『耕介最大の戦い
『耕介最大の戦い』


夏休みも終わり、そろそろ風が冷たくなってくる、九月のとある日の朝。

「じゃ、行ってくるね、お兄ちゃん!」

「行ってきまーす!」

「ん、気をつけてなー」

洗い物をしつつ、耕介は今出ていった二人、知佳とみなみを送り出す。

今日は、二人は大学なのである。

知佳やみなみ、そして薫も、寮からそう遠くない海鳴大学に通っている。

ちなみに真雪も同じ大学だったが、去年ようやく大学六年生を終えて卒業した。

それはともかく、今日も今日とて変わらぬ平和な日々。

……の筈なのだが。

「はあ……」

どこか寂しげに耕介が溜め息をつく。

洗い物をする手もどうにも緩慢だ。

「……耕介様? どうかされたのですか?」

「あ、十六夜さん……」

と、そこに十六夜が天井をすり抜けてやってきた。

「どこかお気分でも優れないのですか? なにやら覇気がないようですが……」

「え……。やっぱり、わかります?」

「はい。光を映さぬこの目ですが、そのぶん、『気』の流れとでも申しましょうか、
そういうものには敏感なので」

「ははあ……」

経験の差とでもいおうか。

やはり神咲の家の人たちを四百年も見守ってきただけのことはあるな、と耕介は感心した。

「実は……その、知佳のことで」

「知佳様?……確か、耕介様と知佳様は恋仲だったと記憶しておりますが」

「そうなんですが……」

耕介と知佳、二人は付き合い出して既に数年が経つ。

初めは紆余曲折あったものの、姉である真雪にもどうにか認めてもらい、今は特に問題は無い筈だが。

「どうされたのです?」

「……知佳、もうすぐ東京に行っちゃうじゃないですか。それで……」

「ああ……そういうことでしたか」

レスキュー志望の知佳は、この秋から東京で研修をすることになっている。

それだけなら耕介も耐えられないわけではない。

だがしかし、東京研修が終われば、知佳はすぐアメリカに発ってしまう。

それはつまり、しばらく知佳と会えなくなることを意味していた。

「俺も知佳のことは信頼してますし、応援してやりたいって思ってます。……でも、
いざその時が近づいてくると、どうにも不安になっちゃって……」

「耕介様……」

「はは……情けないです」

「いいえ、そんなことはありませんよ。私も別れは数多く経験して参りましたが、
寂しくなかった別れなど一つもありませんでした」

「…………」

重みのある言葉だった。

同じ別れでも、四百年を生きてきた十六夜にとっては、きっと耕介のそれよりも重い
―――『死』という別れ。

それを何度も味わってきた十六夜のことを思うと、耕介は少し悲しくなった。

「それに、きっと知佳様も同じお気持ちだと思います」

「そう……ですよね」

「差し出がましいかもしれませんが……別れの際には、自分の素直な気持ちを出された
方が良いと思います」

「素直な気持ち……」

「はい。相手のことをどれほど自分が想っているか……。それを、ありのままに伝えるのです」

(ありのままに……か)

