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土器川は香川県で唯一の一級河川で,幹線の川の長さは33km、流域面積140km2、
全国109個の一級河川のうち長崎県の本明川(長さ21km、流域面積87km2)についで、
2番目に小さい一級河川です。
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土器川河口の沖合いには無人島の 上真島(かみましま)があります。 上真島の左側方向に、塩飽諸島で 1番大きな島、広島が見えます。 広島は河口より約10km沖合い にあり、島の西側には高さ312mの 王頭山(おうとうざん)があります。 |
| 土器川河口より右手に上真島を望む |
| 蓬莱橋は県道33号線に架る橋で、 77番道隆寺から78番郷照寺までの 遍路道になります。郷照寺は後ろに 写っている青の山北麓にあります。 右側の常夜灯は文政4(1821)年に 建立されたものです。 文政4年の 丸亀藩は京極高朗6代藩主の時で、 土器川を渡れば高松藩になりました。 |
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| 「蓬莱橋」西詰の常夜灯 |
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昭和48年「高松砂漠」と呼ばれるほ どの戦後最大の干ばつは、異常高潮 をも発生させました。満潮時に川を逆流 した海水は、川口から2km上流地域ま で水浸しにし、激甚な塩害をもたらせま した。 このような海水の逆流現象による塩 害を防ぐため、昭和54年に建設省と 丸亀市が潮止堰を建設したものです。 ゴムで表面をおおった布制のゲート に空気を送り込み、満潮時にゲートを 上げて潮が遡ることをふせいでいます。 水量で自動的に開閉される仕組みに なっています。 |
| 土器川塩止堰 |
| 昭和5年から昭和19年まで、「琴平急 行電鉄」が坂出-琴平間約16kmを所要 時間30分で走っていました。「琴平急行 電鉄」は第2次世界大戦が始まり資材を 供出させられたため、昭和19年に休止 になり、戦争が終結しても運転が再開さ れることなく廃線となりました。 この高柳橋より約100m下流に電車の 鉄橋がありました。 |
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| 高柳橋 |
| 乙井(おとい)大橋の約100m上流に香川 用水の東部幹線があります。地表の開水 路を流れて来た用水は、地下をくぐって土 器川を横切り、写真の赤い水門より噴出 して、東かがわ市まで流れています。 香川用水は昭和50年3月に完成し、水道 水、農業用水の他、坂出市、宇多津町へ 工業用水としても供給されています。 |
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| 香川用水 |
| 「ことでん(高松琴平電気鉄道)」の琴平線 に掛かる橋です。高松ー琴平全線31.3km が開通したのは、昭和2年4月22日のこと です。 「ことでん」は、日本各地の鉄道会社で古 くなって使われなくなった車両を譲り受けて 使用しているため、電車の博物館と呼ばれ 鉄道ファンに注目されています。写真の電 車は1969年に誕生し、京浜急行電鉄より譲 り受けた1200計という電車です。 高松-琴平は約1時間で610円、30分間 隔で運行されています。 |
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| 琴平橋梁を渡る「ことでん」 |
| 旧高松街道(国道32号線)に掛かる橋 です。 金毘羅さんにお参りに来る人は土器川 で、身を清め、着物を調えてお参りしたと ころから、祓川橋といわれています。また、 ここから上流を祓川とも呼ばれています。 祓川橋を渡ったところに金毘羅さんの 鳥居が見えます。 |
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| 祓川橋 |
| 四万十川の沈下橋は有名ですが、土器川 にも沈下橋があります。この地区の名前を 取って「平野橋」と呼ばれています。 軽自動車も通行可能でしたが、平成16年 の台風で一部が壊れ、軽自動車は通行止 めになっています。 |
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| 平野橋 |
| 借耕牛(かりこうし) 昔この「明神」あたりでは田んぼを耕す牛を 徳島から借りていました。牛の受け渡しの ため、何百頭もの牛が行き来し、昭和35年 ころまでこの地方の風物詩となっていまし た。この事を記念して落合橋には借耕牛が 描かれています。 |
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| 落合橋 |