シュウジ
1
男の子は、わたしが同僚とカクテルを楽しんでいたホテル地下のラウンジにいた。はだしだった。私の幼いころによく見聞きした「浮浪児」然とした様子。人懐こそうに、あるいは人恋しそうに、歓談しているいくつものテーブルの周りをうろうろとして、そこここの大人たちに話し掛けている。すでに金曜日の深夜11時を過ぎているというのに、小学生くらいの男の子が一人でこうしたところにいるのは、なんとも奇妙な光景だった。周囲には、親らしい大人の姿は見当たらなかったのだ。
男の子は私と同僚のテーブルにやってきた。わたしは素知らぬ振りをして、シンガポールスリングのグラスを持ち上げた。
「映画観てきたんだ。『地獄先生ぬーベー』。おもしろかったよ。」男の子が同僚に話し掛ける。同僚は酔っていた。
「こんな時間に、お前、一人で映画見てきたのか。」
こう尋ねた同僚に、男の子は悪びれずに答える。
「うん。映画は一人で観たよ。落ちてたお金拾って、券買ったんだ。」
「お父さんかお母さんと一緒じゃなかったのかい。」目を丸くして私が言うと、
「お母さん、この近くで仕事してるんだ。3時になったらここに迎えに来るから、待ってろって。」
「ここのホテルで働いてるのか?」
「ううん。ここから、橋渡ったとこ。ほんとはオレもどこかは知らない。」
ここは中洲に近い。たぶん母親はそのどこかの店で働いているのだろう。あるいは、もっと近くの、「南新地」と地名で呼ばれる売春街での仕事なのかもしれない。わたしは子供を高級ホテルのラウンジに待たせてそうした仕事をする母親の気持ちを思いやった。どんなにか切ないことだろう。
子供は親を選べはしない。親は本能的にそれを知っている。だからこそ親は子供に不安や苦痛、悲しみを絶対に味わわせたくないものだ。やむを得ぬ事情で子供を置き去りにせざるを得ないこともままある。しかし、そのときの親は、子供が抱くであろう寂寥感、悲哀、不安を、身にひしひしと感ずるに違いないのだ。わたしにはわかる。わたし自身がそのような思いを何度も重ねてきたのだったから。
わたしは決して良い親ではなかった。どころか、わたし自身が子供であった。自身の寂しさと、自身の不満と、それを癒してほしいという求愛とだけがわたしの全てだった。子供の全てを包み込むような、大人の愛情を一度たりとも示すことはできなかった。そうした中で父親に振り回される子供の哀しさを、わたし自身まったくわかっていなかったわけではない。いや、むしろ悔恨とともにそれを痛感することがしばしばだった。どのように埋め合わせをしようとしても、癒されない傷はある。現にわたし自身がそのような傷を負ったまま育ち、いまこうしてここにいるのだ。
目の前にいる男の子は、わたしの子供であり、幼いころのわたしでもあった。人懐こく、だが少しおびえて大人たちの間を泳ぎまわる、悲しい幼魚。わたしには、母親は決してこの子を迎えにこないだろうという予感のようなものがあった。一方で、ぜひ迎えに来たところを見たい、そしてこの子といっしょにその嬉しさを分かち合いたい、という渇望のようなものも感じていた。
「きみはどこにすんでいるんだい?」私は聞いた。
「N町。兄ちゃんと、お母さんと3人で団地に住んでる。」
N町は、ここからバスで1時間以上もかかる場所だ。
「どうやってここに来たんだ?」
「自転車できた。」
「自転車はどこに置いてる?」
「歩道橋の下。」
「何ではだしなの?」
「途中の公園で遊んでいたら、靴がなくなったんだ。」
少年は真っ黒になった足の裏を隠すようにして答えた。
「本当にお母さんは、ここで待ってろっていったのかい?」
「うん。いつも金曜日にはここで待ってるんだ。」
したたかに酔った同僚が、男の子に聞いた。
「お前、何年生だ? 名前はなんていう?」
「3年。シュウジって言うんだ。」