知佳に対する想い。

これまで、自分の気持ちは素直に伝えてきたが、一つだけ、まだ言っていないことが
あった。

それは、伝えるのにとても覚悟のいることで―――とても、大切なこと。

それはありえないとは思うものの、万に一つ、拒絶されるかもしれない。

だが―――

「……ありがとうございます、十六夜さん。おかげで決心がつきました」

「いえ……私はなにもしておりませんよ」

十六夜は、耕介とは少し違う方に顔を向けつつ微笑んだ。





その夜。

「……で、なんだい、話って」

耕介は、真雪と二人で晩酌を交わしていた。

他の寮生はもう床についている。

一口酒を飲んでから、耕介は口を開く。

「……知佳、もうすぐ東京行きですよね」

「ん?……ああ、消防のあれか」

「レスキューですって」

「そう、それそれ。……なんだ、あたしを説得でもしようってのか?」

真雪は、未だに知佳がレスキューになることを認めていない。

半分意地で、もう半分は、知佳に危険な思いをさせたくないという姉心からだろう。

「いえ……。それは、俺じゃなくて……知佳がするべきことですから」

「ふーん……」

真雪は黙ってグラスを傾けた。

「……じゃ、なんだってんだ?」

「もしこのまま行けば、知佳は研修が終わったらすぐアメリカに行きます」

「…………」

「そしたらしばらく……もしかしたら、一年近く戻って来れないかもしれない」

「そう……かもね」

「それで、まだ知佳がここにいるうちに言っておこうと思いまして」

「……なにを?」

なんとなく、半ば分かりきった様子で真雪が訊ねる。

耕介は少し躊躇って、それからはっきりと、告げた。





「……知佳と、結婚したいんです」





言って、数十分は経ったように思う。

実際は一分にも満たないような短い時だったが、耕介にはとても長く感じられた。

真雪は、表情を変えずに、言葉を継いだ。

「……本気なのか」

「はい」

真っ直ぐに真雪の目を見据えて、耕介は答える。

「……条件、覚えてるか?」

「……『ステップ100 結婚:…条件・寮のメンツ全員の賛成を得る、そののち
仁村姉相手に、一本試合で勝利する』……ですよね?」

真雪作成の、『仁村妹・人生設計表・恋愛編』における最終項目。

「……知佳には言ったのか」

「まだです……。ちゃんと資格が出来てからにするつもりですから」

「そうか……」

「……覚悟は出来てます」

「…………」

真雪は、少し逡巡したあと、告げた。

「……一週間後だ」

「え……?」

「試合は一週間後。寮生全員が見てる前でやる」

「はあ……」

訳が分からずも、とりあえず返事をする。

「それまで、まあ思い遺しを片付けるなり葬式の準備なりしてな」

「えっと……」

恐ろしい事をさらりと言う。

しかも否定できない所がさらに恐ろしい。

「それと……どーせうちのやつらは反対なんかしやしないだろうから、別に言わなくてもいいよ」

「……いいんですか?」

「……いーよ、別に。ここんちの住人はお人好しばっかだからね」

「…………ええ」

『真雪さんもそうですよ』と言うのは止めておいた。

「じゃ……おやすみ」

「あ……」

それだけ告げると、真雪は部屋を出て二階へ上がって行った。

「なんか、拍子抜けしちゃったな……。どういうつもりなんだ?」

首を傾げつつ、耕介はつまみのスルメを口にした。





それから耕介がどうしたかと言うと……。

「……はーい、朝ごはんですよー」

至って普通に過ごしていた。

もちろん剣の修練はするが、それも家事に支障をきたさない程度だ。

(……いくら真雪さんとの試合を控えてても、ちゃんと仕事しないとな)

