ラグプールの空1
 『ラグプールの空』  第一話

                                                           あるまじろ



――プロローグ――


 教会の鐘が、いつまでもいつまでも帝都グランプールに響き渡る。
 それはこの日、皇帝レオポルド十三世 がこの世を去った証であった。
 皇帝は 建国帝バルザックT世 から数えて、既に15代を数える。 この当時の国家としては驚異的ともいえる歴史を誇るが、年月で数えてみると、そう驚くでもない長さでもある。 
 そう、たかだか280年である。

 建国後百年間、曲がりなりにも周辺地域を平和に治め、まず国家としては良政を施政したと言っていいであろう。
 特に、帝国中興の祖といわれる レオポルド[世 が治世していた頃は、帝国の人口は350万を超え、大陸文化の中心であり、特に貴族と呼ばれる特権階級の華やかさは、天をも突く勢いであり 『帝国人であらざれりは、人にあらず』 とまで言わしめたほどであった。
 だが同時に、その頃からかも知れない。 『帝国病』と称され、国や組織が必ずかかるといわれる感染症のようなモノが、国家という身体を蝕み始めたのは……

 それから、百と数十年。 国家を運営する側の人間たちは、その症状になんの処置も施さなかったばかりか、悪化をさせるような策動しか行ってこなかった。
 為に、太陽暦514年。 帝国暦では286年、帝国は、ついにその命数を使い果たす時がやってきたのだ。
 そこに生きる全ての人々の、好む好まざるに関わらず。


   ―1―

 「うん……」
 「おはようミヤ。 もう朝食が出来ているから、目を覚ましなさい」

 ベッドに寝ていた少女が寝返りをうつと、青年は、まるでその母親の様に、少女を起こす。

 「ふぁ〜……ん、しょと…おはよう兄さん。 今日も良い天気みたいね」
 「そうか?」
 「ええ。  だって、お洗濯した後の、素敵な匂いが漂ってくるもの。 あ、もちろん、兄さんの料理の美味しそうな匂いもね」
 「そっか、そうだな」

 兄妹は、いつもの朝のおしゃべりを楽しむ。
 ベッドに寝ていて、生意気そうな口調の少女が、妹の ミヤ。
 エプロンなぞをつけて、先ほどまで洗濯と朝食の用意をしていた青年が、兄の エド である。

 「ふふ…じゃ、顔でも洗ってこようかな……とと」
 「あ、バカ! 俺が支えるまで動くな!」

 ミヤは、ベッドから起き上がると、まるで『目が見えない様に』手を突き出しながら、炊事場へと向かおうとする。

 「大丈夫だって。 いっつもしてるんだからさ。 兄さん、心配しすぎ」
 「そうだけど…俺は兄貴なんだし、目の見えない妹がいたら、心配ぐらいするって」
 「あら。 じゃぁ兄さん、わたしの目がちゃんと見えてたら、わたしの心配、しないんだ?」
 「ば、バカ。  そんなワケないだろ!」
 「ふふ♪」
 
 なんのかんのと仲良く言い合いながら、二人は手を取り合って、炊事場へと向かう。


同時刻


 「ハッ!」

 女性にしては勇ましい声が、清々しい朝の雰囲気を切り裂き、赤い軍馬を先頭に一台の雅な馬車が、壊れんばかりの勢いで草原を疾走して行く。

 「もっとスピードは出ないのランティス?! このままじゃ追い付かれるわ!」
 「無茶言わないでよ姉さん! こいつらだって、一晩中走ってもうボロボロなんだから!」

 馬車の御者席には、ランティスと呼ばれる若者が年齢に似合わない巧みさで、必死に走っている二頭の手綱を操っている。
 瞬間、石に乗り上げたのか、馬車が大きくバウンドする。

 「きゃっ!」
 「姫?!」
 
 馬車の中から、可憐で愛らしい声の悲鳴が上がる。

 「イタタ…あ、大丈夫よランティス。 ただちょっと、その、お、おしりをぶつけちゃっただけだから…」
 「そ、そうですか…」

 自分の臀部の事を、いかにも恥かしそうに喋る少女に、ランティスのほうも赤面してしまう。
 もちろん、その間の手綱はしっかりと操っている。

 「ティラ様! 何かあったのですか!」
 「あ、なんでもないんですー、 シーラさん」

 今度は、先ほどランティスを叱った女性が、馬車の中に向かって心配そうに声をかける。

 「そう? ならいいですけど……こら、ランティス! このヘタクソ! ******! *******! お前なんかインキンのサルとでもヤってろ!」
 「ね、ねぇさん〜」
 「……………??」

 いきなり、姉にドぎつい罵詈雑言を浴びせ掛けられたランティスは、かなり凹んだ様子をみせ、ティラの方はというと、目の前のシーラが一体なにを言ったのかすら解らない様子で、キョトンとしていた。