ラウンジの閉店時間がきた。12時だ。同僚は「帰ろうや。」とわたしに言う。しかしわたしはシュウジをここに置き去りにして帰ることができなかった。シュウジは不安そうな顔でわたしたちの顔を見ている。すでにほかの客はずべていなくなっていた。
「どうするのさ、この子。ちょっとぼくはこの子の母親がくるまで待ってることにするよ。」
「人が良すぎるんじゃないか、それ。」
首をかしげながら同僚は帰った。
2
わたしはシュウジを連れて、ホテルの1階にあるバーへ行くこととした。そこなら2時や3時までは居ることができるだろう。
「お客様、お子様連れはご遠慮願っておりますが…。」バーの扉口で、白いブラウスと黒のロングスカートの若い女性が出てきて、丁重に言った。わたしは事情を話し、どこかで待たせていただけないだろうか、と頼んだ。
「そういうことでしたら…」とその女性はホテルロビーの、昼間は喫茶コーナーとして使っているテーブルとソファのある一角を指した。「こちらでお待ちいただくのがよろしいかと存じます。お飲み物もこちらにお届けいたしますから。」
わたしは、その女性がシュウジに対して同情的であることにほっとした。シュウジの風体はみすぼらしく、泥だらけで、おまけにはだしなのだ。このような高級ホテルにはまったく迷惑な闖入者のはずだ。それでも、事情を聞くと、その瞳を半分潤ませ、わたしに「おやさしいんですね。」と言い、シュウジのために、注文したジュースとカクテルのほかにクッキーまで持ってきてくれたのだった。
照明を少し落としたホテルのロビーには、わたしとシュウジ以外には誰もいなかった。遠く離れたフロントで、数人のフロントマンが会話している。
わたしはシュウジに聞いた。
「君はお兄さんがいるって言ったね。そのお兄さんは、いまどこにいるんだ?」
シュウジはジュースのストローを口から離して答えた。
「K町のシセツにいる。兄ちゃんはね、足が悪くて車椅子でなくちゃ動けないから、シセツにいるんだ。」
「お父さんはどうしたの?」
「知らない。兄ちゃんは、お父さん小さい時に見たことがあるって言ったけど、オレ、知らない。」
複雑な家庭なのだ。母親は父親に捨てられたのに違いない。わたしは、この兄弟をひとりで必死に育てている母親を思い浮かべ、思わず涙があふれそうになった。わたし自身が、この数年、妻と子供を捨てたも同然の暮らしをしているというのに。
「お母さんは仕事なら、3時より遅くなるかもしれないぞ。きみは家に帰って待っていたほうがいいんじゃないか?」
「家のカギがないもん。」
「持ってないのかい?」
「公園で、靴といっしょになくなった。」
わたしは溜息をついた。シュウジの話を聞きながら、早く家に帰らなければ、早く帰って、妻と子供たちを捨てたわけではない自分を確認しなければ、という思いがきざしていたのだ。しかし、ここでこの子を放置して帰るわけには行かない。乗りかかった船というのはこういうことを言うのだ。
3
3時を過ぎた。先ほどの女性が気遣わしそうな表情でわたしたちの前の空のグラスを下げていった。バーも閉店なのだ。シュウジは屈託なさそうに、ロビー中央の階段の手すりで遊んでいる。わたしはふかふかの椅子の背にもたれて、少しうとうととしたようだった。
どろどろとした夢だ。何かを急いでしなければならない、何かがわたしを待っているという焦燥感。それなのにわたしは身動きができない。わたしは一本のロープを握り締めている。そのロープはわたしの身体に絡み付いている。わたしがそのロープを引けば引くほど、ロープはわたしを動けなくさせる。・・・
「お客様、お客様。」
声をかけられてわたしは目覚めた。ホテルのフロントマンが2人、わたしのそばに膝を折っていた。
「あ、どうも。」完全に目覚めきれず、間の抜けた返事をしているわたしに、フロントの責任者と思しい一人が、眉をひそめて言った。
