【雪】


「降ってきましたね」
 両手に息を吐く彼女の髪にも、ふわりとしたぼたん雪が遠慮がちに舞い降りている。一学年上のヤクモを校門で待っているうち、雪がちらついたかと思えば、もうこのぼたん雪だ。
「帰ったら、温かいココアでも淹れましょう」
 にっこり笑うヤクモに自分のマフラーをかけようと腕を回したマシュラは、ヤクモよりもうずいぶん背が高い。
(いつのまに、こんなに背が伸びたのかしら)
 そう考えるとなぜだか頬が熱くなって、ヤクモは思わず俯いてしまう。
「あ、マフラーはいいんです。マシュラがしていて下さい」
 そっと押し返そうとしたけれど、上背のあるマシュラはそれをかいくぐってそっとヤクモにマフラーを巻いてしまう。

 と、思われた。

「似合いませんね〜、似合いませんね〜、そんなセンスの無い地味マフラー。ロマンティックでドリーミングな感じでヤクモさんを騙そうったって、そうはいきませんよ」
 電柱の影から聞こえる副音声の主は、男子は学ランが義務付けられているにも関わらず何故か一人だけブレザーでキメる男、生徒会長リュウマである。

「さ、さっ、ヤクモさん。雪も降ってきた事ですし、車で家までお送りしましょう。その前に僕の家で紅茶でも飲んでゆくといい。バートル、早く車をこちらへ!」
 ビシッとポーズまでキメてヤクモを拉致する気満々のリュウマに、ヤクモは困り顔でマシュラと目の前に停められた高級外車を見比べた。
「あの、私歩いて帰りますから……」という言葉を遮ったのは、あろう事かそのマシュラである。
「ヤクモ、乗れよ」
 驚いてマシュラを見上げれば、マシュラはリュウマに不敵な笑みを送っている。
「俺も一緒についてゆく」

 なんだおまえ馬鹿じゃないのか邪魔だついて来るなさっさと帰れ!、リュウマが気圧され気味ながらまくし立てたものの、マシュラは聞こえない顔でさっさと車に乗り込んだ。後部座席で足を高々と組んで動く気配も無いマシュラに、ヤクモも仕方なく隣りのシートに腰を下ろす。「喧嘩だけはしないで下さいね」、ヤクモの春先の菫の色をした瞳がそう語っている。そんなヤクモに横目で頷きながら、マシュラはリュウマに言う。
「早く乗れ。お前は助手席だ」
 反射的にドアに手をかけて、静電気に驚き盛大なリアクションをしたものの、なんとか車に乗り込んだリュウマである。助手席ではあるが。
(お荷物マシュラの事はこのさい目をつぶるとして、まんまとヤクモを家に招待する事に成功したわけであるから、とりあえずは成功。この僕が狙った獲物を逃すはずないじゃないか)

 車は一路、リュウマ宅を目指す。車内ではいつの間にかバートルとヤクモがお菓子の事などを和やかに談笑しているのに対し、リュウマにとっては長い長い帰路となった。
 ジリジリ、ジリジリ……
 リュウマは背後から見えざる殺気を投げつけられて、ピクリとも動く事が出来ない。「どうした、大人しいな」、とはマシュラの揶揄するような声である。
(なぜこんな事に! バートル、早く! もっと早く運転しろ!! こいつ、性格悪い!!)
 冷汗でびっしょりなリュウマは蛇に睨まれた蛙、むしろ不死鳥にガンつけられているトカゲ。助手席のシートの後では、マシュラがにやりと口の片端で笑っている。ヤクモに手を出そうなんて、一万年早い。


 「リュウマ様、着きました」という声が、どんなに嬉しく感じた事だろう。感動の涙をハンカチでそっとぬぐいつつ、リュウマはよろよろと地面に降り立った。スカイダイビングでもしてきたように足がガクガクだが、ヤクモにそんな姿は見せられない。どこに隠し持っていたものか、真紅の薔薇をヤクモにかざした。
「ヤクモさん、お待たせしました」
 なんて可憐なのだろう、まだ降り続く雪の中で寒そうに立つ彼女は。これから屋敷の中で温かい紅茶を飲み、彼女のその冷たい手を温めてやろう。
「ありがとうございました」
 嬉しそうに礼を言うヤクモの頬は、ほんのりと上気していつにも増して愛らしい。
(貰った! この勝負、貰った!! マシュラの奴め、貧乏人にこの芸当は出来まい!)


「さっ、帰るぞ」
 マシュラの声に、リュウマはハッと我にかえった。先程のマフラーを、マシュラはヤクモにあらためて掛けている。
(暖かい……マシュラみたい……)
 そっとマフラーを押さえるヤクモである。マシュラは照れたように空を振り仰いだ。螺旋を描きながら雪はしんしんと舞い降りてくる。
「帰ろう。風邪ひくぞ」
「はい、ココアでも飲んでいって下さい」

(え…! 此処…ヤクモの家の前じゃないか……!)
「わざわざヤクモの家までの送迎、感謝する」
 マシュラがリュウマとバートルにウインクする。へなへなと座り込むリュウマは、敗北を悟った。
(バートル、裏切ったな)
 ニコニコと二人に手を振っていたバートルは、そんなリュウマの視線に気付いているのかいないのか。
(リュウマ様には男女交際より、まずは帝王学を学んでもらわねば)
 しもべのくせに、やたら教育ママなバートルである。


「今日は本当に寒かったですね」
「リュウマのお陰で助かった」
 可笑しそうに笑うマシュラに、ちょっとたしめるような目をしてから「もう…!」とヤクモは少し笑った。
(あなたはいつでも私を守ってくれた。ずっとずっと。いつの間にかあなたの背中を見ている。大きな背中、大きな手。低くて優しい声で私を呼ぶ。『ヤクモ大丈夫か』『ヤクモ、心配するな』……。私はあなたのために、出来る事があるかしら)
 ちょっと真面目な目をしたヤクモを見て、マシュラは慌てた。
「冗談、冗談。リュウマの奴、しつこかったからサ。赦してくれよ」
 叱られるとでも思ったのか、慌ててジタバタしている。
(ほんとうに、あなたは私の大切な……)

「まずはココアを召し上がれ」
 温かい湯気が、白くやわらかに立ち昇った。窓の外では雪が絶え間なく降り続いている。きっと、明日は積もるだろう。


< 終 >












2005.01.31〜2005.02.10ブログに掲載 2005.04.08サイト内に収納
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