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彼の懊悩

(世紀の終了まぎわ、福音書からの連想)

 

 彼は悩んでいた。

 すでに彼に付き従う人々は数百人を超え、彼の一挙手一投足を注視し、彼の言葉をひとことも聞き逃すまいとしている。荒野には風が舞い、彼の声がひとびとにさざなみのように伝わり行く。

 ひとを率い、ひとが自らを一つの価値判断の基準としている重さに、彼は疲れ果てていた。ひとびとは彼を神に連なる存在だと思っている。しかし、彼は本当にひとびとに語るべきことをまだ口に出してはいない。

 「神など本当はいないのだ。あなた方が神と呼ぶものは、あなた方に都合よく想像されたものに過ぎない。いわばあなた方が神を必要とするがゆえに、あなた方は神を創り上げただけなのだ。よくよくあなた方に言っておく。あなた方の救いはあなた方自身で見出すしかないのだ。」と、ひとびとに対して語りたい衝動に彼は駆られる。しかしそれを言うことは、ひとびとへ混乱と不安をしか導かないだろう。そしてその結果、彼はひとびとにより鞭打たれるだろう。

 神はそれを必要とし、創り出した人間によってのみその存在を保証されている幻影に過ぎないことを、彼は知っている。そして彼自身についても、生身の彼はどこかに消え、ひとびとが作り上げた「神に連なるもの」というまぼろしのみが残っているのだ。彼はもはやそのように振舞うしかないのだった。

 彼こそが救いを求めていた。彼こそが苦しんでいた。

 「愚かな」と彼は思う。愚かなのは、彼の言動に左右されるひとびとのことではない。ひとびとが彼に求めるものを、そのまま与えてしまうかれ自身のことである。彼は自身の欺瞞を知っている。にもかかわらず、彼はひとびとの前にかくあるしかないのだ。

 彼がもし賢明であるのなら、そして誠実であるのなら、彼はひとびとに対し、自らの力で苦難を乗り越えることについて語っただろう。しかし彼はそれをしようとはしなかった。なぜならそのような言葉をひとびとは求めているのではなかったからだ。彼は求められるものを与えることしかできなかった。

 ひとびとは自らの苦しみを彼にすがって癒そうとしている。それもよかろう。彼はしかし、本来自ら乗り越えるしかない苦しみを、自ら以外の存在にゆだね、すがることができなかった。彼はひとびとのように安易に神を創り出すことができないのだから。彼は自らのみを頼らざるを得ないのだ。

 彼は孤独だった。彼が与える慰撫と救いは、ひとびとを安らぎに導いたが、では、彼自身の安寧は、どこに求めたらいいのだろう。必死に自らのみを頼りとして闘い、それでも彼自身のみでは乗り切ることができない精神の嵐は、誰が抱擁してくれるのだろう。そして、彼の欺瞞と愚昧を指摘し、しかも彼を愛し、許してくれる存在は、どこにあるのだろう。

 彼を愛し、抱擁しようとした女もあった。彼はそれを切実に求めようとした。だが、それも彼が「神に連なる存在」であることをひとびとが要求する中で、果たさぬままであった。しかも、春をひさぐことで生きていた女は、彼の「言葉」により悔い改めたのであった。彼に何ができただろう。女に彼の安らぎを求めることなど、できるはずもなかった。

 彼はひとびとがいつか彼を死に至らしめるであろうことを予感している。さもあらん。ひとびとは彼から、自らに都合のよいものを奪うばかりであり、決して彼とともにあろうとしているわけではないからだ。

 彼は明日の朝、ひとびとに対し、幻想の神に頼るのではなく、自らの根源に迫るよう語るつもりである。深夜、彼はオリーブがまばらに生えた岩山でひとり星を眺める。このまま生を終えることへの激しい悲しみが、彼の頬をぬらす。

 マグダラの娼婦よ、あなたは彼を生きているうちに抱くべきであったのだ。それにより、彼はどれほどに救われたことだろう。どれほどの安らぎを得ただろう。彼にとって、その言葉が書き留められ、伝えられることよりも、そのつかのまの慰撫こそが望むものであったというのに…。彼がその死を迎えたのちに、なきがらとなった彼をあなたは抱くが、時はすでに遅いのだ。

 数日後、磔刑の苦痛のさなか、神への言葉に仮託して、彼はかの娼婦に受け容れられなかった愛の言葉をはじめて告げるだろう。

 エリ・エリ・レマ・サバクタニ…どうしてわたしをお見捨てになったのですか…と。

 

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