「事情はバーの職員からうかがっております。すでに4時を回っておりますので、もう、この子の母親は来ないだろうと思われます。この上は、警察を呼んでこの子を任せたほうがいいのではないかと思いますが…。」
眉をひそめ、事務的な慇懃さでそう言うホテルマンに、わたしは嫌悪を感じた。
「それはあまりに冷たいのではないですか? 母親はもう来ないかもしれないけど、警察にわたされたこの子の心の傷はどうなるんです?」
「いえ、冷たいというより…」ホテルマンは言いよどんだ。
「お客様にとってもご迷惑でしょうし、私どものできうる最大限のことと存じますが。」
「ぼくは迷惑していません。何なら、この子といっしょにこのホテルに泊まってもいいんですよ。」
わたしは意地になっていた。
「それは大変なことですよ、お客様。お客様にもご家庭がおありでしょうし…。」
「いえ。泊まります。部屋は空いてませんか?」
「空いていることは空いておりますが、でも、お客様、本当にそれでよろしいのですか?」
「いいです。もし、この子の母親がもし現れたら、ぼくらの泊まっている部屋に連絡してください。」
「では、ツインの部屋をご用意いたします。お客様のこの子へのご好意もありますし、シングルルームの料金で結構です。」
「ありがとう。ぼくは今現金の持ち合わせがないので、カードでもいいでしょうか?」
「結構でございます。」とフロントマンは答え、そして少し声を落として言った。
「もし、お客様のご家庭で何かございますようでしたら、私が証明いたしますので。」
わたしは出された名刺を受け取った。
何かある…? それは何かあるだろう。しかし何かがあったとしても、わたしと妻はきっとこのことで会話を交わすことはないだろう。妻は問い詰めたりはしない。わたしも弁解したりはしない。なにごともなかったかのように、冷え冷えとした空気をかき混ぜるのを恐れるように二人はそっとすれ違うだろう。わたしはそうやって、妻との間を凍りつかせてきた。それはこうしたことがあったからといって、変わることはないだろう。
4
シュウジとわたしはホテルの部屋に入った。いい部屋だった。わたしが出張で使うビジネスホテルとは格段に違う。広い部屋、ミニバー、広広としたバスルーム、大きな窓からは福岡市内の明かりが、黒いビロードの上にちりばめた宝石のように見えた。このような状況ではなく、愛する者と居るのであれば、ここはどんなにすばらしいロケーションだっただろう。
わたしはシュウジに、風呂に入るように指図した。あまりにも薄汚れていたので、このままではベッドカバーも、シーツも真っ黒になってしまう。わたしもスーツとシャツを脱ぎ、下着になって、シュウジとともにバスルームに入った。石鹸の泡をタオルに精一杯に立て、シュウジの身体をごしごしとこすった。すぐに泡が消えてしまうほどにシュウジは汚れていた。
「この前はいつお風呂に入ったんだ?」
「んーとね。覚えてない。」
わたしは必死にシュウジの身体をこすった。黒々としたお湯が、シャワーをかけるシュウジの体から流れていく。シュウジは鼻歌を歌っていた。かわいらしい声だった。先ほどまでのどこかすさんだ表情とは、がらりと変わっていた。
バスタオルできれいに水気をぬぐって、シュウジをバスルームから出すと、わたしもシャワーを浴びた。
バスローブを羽織って部屋に戻ると、シュウジがパンツ一枚で窓の外を眺めていた。シュウジのパンツは、薄汚れていた。わたしは自分の気の利かなさを改めて思い知った。下着も、そして靴も、わたしは何も用意していなかったのだ。しかし、そこまでしていいものかどうかもよくわからなかった。
シュウジを窓際のベッドに寝かせ、わたしも横になった。
だが、わたしは眠れなかった。うとうととしたかと思うと、激しい焦燥感に駆られて目が覚める。その焦燥感の正体が何であるのか、わたしにはわかっているような気がした。どこか間違っているのではないか、という感覚だ。だが、もう後戻りはできない。