そう思い、真雪や知佳も含め、耕介はいつもどおりに寮生に接する。

そんな耕介に対して真雪は、

「……こうすけー、眠い。あたしの部屋まで運べ」

「はいはい……」

こちらも普段と変わらず、こき使うのだった。

あまりにいつもと変わらな過ぎて、耕介が『真雪さん、もしかして記憶喪失ですか?』と聞きたくなるほどだった。

怖くて口には出さなかったが。



そして、約束の一週間後。



寮生達が見守る中、二人は木刀を持って向き合う。

「あのー……。知佳ちゃん、なんで急にこんなことになったの?」

みなみが疑問を口にする。

それもその筈、知佳本人にすらこの試合の主旨は言っていなかった。

「さあ……。お兄ちゃんは、『お姉ちゃんに認めてもらうため』って言ってたけど……」

「うーん……。そうなると、やっぱり知佳ちゃんとのことかしら?」

それを聞いて愛が首を傾げる。

これまでにも何回か、こうして耕介が知佳とのことを認めてもらうため真雪に試合を挑むことがあったのだ。

……やる度に耕介が寝込んだのは言うまでもないが。

「そ、そうなのかな……。でも、もう大体のことは認めてもらったと思うんだけど……」

「へえ〜……。それはつまり、もうキスは言うに及ばず、夜の秘め事も済ましてるっ
ちゅーことかなー?」

「え、えーっと、それはその……」

「は、はわわわ……」

ゆうひのからかうような言葉に、知佳はおろかみなみまで顔を赤くする。

「当然じゃないか。真雪や愛が出かける度に、それはもう濃密な一夜を……」

「リリリ、リスティ! 覗いてたの!?」

「いーや? へえ、やっぱり事実だったんだ」

「……っリースーティー!」

近頃めっきり真雪に似てきたリスティの意地悪に、知佳が声を荒げる。

「どーでもいいけど、さっさと始めてほしいのだ」

「陣内……。そう急かすもんじゃなかよ」

退屈そうに呟く美緒を、審判役を務める薫がたしなめる。

「あいつらは……。こっちゃ真剣試合の直前だってのに」

「はは……。ま、仕方ないですね」

そんないまいち気の抜けた住人達のやりとりに、真雪と耕介は少々戦う気が失せていた。

「耕介様……」

「十六夜さん。……心配しないで下さい。俺は……負けません」

「はい……何も心配など、しておりませんよ」

十六夜が、優しく微笑む。

「言うねえ?……とはいえ、まあ確かに戦う資格はあるね」

「? それって、一体……」

耕介が怪訝そうな顔をすると、真雪は意地悪そうな笑みを浮かべて、

「あたしが試合を一週間先にするって言ったのはな、ちょいとテストをするためだったんだよ」

「テスト?」

「そ。もし、おまえがあたしとの試合があるからって仕事を疎かにするようだったら、
そんときゃ試合の前にここから有無を言わさず叩き出してた」

「……はは」

乾いた笑いを浮かべる。

「……お前は知佳の恋人である前に、ここの管理人だ。それを忘れやしないか試したん
だが……。ま、一応合格だ」

「……よ、よかった……」

どうやら、仕事の手を抜かなかったのは正解だったらしい。

それを思い、耕介はほっと胸を撫で下ろした。

「だが……本当のテストはこれからだ。……神咲!」

「はい」

言われて、薫が前に出てすっと手を上げた。

それと同時に、寮生達が水を打ったように口を閉じる。

「それでは、時間制限無し、真剣一本勝負……」

二人が、木刀を構えた。

ぴりぴりと肌を刺すような雰囲気の中―――

「始め!!」

耕介の、最大の戦いが始まった。





『ぐはっ!!』

「……え?」

……それは、一瞬だった。

神咲一灯流の皆伝である薫にすら見えなかった、真雪の一撃。

審判の薫が下がりきらない内に、耕介は地面に倒れていた。

「ごほっ、ごほっ……」

「……どうした、もう終わりか?」

耕介が喉に手を当ててむせている。

真雪は、木刀を突き出した姿勢を戻して再び構える。

「に……仁村さん! もしかして、いきなり喉を突いたんですか!?」

「そうだよ」

困惑気味な薫とは裏腹に、真雪は淡々と告げた。

「そんな、下手したら致命傷になりかねないような禁じ手を……」

「お、お兄ちゃん!」

ようやく事態を呑み込んだ知佳が声を上げ、耕介に駆け寄ろうとする。

「っ……来るな……知佳!」

「え……?」

だが、それは耕介によって止められた。

「まだ……勝負はついてない」

そう言った耕介の左手は、何か大きな衝撃を受けたかのように内出血していた。

「へえ……よく受け止めたな」

「こんな……始まったばかりで、負けてられませんよ」

立ち上がって、耕介は再び木刀を構える。

「……そうこなくっちゃな。いくぞっ!」

そして、二人は再び対峙した。

だが……。

どがっ!

「がっ!」

がぎっ!

「ぐっ!」

どずっ!

「ぐあっ……!」

「お兄ちゃんっ!!」

……試合は、一方的な真雪の優勢だった。

元々耕介は速度より力でねじ伏せるタイプだ。

対する真雪は、完全な速さの剣。

いわゆる『剛』と『柔』の戦いだ。

この場合、得てして剛の剣の方が分が悪い。

加えて、圧倒的な経験と練度の差。

なんとか僅かに軌跡をずらすのが精一杯だった。

だが―――

(耕介さんはまだ諦めていない……!)

薫がぐっと拳を握り締める。

ぼろぼろになりながらも、耕介の目はしっかりと真雪を見据えていた。

「はあ……はあ……」

(…………さすが、あたしが見込んだ男だ)

自分は全く手を抜いていない。

それなのに、耕介は紙一重で急所への攻撃をかわす。

正直、ここまでやるとは思わなかった。

(合格にはしてやりたいけど……ね)

元より、この男になら知佳を任せても良いと思っている。

だが、それをあっさりと認めることは、知佳を育ててきた姉としての意地が許さなかった。

(こうなりゃ……)

少々の傷を負うことを覚悟してでも、耕介と戦う。

それが、この男に対しての最大限の礼儀だった。

「そろそろ……終わりにさせてもらうよ、耕介」



「はあっ……はあっ……」

その真雪の言葉は、もはや意識が朦朧としている耕介の耳には届かなかった。

だが真雪が構えるのを見て、なんとなく察する。

(次が……最後の一撃だ)

これまでなんとか一本をとられるのは免れてきたが、それももう限界だ。

今や立っているのも辛い。

だが、倒れるわけにはいかなかった。

「剣の腕では敵わないかもしれないけど……」

言いつつ、木刀を上段に構える。

「俺は、知佳を想う気持ちなら……」

腰を落として―――

「誰にも、負けない!!」

耕介は、踏み込んだ。



(来る……!)

耕介が木刀を振りかぶって来た。

その一撃は、これまでの中で最も気迫の篭もった一撃だったが―――

(……腹ががら空きだ!)

いかんせん、大振り過ぎた。

(もらった……!!)

真雪は、容赦なく耕介の左脇腹に鋭い一撃を叩き込んだ。

が―――

がぎぃっ!

