■決断
「彼は、きわめて受動的に選択したにすぎない」

 雪が、降っている。少女に、男に、男の触れている手すりに、凍える大地にあるすべてのものに。元から白いこの建物も、完全な迷彩を施されて雪深い大地に埋もれていた。バルクローズ前線基地。別名雪の城。その屋上に、マルガリータは冬司と二人でいた。
 まるで彫刻のようだ。
 真っ直ぐに前を向く彼はどこを見ているのか、男の斜め後ろに立つマルガリータにはわからなかった。わずかに見える横顔、今はギミックをはずしている。顔半分を覆うほどの大きさのそれはデータバンクやスコープなど複数の機能をもつ機械だったが、作戦時以外、基地の中にいる間は大抵はずされているのが常だった。
「この結果はすべて、彼の行為によるものだ。誰が責任を感じようとも。あの時点で彼は……選び取る能力を持っていた。それを放棄したのだ。放棄するという選択をした、ということだ」
 言葉を選ぶような一瞬の間は、冬司自身のためではなく、自分に、一番適切に伝わる言葉を選ぶために使った時間だろうとマルガリータはぼんやりと思う。彼が言葉を選ぶところはそうあることではない。自分に対してそれだけ言葉を尽くす、つまり、それだけこの話を重要視しているということだろう。
 マルガリータが言葉の内容よりもそんなことに気をとられているうちに、男は後ろを振り返った。すぐ答えがかえらないことを苛立つ人間ではないということは、知っているつもりだった。だが視線が合うことで、身が震えだすのを意識して、マルガリータは手を握りしめる。
 冬司の顔に答えが隠れていないか、探す気持ちで彼の顔を、瞳を覗く。冬司の左目には縦に走る大きな傷跡がある。見えていないわけではないようだが、ギミックをつけていない今も彼は左の目を閉じていて、やはりその瞳は見ることができない。
「マルガリータ」
 答えを強要する声。静かだが、圧倒的な支配力を含む音。
 瞳が見えないせいだ。冬司の内心がわからないのは、彼が片方の目を閉じて心を覗かせないようにしているからだ、そう思う。だから、冬司と話すのは苦手なのだ。マルガリータは彼と話すたびに思うことをまた思い直し、ちょっとだけだけれど、と言い訳するように付け加える。
「私は」
 冬司の求める答えはわからない。けれど、マルガリータ自身、求めるものはある。言葉にできないほど、漠然としたものだが。
「彼にここにいて欲しいと思う」
「何故」
 それは。マルガリータは言葉に詰まった。冬司を説得できなければ、彼はきっと殺されてしまうのだろう、とは、言えなかった。基地に許可無く入り込んだ彼をそのまま放り出しては、基地の機密を守れなくなる。なによりこの基地はたやすく出入りができると風評がたてば、他者につけいる隙を与えてしまう。だから、殺す。その理屈けれど。
 マルガリータは唇を噛んだ。彼を弁護できるほど、マルガリータは彼を知らなかった。きっと、冬司は彼のことを調べただろう。現在の所属、住所、経歴、家系、思考タイプ、趣味、癖まで、調べられうるかぎり。マルガリータが何を言っても冬司の予想の範疇を越えたりはしない。的確に反論されるだろう。
 それでも、とマルガリータは思う。それでも何も言わないわけにはいかないのだ。黙っていることは、なにより冬司が許さないだろう。深く、肺に冷たい空気を吸い込む。思い出したように吸った空気はつんと鼻の奥を刺激して、痛かった。
「彼は、ずっと前からここにいたのだもの。部屋は空いているし。今更追い出す理由なんてない」
「彼を生かしてこの基地に置くことで生じるかもしれない危機的な状況や、仲間へ及ぶかもしれない危険を考えたか」
 冬司はすぐに問い直してきた。
「彼を受け入れることでそれ以上に危機を回避できることもある、と私は思う。──ねえ、冬司」
 名前を呼ぶ。と、初めて冬司の表情に揺らぎのようなものが現れる。
「私が望んでいるから、では、だめ?」
 私がみんなを守るから。言うと、冬司は肺に残っていた空気を絞り出すように息を吐いた。苦しくないのかと思うが、表情はわずかに笑っていた。すぐに息を吸って吐く、その間に笑みは消えていたが。
「あなたにそう言われてはしようがない。今回の決定で生じるすべての事象からあなたを守ろう」
「いいの?」
「いいも悪いもない。あなたは我々のリーダーだ。あなたの命令なら、拒むことはできない」
 そんな押しつけのような言葉はずるい。マルガリータは反射的に冬司をにらんだ。冬司といえば全く意に介さない様子でさらりと付け加えた。
「それに、あなたの選択は間違いだったことはない。間違いだったことはないと分析した自分の能力を信じるから、あなたの選択なら、拒む理由はない」
 にらむ表情がそのまま困惑へと変わる。マルガリータは一分も考えただろうか、一度小さなくしゃみをして、冬司を見直した。冬司は明らかに困ったような顔をした。
「戻ろう」
「ねえ、試してたの?」
 促されるまま屋内へと歩き出して、隣の男を見上げる。冬司は答えなかった。けれど、答えたならばこうだろうと思う。自分の能力を試したのだ、と。
>夢現

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