5
ボランティアでホームレスの世話をしている人たちを、わたしは知っている。年末年始やお盆前後になると、日雇いで生活している人たちは仕事がなくなり、たちどころに収入を断たれ、公園や駅のコンコースにあふれるようになる。夏場ならまだいい。冬は、寒さと栄養不良で凍死する人だっているのだ。こうした人たちに、食事や毛布の差し入れを行なっている人たちがいる。わたしも何度かその手伝いをしたことがあった。
だが、わたしにはそうしたボランティアの人たちの崇高さとは、一種の線を引いた感覚があった。ひとを「支援する」ということを、わたしはどうしても自然にはできなかったのだ。どこまで相手の面倒を見ればいいのか、どこまで相手に深入りすればいいのか、これがわたしにはわからなかった。ひとに接するということは、そのひとに全ての責任を負わねばならないことであるかのような感情にとらわれてしまうのだ。
相手と同じ立場に自らを置かない限り何もいえないのではないか、相手ととことん付き合う覚悟がなくて人と付き合うことはできない、という強迫観念が生まれてきてしまうのだ。
わたしの「恋愛」においてもそれは同様だった。本当に愛したひとなどどこにもいなかった。妻との結婚も、その後流されるようにつき合ったいろんな女性にしても、わたしは「愛情」よりも「義務感」によってそのかかわりを深めてきたのだった。いったんつき合い始めたら、最後までつきあわなければならない…。すくなくとも、このときのわたしはそうであった。本当の愛情というものを知らなかったのだ。
シュウジとのかかわりにおいても、わたしは同じ原理でもって行動していたのだ。わたしの焦燥感の原因はそこにあった。わたし自身の内発的なものではない。「かくあらねばならない」という原理原則だけだったのだ。わたしは妻と子供たちを置き去りにしてこうしている。これは本当にわたしが望んだことであったのか。妻と子供たちへの一抹の罪悪感と、シュウジをこのままほっておくわけには行かないという義務感の狭間で、わたしは焦燥に駆られていたのだ。すでに状況はここまで来ている。それはさらに次の状況の進展を用意している。さらにその先も…。
6
そうしているうちに夜が明けた。起き上がると睡眠不足で目が痛く、頭痛がしていた。
シュウジは起き上がって、窓のほうへ歩いていった。シュウジもきっと眠っていないのだろう。カーテンを開け、那珂川の薄汚い流れに反映した朝日を見ている。シュウジの目は不安そうだった。悲しげな表情で、シュウジは何もしゃべらなかった。窓の外には朝もやが漂っていた。わたしもまた、何も言わなかった。
わたしはルームサービスで朝食を頼み、シュウジと二人で食べた。わたしには食欲がなかったが、シュウジは良く食べた。
「朝になったら、お母さんは家にいるのかい?」
「うん。朝はちゃんと家にいる。」
「じゃ、自転車に乗ってちゃんと帰るんだよ。」
「うん。わかった。」
わたしとシュウジの会話はそれだけだった。
食事を済ませると二人でホテルを出た。シュウジははだしのままだ。履物を買ってやりたかったが、店はどこも開いていない。自転車をとめたという歩道橋の下に行くと、シュウジは口をあけたまま呆然としている。
「ないよ。ここにとめてたのに。」
ああ、やっぱり、とわたしは思った。この繁華街に自転車を一昼夜とめておいて、無事に済むはずがないのだ。
「仕方ないね。バス代を上げるから、バスで帰りなさい。」
わたしは千円札をシュウジに握らせると、N方面に行くバスが出るバス停まで歩いた。はだしのシュウジは歩きにくそうである。
シュウジをバスに乗せ、手を振って地下鉄の駅へと歩き始めたわたしは、何か憑き物から解き放たれたように感じていた。
