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私にとっての山登りは、始めた当初は、「感動に出会うためのもの」でした。
再開した頃は、「ひとり沈思して、傷をなめるためのもの」となり、
その後は、「人とつながるためのもの」にもなり、
いまは、「出会う人に自然の言葉を伝えるためのもの」にもなっています。
何度も何度も登った山もあり、一期一会の山もあります。
一つの山でも、登るたびにいろんな出会いや別れをはらんできました。
その一つ一つが、とても愛おしい想い出になっています。
これから語るのは、そんな想い出のかけらです。

 

もくじ

英彦山(2010.5.30)

 


英彦山

 「山旅人」をハンドルネームとするひとがいた。 その訃報に接し、夫婦ともに呆然としたのは、つい先だってのことだった。
 今年も年賀状をいただき、健在を信じて疑わなかった矢先のことだ。確かに賀状には、闘病中との表現があった。しかし、しっかりと大地を踏みしめて山を歩く、かれの後ろ姿を知っているわたしも妻も、病に倒れたかれを想像できはしなかった。
 かれとの出会いは、インターネットの山のサークル『やまびこ会』だった。 ひょっとしたら、その前にこれもインターネットの掲示板『九州の山情報交換室』のオフ会でまみえていたのかもしれないが、そこは確たる記憶がない。
 いずれにしても、かれは北九州市を中心に活動するハードな山岳会のメンバー、わたしはお気楽な低山徘徊を主としていたため、ほとんど同行する機会はなかった。
 それでも一度だけ、英彦山を南岳から中岳へ周回する登山をかれが世話人として企画し、それに参加するという形で同行したことがある。

 実はこのとき、わたしにとって英彦山は三度目だった。

 一度目は、すでに記憶が曖昧になってしまっている。たぶん、81年の秋のことだった。
 このときは、正面登山道から登り、途中でリタイアしたのだった。妻(当時の)や友人たちと背負子に入った次男(1歳半ぐらいか)をおぶい、3歳の長男と5歳の長女の手を引いて登ったのだが、すでに10kgを超していた次男の重みに、どうしても登ることができなかった。一緒に登っていた若い友人に背負子を代わってもらったのだが、それからさきもわたしは歩けなかった。
 長女、長男と妻は何とか山頂に行ったのだったか? いや、確かわたしとともに、奉幣殿をちょっと過ぎたあたりで仲間が帰ってくるのを待っていたのだったろう。 情けなく悔しい記憶・・・。

 二度目は、2000年の10月15日、松山からおいでになったKさんとの山行である。 霧深い中、ほとんど二人だけの貸し切り状態で、ゆっくり楽しむことができたという記憶がある。やっと、はじめて、登頂する名山・・・。Kさんの屈託のない歩きと会話に、「ああ、自分はこんな風であっても、生きていていいんだ」と思えたのを、しみじみと思い出す。

 そして三度目が、山旅人さんとの「やまびこ会」オフ会登山だ。

 2001年8月5日、暑い日だった。正面登山道からではなく、南岳まわりの登りはきつく、ただでさえ汗っかきのわたしは、中岳頂上付近で太股の筋肉がけいれんを始めた。
 熱中症である。
 のどの渇きはひどいのだが、飲んでも飲んでも、すでに汗も出なくなっているくらい重症となっていた。いや、これは後付けの知識である。 この状態が、熱中症のレベルとしては非常に危険なステージにあることなど、当時のわたしには思いもよらなかった。知っていればもっと大騒ぎしていたかもしれない。ひとにも大きな迷惑をかけていたかもしれない。知らなかったのは、ある意味「いいこと」だったのだ。
 昼食休憩の際は、食欲すらなかった。それでも、たくさんの参加者から、水や果物などをいただき、何とか持ち直すことができた。だが、下りはけいれんとの戦いだった。「熱中症のけいれんには、塩分が効く」・・・これも後付けの知識である。そのときは水もなくなり、皆に付いていくのに必死だった。
 わたしがそれほどにしんどい状態なのに、山旅人さんはいとも軽々と、しかししっかりとした足取りで歩いていた。これが「山屋」の歩き方か・・・と感心させられた。自己流でトレッキングを始めたわたしなどとは、明らかに安定感も、速さも違う。何より疲れない歩き方だ、と思われた。 その日は同行の「きょんさん」という方の忘れ物事件や、そのほかにもいろんなことがあったのだが、 10年近く過ぎたいまとなっても目に浮かぶのは、山旅人さんの歩く、しっかりした後ろ姿だ。

 あの足取りで、天へと続く坂道を飄々と登っているかれの姿・・・訃報に接したときに一番に思い浮かんだ映像だった。

(2010/5/30)

 

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