 「とと…」 ランティスは、先ほどから手綱から返ってくる感触が、かなり鈍ってきているのがわかる。

 「姉さん。 もうもたないよ、この子達」
 「……そう」

 先ほどは、勢いにまかせて悪口を叩きつけたシーラだが、こと馬に関しては、ランティスの判断に全幅の信頼を寄せている。
 ランティスがもたないといったら、もうもたないのであり、あと数刻も乗らない内に、馬の脚が折れるか、衰弱して動けなくなるに違いなかった。

 「仕方ないわね。 ティラ様、馬車から降りてください」
 「……どうするのですか?」

 馬車を止めると、ティラは不安そうなところを見せながらも、素直にシーラの言葉に従う。
 ランティスがあわてて、そのティラに手を貸す。

 「ありがとう、ランティス」
 「い、いえ、そんな……」

 ティラの愛らしい笑顔を向けられただけで、ランティスはへにゃへにゃと相好を崩してしまう。
 と、行き成りその頭頂部に鈍器で殴られたような衝撃がはしった。

 「っったー」
 「ったく……この非常事態に、ニヤニヤしてんじゃないよ、マセガキが」
 「あのあの…」
 「あー、ティラ様はなんにも悪くないですからね。 全部、この不肖の弟が悪いんですよ」
 「そん……いえ、なんでもありませんです、ハイ」

 シーラは、簡易とはいえ手甲を嵌めている。
 その腕で殴られたのだから、ランティスでなくとも文句の一つでも言いたいところだが、姉の強烈な視線の前に言葉尻も萎んでしまう。

 「さてと……」
 「で、どうするの姉さん?」
 「…………」
 
 「そうね、とりあえず……ハイ!」

 シーラが一声あげると同時に、馬車を曳いていた馬の尻をひっぱたたく。

 「ね、姉さん?!」
 「きゃ…」

 当然のごとくながら叩かれた馬は、空になった馬車を猛スピードで連れ去っていった。
 そしてシーラは、次に自分の愛馬のお尻にも気合を入れてやる。 「今までありがとね…」
 赤毛の軍馬は、ひと叩きされると、一度シーラに別れを告げるように嘶き、この場を去っていった。

 「これでいいわ」
 「……それで?」
 「歩くの」
 「……は?」
 「だからー、この両足で、森の中を、あ・る・く・の!」
 「イタイ! イタイよ姉さん!」

 それは痛いだろう。 シーラは女性とはいえ、帝国内でも騎士団長と並び称される程の剣の使い手なのだ。 そのシーラが、思いっきりランティスの腿を握り締めたのだから。

 「ああ、あのあの…シーラさん、ランティスにあんまり酷い事は…」
 「……ふん!」

 自分でも弟にイライラをぶつけているのが解っているのか、ティラに止められたら、すぐにシーラはランティスを離す。

 「良かったわね〜お許しが出て。 そうじゃなきゃ…ふっふっふ…」
 「ね、姉さん、な、なんか怖いよ…」

 抓られた? 個所をさすりながら、姉との距離をとろうとするランティスであった。

 「ふう……ま、冗談はいいわ」
 「じょ、冗談で人の……うぅ…」
 「いちいち反論しないの! それじゃー荷物はランティスが全部持ってね」
 「…え?」
 「……なーに? まさかティラ様に荷物持たせるわけにはいかないでしょう?」
 「あ、うん…」
 「わた、わたくしは構いません!」

 その言葉のあとには、替えの服が数着くるんである包みを持ち上げ様として「ん〜、ん〜」と踏ん張っているティラの姿があった。

 「…姉さんわかったよ」

 言うが早いか、ランティスはひょいひょいとそこらの荷物を背負っていく。

 「姫様。 どうかそれも」
 「すみません…お願いします……」

 どう頑張っても、持ち上げられなかったその包みを、ランティスはひょいと背負ってしまう。

 「わぁ、やっぱり殿方は違いますね」
 「ひ、姫様……」

 ゴン、とまたランティスの頭頂部に鈍い痛みがはしる。 シーラが指揮刀を抜刀せずにランティスの頭を叩いたのだ。

 「ね、姉さん! それシャレにならないって!」
 「ふん!」

 「さ、ティラ様。 急がないと追っ手が」

 何を今更、という感じではあったが、とりあえず事実なのでランティスの突っ込みはなかった。
 自分の身の安全の為に、あえてしなかった、というのが正確なところなのだろうが。

 「あの、やはり私も何か荷物を……」
 「ティラ様は歩きつづける事だけを考えて下さい。 酷なようですが、日が有る内になるべく森を抜けたいので」
 「は、はい!」

 緊張した面持ちで、ティラは返事を返す。

 「じゃランティス。 あんたは後ろをお願い」
 「わかった」
 「ティラ様。 くれぐれも私の側を離れないで下さいね」
 「はい。 よろしくお願いします」

 こうして三人は、不可侵とも帰らずとも言われた、帝国の外れにあるロックフォードの森に侵入してゆく。

 そして「クアーー!」と一声あげると、まるでその三人を追って行くように森の中へと進入していく一羽の黒い鳥がいた……。



―第二話へ―

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