034:手を繋ぐ
あの天気の良い日曜日に、公園のベンチでふと入口の方を向いて俺は目を剥いた。待ち合わせをした大好きな人が、花束を持って、速足で歩いてきたので。
彼は大股で、右手に持った花束を勢い良く振りながらこちらに向かってきた。小さな白い花がはらはらとこぼれていた。
「何それ」
花束を指さす俺に、彼は「基本と気合のつもりだったんだけど失敗だった」と訳の分らないことを言って笑った。
そして。
勢いよく頭を下げた。花束を差し出しながら。
「俺とお付き合いしてください」
「お付き合い」
「お付き合い」
うなずいた彼の顔は少し赤かった。
「お付き合いって何するの」
手のひらで、自分の横のベンチを叩きながら尋ねる。無意識にそうしてから、『あ、今のは偉そうだな』と後悔する。いつもそうだ。
けれど、彼はいつも通り何も気にする様子なく、俺の隣に座る。
「一緒にご飯食べたり、セックスしたり、デートしたり」
「……今とどう違うの」
今日は天気の良い日曜日だから、この小さな公園にもたくさんの人がいる。楽しそうに笑う、家族や恋人たち。
セックス、とか言ってるバカはたぶん俺たちだけ。
「公表している場合には、知り合いの前で手をつなぐことができます」
手。
公表。カミングアウト?
俺の混乱には構わず彼は続ける。何故かですます口調で。
「公表していない場合には、相手に『本当はここで手をつなぎたいのだ』と伝えることができます」
『相手』と言うのはすなわち俺のことだろう。そうでないと困る。
「相手の浮気を咎めることができます」
さっきからなんだ『相手』って。他人行儀な。
「……してないよ、浮気」
「相手の浮気相手を刺しちゃうこともできます」
俺の発言を無視して彼はにこやかに言う。
「公表している場合には、無差別さつじ、……無差別傷害事件でないことを周囲に理解してもらえるし、そうでない場合も、少なくとも、相手には伝わります」
それは違うだろ。と俺は思った。
思ったけれど言わなかった。
泣きそうだった。
だって、俺は、『公表していないけれどお付き合いをしている』つもりだったんだ。
ずっと。
「それから、……泣いてますか?」
「泣いてないけど、泣きそうだよ」
真っ昼間の公園で。天気の良い日曜日に。俺は泣きそうだ。
「うわあ、どうしよう?」
「……なんでそんなに冷たいの?」
泣きそうになりながら、尋ねると、彼は、ますます笑みを深めて答えた。
「恋人じゃないから」
ああ。
「俺とお付き合いしてください、恋人になってください」
俺が下げた頭の上で、やっぱり彼は笑っているようだった。
それから、手をつないで公園を出た。
彼は空いた手にずっと花束を握っていた。
いつもの部屋で、俺はそろそろ離したら、とそれを指さしたのだ。
うん、と言って、彼がそれ小さく振った。
ごとり、と音を立てて、床に刃物が落ちた。
刃物。
俺はそれが何だったのか覚えていない。
果物ナイフだったのか、出刃包丁だったのか、裁ち鋏だったのか。
何故だかちっとも覚えていない。
ただ、ごとりと音を立てて、汚れた刃物が床に落ちた。
「ほんとは、もう、刺して来ちゃった」
えへへ、と彼は笑った。
あの、天気の良かった休日に、俺たちは手をつないでいた。ブラインドを下ろして薄暗い部屋の隅に。
二人の真ん中に、汚れた刃物が落ちていた。
終