あるいは、わたしのシュウジへの行為は、これまで愛すべきであったのに愛さなかったことへの罪悪感から来ていたのかもしれない。わたしにとっては贖罪であったがゆえに、終わった後の解放感があったのかもしれなかった。一瞬そのような考えが頭をよぎったが、頭痛と目の痛さでそれ以上考え込むことができなかった。
わたしは土曜日の半日仕事に向かった。
7
こうして仕事を終え、帰宅したわたしに、妻は案の定何も聞かなかった。わたし自身も何も説明しなかった。弁解がましくなることを嫌ったのもあるが、わたしと妻はそうした突っ込んだ会話をしなくなってすでに5年以上が経過していたのだ。いまさらという思いもあった。つまり、この件について妻がどう思ったかを、わたしには知る機会はまったくなかった。
日曜になって、わたしの携帯電話にホテルから電話が入った。あのフロント責任者からだった。
「先日は大変ご親切にありがとうございました。」
「いえ。」
「実は、あの子が昨日も参りまして…。お客様を捜していた様子だったのですが、深夜までずっとおりましたものですから、私どもとしてもいかんともしがたく、警察に保護いただきました。そのことをお客様にご報告しておかねばと思いまして…。」
わたしは衝撃を受けた。してみると、わたしのしたことは、かえってあの子に余計な期待を抱かせた分、罪作りなことだったのだ。
「母親への連絡はまだ取れていないようなのですが…。」
説明しつづけるホテル職員の声が、遠ざかっていった。…それではいったいわたしはあの時どうすればよかったのだろう。ホテル側の言うように最初から警察に保護してもらっていればよかったのか。しかし、母親を待っているという、シュウジの言葉にうそはなかったと思う。それを信じる信じないに関わらず、放って置けばよかったのか。
はっきりしているのは、シュウジにとってあの一晩は、これまで垣間見たことのない世界を見てしまった夜だった、ということだ。知らないなら知らないですんだ幸福を、彼は知ってしまったのだ。これから二度と味わうことのない幸せをわたしはシュウジに与えてしまった。それが良かったのか悪かったのかは誰にもわからないだろう。しかし、あの幸福が二度と自分にはやってこないと知ったときの彼の喪失感をわたしは思わざるをえない。わたしの罪は、そこにあった。
「ぼくは罪作りをしてしまったようですね。」かろうじて、ホテルマンにこう言うと、わたしは電話を切った。
夢は見ないほうがいいのだ。すくなくとも、誰かが夢を与えてくれるなどという期待だけは抱かないほうがいいのだ。人を助けるのは、つまりは自身しかない。そのことをシュウジも、そしてわたしも知るべきだった。わたしがシュウジとこれから先ずっと生をともにし、彼にとことん幸せを与えつづけるという決意もなしに、シュウジに関わったのは間違いだった。中途半端な愛情を憐憫と呼ぶ。憐れみはその対象を貶めるのみで、決して幸福にはしない。わたしがシュウジに示した「愛情」は所詮憐憫の域を出ていなかったのだ。妻や子にすら、そしてこれまで「恋愛」もどきの関係にあった全ての女性にすら、さらには親兄弟にすら貫きとおせなかった愛情を、たまたま見かけた子供に最後まで注ぐことなどできはしない。であれば最初から何もしなかったほうが良かったのだ。
だが、わたしにはそのような見てみぬ振りはできない。もしわたしにそれができるときが来るとすれば、それは皮肉にも、本当の愛情というものをわたしが体得したときかもしれない。
その夜、わたしはシュウジの夢を見た。シュウジはわたしに対して手を差し伸べていた。あの夜明け、ホテルの窓から朝日を眺めていたときのような、不安で悲しそうなまなざしをしていた。
夢から覚めても、わたしの前にシュウジがいるような気がした。わたしはシュウジの顔を思い出すことができなかった。ただ、あの黒く汚れた足を思い浮かべるだけだった。
(了)