「なっ……!」

その一撃を、耕介が左肘で弾いた。

馬鹿な! あの一撃を―――

「うおおおおお!!」

耕介が、右手の木刀を真雪に向かって振り下ろした。

(やられるっ!!)

なんとか防ごうとした真雪の左腕に向かって、耕介の渾身の一撃が―――

(…………!!)

がっ。

(え……?)

―――入った。





「小手有り一本! そこまで!」

薫が、凛とした声で言った。

「はっ、はっ……」

「…………」

試合は、耕介の勝ちだった。

『やっ……たー!』

見守っていた寮生一同が、一斉に喝采をあげる。

「あ、なんだてめーら、その『やったー』ってのは!」

「だって、真雪が勝っちゃ面白くないし」

「耕介くん必死やったし」

「ってゆーか、まゆ、なんか悪役そのものだったのだ」

「ええい、黙れ黙れ黙れー! ったく、なんだよ、みんなであたしをいじめやがって……」

ぶちぶちと真雪は拗ねるように文句を垂れる。

「やったね、知佳ちゃん!」

「うん……うん……!」

理由は分からないが、耕介が必死に―――きっと、自分の為に戦って、勝ってくれた。

ぼろぼろにされ、それでも何度も立ち上がって。

それを思うと、知佳の目からは思わず涙が溢れた。

「耕介さん……お見事でした」

「ちぇっ……あたしの負けだよ、完全に。試合でも、想いの強さでも、な」

「…………」

薫と真雪がそれぞれに賛辞を送る。

だが、耕介は木刀を振り切った姿勢のまま動かなかった。

「……? 耕介?」

「お兄ちゃん……?」

知佳が駆け寄って声を掛けるが、それでも反応しない。

「もしかして……」

真雪が近づいて確かめてみると―――

「…………」

「……やっぱり。こいつ、立ったまま気絶してるぞ」

「ええっ!?」

驚く一同。

「た、立ったまま気絶って……本当ですか?」

「ああ。白目むいてるもん、こいつ」

「こ、耕介くん、ごっついなー……」

「……折角だから、なんか落書きでもするか」

「お、お姉ちゃん!」

「冗談だって」

慌てて知佳が耕介の前に立ち塞がって、真雪はさっさと引き下がった。

と、そこに、バランスを崩したのか、耕介が倒れてきた。

「え? わ、わわわっ……っと!」

それを知佳が受け止める。

自力だけではとても無理なので、念動も使ってなんとか支えていた。

「おー、お熱いこって」

「全くだ。こんな皆が見てる前で抱き合うとはね」

「ち、違うー!」

照れつつ知佳が叫ぶ。

「そう言えば真雪さん、結局この試合ってなんのためにやったんですか?」

愛がのほほんと訊ねてきた。

「ああ、それはな……っと、それは耕介の口から聞きな」

「……? なんで?」

知佳が不思議そうな顔をする。

それを見て、真雪はにやりと笑って言った。

「そりゃ聞いてのお楽しみだ。まあ――いいことさ。きっと、な」





それから少し時は経ち。

知佳が東京へ発つ日になった。

「じゃ……行ってくるね、皆」

駅のホームで、寮生一同で知佳を見送る。

十六夜も移動用位牌で一緒だ。

「知佳ちゃん……元気でな」

「知佳ぼー、達者でなのだ」

「うちはこんなことしか言えんけど……頑張ってね」

(遠くから、いつも知佳様の無事をお祈りしています)

「体に気をつけなよ。ボクとしては、喧嘩相手がいなくなるのは寂しい」

「知佳ちゃん……あたし、いっぱいメール送るね」

それぞれが、精一杯の温かい餞別の言葉を送る。

「知佳ちゃん……辛くなったら、いつでも帰ってきてね。
さざなみ寮は、知佳ちゃんのいて良い場所なんだから」

「……あたしゃまだ完全には認めてねーんだからな。
だから……無事に帰ってきて、早くあたしを納得させろよ」

「……うん。二人のお姉ちゃんに、心配かけちゃいけないもんね」

そして……。

「知佳……。俺は、いつまででも待ってるからさ。元気で……やってこい」

「うん! おにーちゃ……じゃないや。……あなた」

左手に銀色のリングを輝かせて、知佳は太陽のような笑顔で言った。



――To be continued to ''Tika'' ending…………





―後書き―

どうも、再びこんにちは。

今回は耕介と知佳の話でしたが―――
タイトルが似ているからと、前回と同じような話を期待して読まれた方、すいません(笑)。
まあ、少しでも多くの人に読んで頂ければ幸いです。

今回も、やっちさん、それにあるまじろさん、このような拙作を掲載していただきありがとうございます。
それでは。

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