(2000年6月稿 古典に触発されて)
お客さん、この店初めてなの? ほかの店と違ってここ、ちょっと高級だもんね。
お湯を張るまでの間、ちょっと待っててね。寒くない? あ、何か飲む? んーとね、コーラ、ウーロン茶、オロナミンC、スプライト、ビール。…あ、そうそう、冷酒もあるわよ。え?ビール?…でも大丈夫なの? 相当飲んでるみたいだけど…。
煙草はね、そこの籠にいろいろあるけど、どれ? ああ、キャスターマイルドはないのよ。マイルドライトでいいでしょ?
そろそろお湯、いいみたい。こっちに来てこの椅子に腰掛けてね。そうじゃないの、こっちを向いて座って。シャワーぬるくない?
* * *
あ、いいのよ、そのまま横になってて…。
あんまりしゃべんないのね、お客さん。そういえば、お客さんみたいな人、ほかにもいたわね。その人、K市の病院に勤めてるお医者さんなんだって。そ、ここからK市まで通ってる人でね、こっちには奥さんもいるんだってよ。子供は…? 聞いてないわね。そうね、30代前半ってとこかしら。子供、いるかもしれないわね。…ということは奥さんも30位か、下ってことでしょ。なのに、何でこんなとこに来るのって聞いたんだけど、なかなかしゃべんないの。
でね。ようやく聞き出したら、奥さんがここに来るように言ったんだって。ねえ。変でしょ? ふつうだったら、こんなとこに来るの、奥さんとても嫌がるはずよね。なのに、奥さんが勧めて来させるなんて…。そ、どうしてこの店の名前を知っていたかってことも不思議でしょう? そうよ。この店ご指名は奥さんだったんだって。変よねえ…。
その人ね、ホントに帰る時にケータイで奥さんに電話してるの。「あ、ぼくです。いま終わりました。いまから帰ります。」だって。笑っちゃったけど、ますます変よね。そんな風にして、もう何回かここに通ってるのよ。
え? 奥さんが冷感症じゃないかって? そうかも知れないわね。
でも、あたしそうじゃないと思うの。
奥さん、男がいるのよ、きっと。ご主人がおとなしいのをいいことに、自分の思い通りにしてるんだわ。家に男が来るから、帰る前に電話させてるんでしょ。ひどい奥さんだと思わない?
え? そうよね。あたしが怒ったって仕方がないわよね。
はい、こっち来て、洗ったげる。
* * *
そうね。どうしてもあたしたち、お客さんが他人に思えなくなっちゃうの。兄弟とか、息子とかね。あはは、あたしそんな年じゃないわよ。まだ20代なのに。もう、やあねえ。
でね。こんな仕事してるとよくわかるんだけど、こういうところに来る男の人って、さびしいんだと思う。そりゃ、エッチだけが目的で来る若い子もいるわよ。あたしはそういうがつがつした青臭い男、嫌いだけどね。でも、ある程度年いっててここに来る人はね、寂しいの。どっか満たされない何かがあるのよ。へへ、心理学でしょう? あたしこう見えても、そういうの大好きなのよ。
あ、何か飲む? またビール? 飲みすぎじゃないの? え? あはは、そりゃのど渇いたでしょうけどね。はい、ビール。あたしはウーロン茶にしようっと。
そうそう、寂しい男の話よね。どうしてかって言うと、3万円も払って、何もしないで話だけして帰る人も多いのよ。ただ話をするだけだったら、この近くに飲むところ、いろいろあるじゃない? だけどここに来なければ話せないんだって。え?周りがうるさいからだろうって? 違うのよ。真っ直ぐ1対1で向き合って話すなんて、こういう個室でなけりゃ無理でしょ? そこなのよ。
そんな人って、きっといつもないがしろにされてるんだと思う。いつも寂しいんだと思う。少なくとも自分がそんな状態だって知っているの。だから、こんな店に来て、自分だけを見つめて話してくれるってことが、とても嬉しいんじゃないかしら。ほら、こうして、肌を合わせてそばに座って、そしてお互いに見つめあって話ができるでしょ? 何にも隔てるものがないでしょ? この感じね。
さっきのお医者さんだって、何度か通ううちに、あたしを恋人か何かのように思ってくれるようになってね、最初は無口だったんだけど、よく話して、よく笑うようになったのよ。
そんなとき、あたし、この仕事やっててよかったな、って思うの。けっこう体力的には疲れるんだけどね。
誰かがあたしのおかげで少しでも安らげたんだ、なんて思うと嬉しいのよ。あはは、下手なカウンセラーなんかに通うより、この店に来て欲しいわよね。
* * *
あらあら、もうこんな時間。あたしひとりでしゃべりすぎちゃったわね。でも、お客さん、来たときよりはいい顔になってるわよ。最初は暗くって、どうしようかと思ったんだから。
じゃ、また来てね。うん。毎週火曜、金曜、土曜は出ているからね。
じゃ、ありがとう。バイバイ。