
 もし聞いている者があれば赤面しそうな台詞だが、ヤクモは大真面目だ。心からそう思っているのだろう。マシュラははっとしたようにヤクモを振り向くと、ホットミルクのカップをぎゅっと握りしめた。
「オレ、早くでかくなる」
 ―― 成長して、もっと強くなって、ヤクモをずっと守るんだ。どんな敵も寄せ付けないくらい……!
 マシュラは握りしめたカップを「ぐい」と突き出した。
「だから……、もう一杯!」


 ホットミルクをおかわりしたマシュラとヤクモは、二人並んだまま暖かく燃える焔を眺めていた。この焔は、朝の光が届くまで彼らを寒さと獣から庇護するのである。
 ヤクモは空を見あげた。月がずいぶん高く登っている。手の中のカップはまだほのかに温みを残していて、小さく優しい火がともっているかのようだった。
「体も温まりましたね。そろそろやすみましょうか」
 ヤクモが言うと、マシュラも「そーだな、オレもう眠い」と大きなあくびをした。
「明日もがんばりましょう」
「おう!」

 ―― そう、また明日。
 音もなく月は西の空へと滑ってゆく。夜の静けさは、希望を胸に秘めた者たちを優しい眠りの世界へといざなっていった。


< 終 >












2011年9月30日UP
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