025: のどあめ

私は彼女のことがとてもとても好きで彼女もそれを知っていて彼女はそれを利用した。
彼女は吸血鬼だった。

彼女は、綺麗な肌をしていた。
もしかしたら、毎晩処女の血でも浴びていたのかもしれない。まあそんなことはどうでもいい 。私は、彼女の綺麗な肌に触りたかった。彼女に、触って欲しかった。

彼女にとって私がただの餌でも全然構わない。少なくとも私は全校生徒九百六十人の中から選ばれた。たまたま近くにいたからでも、A型が好きだからでも、『ああ、肉まん食べたいなあ。え、今カレーまんしかないの?じゃあ、いいやカレーまんで』程度でも十分だ。とにかく彼女は、私の血を吸ってくれるから。少なくとも彼女の近くにいる二、三人の人間の中で、私が選ばれたんだから。

初めて彼女が私の血を飲んでくれた時のあの感じ、あれは絶対忘れない。何があっても忘れない。血が煮立つと思った。体中の液体が沸騰していると、そう、思った。錯覚だと分かっていても、でも、血はどくどく音を立てて流れていてぐらぐらと煮立っていてすごく、とても、熱かった。
彼女の柔らかい唇が私の喉に触れて彼女が私の喉に歯を立てて、ついさっきまで私の中を流れてた赤い液体が彼女の中に移動する。
最後に彼女が私の首を一舐めして離れた時には泣くかと思った。嬉し過ぎて。

土曜日の午後は月曜の放課後よりも平和だ。 特にそれが春のことなら。 おまけに彼女と一緒に歩いてるんだから平和どころじゃない。温かくて幸せで危険で大変やばい。
自転車屋の窓に映る自分の姿を見ながら市内で見かけられる制服の中で多分うちのが一番可愛くないだろうと思う。まあそれは私がいまだに膝下十五センチをきっちり守ってる真面目、と言うより買った時のまんまで着続けているめんどくさがりだからだろうけど。
ついでに私も可愛くなくて、隣を歩く彼女は可愛くて綺麗で、少なくとも私にとってはすごく好きな顔で、だから、とても困る。
「世界史の佐藤ってさあ、三位一体説の説明する前に毎年必ず『カトリック幼稚園出身の人はいますか?』って訊くんだよ。今年の一年も訊かれたってさ」
例えば、世界史を選択したことを最近猛烈に後悔している。
物理の授業についてける頭がない事が、すごく悲しい。
だって、彼女は倫理選択で、物理を取ってるから。
ずっと、このままずっと歩いてってもいいかもしれない。こうやってくだらないことを喋りながら。
「へえ。あれ、カトリック幼稚園だっけ?」
「まさか。あ、でも結構いるよね。市内の人だと」
ずっと、このままずっと歩いて行けたらいいのに。
「父と子と精霊の御名のもとに、ってか」
「アーメン。あ、飴食べる?喉飴だけど」
「貰う」
「梅とかりん、どっちがいい?」
「あー、梅ぇ」
私はわざわざ袋から飴を一つ取り出して彼女に差し出す。
そうすれば彼女の指が私に触れることになるから。
ずっと、このままずっと一緒に歩いてられたら、きっと幸せだ。
くだらないことを話しながら。げらげら笑いながら。喉飴を舐めながら。
すぐに歩き疲れそうだけど。
「でさ、あたしカトリック幼稚園の前の道路を五、六分進んで十字路渡ったとこ、そこにある美容院に行ってたんだけどさあ」
「うん?ああ、オレンジ色のだ」
「うん、あそこ。で、市内に教会ってあったかなあっと思って」
「は?あるでしょ。ってか、もうすぐ見えるだろ」
彼女は呆れた様子で前方を指差す。
「は?…あ」
「馬鹿」
「馬鹿はないでしょ、ひどーい。だって普段国道の方通ってんだもん」
彼女の指差す先にはちんまりと、緑の屋根の教会があった。

「あ、ちょい待ち」
丁度教会の前に差し掛かったところで彼女はしゃがみこみ靴紐を結び直す。

「嘘だけどさ」
唐突に、言いたくなって。突然、勇気が湧いて。急に、魔が差して。私は口を開く。
「は?」
彼女はしゃがんだまま手を止め、顔を上げて私を見る。
「嘘だけど、冗談だけど、生まれ変わっても一緒にいよう?」
「何言ってんの」
「いや、だって教会だしぃ。なんか言ってみたくて」
「馬鹿か」
彼女はもう一度下を向いて靴紐を結び直す。私は、なるべく普段どおりに聞こえるように、会話を続ける。
「ひでえ。あ、でも輪廻転生って仏教の思想だっけ。教会じゃあないねえ」
「あー。わっかから外れると地獄なんだよね。確か」
よっし、と呟いて彼女は立ち上がり私たちは教会から遠ざかる。
「ねえ。じゃあさあ、生まれ変わってもあたしの血、飲んで?」
これは賭けだけど、別に誓いの言葉みたいのが聞きたいわけじゃなくて。そりゃあ私は彼女のことが好きで好きでたまらないから愛してるなんて言われたらうれしくてしょうがないだろうけど。
でも、そうじゃなくて、そうじゃなくて、
そこまで言って欲しいわけじゃなくて、
そこまでは、いらないから、
だから、だけど、
「大体あたしらそんな簡単に死なないし。そもそも」
溜息をついて、前を向いたまま彼女は言う。
「あ、そう言やそおね」
『あたしら』って複数形に、私は動揺する。してしまう。かっこ悪い。
彼女が本当に吸血鬼なら、絶対に私が先に死ぬから。もっとも、死ぬまで一緒にいられるとも思えないけど。私が死ぬまで彼女が傍にいてくれるなんて、ありえないけど。
「あのさあ、いなくなる前にあたしのこと干乾びさせて?」
「は?何それ?」
「だから、どっか行っちゃう前にあたしの血、全部吸い尽くして飲んじゃってくださいってこと。…干乾びさせてって違うか。干乾びさして?あれ、なんか変かな。ねえ、『さして』って日本語として変?」
全部飲み尽くして全部吸い尽くして一滴残らず空にして、私をカラカラに干乾びさせてから、どこかに行ってくれればいい。

どこかに行ってしまう前に、私を空っぽにしてくれればいい。

土曜日の午後は平和で、春の午後は温かで、口の中の梅喉飴はすーすーして。
彼女は、また溜息をついてようやくこちらを向く。
「なんか、すげえ腹一杯になりそう」
「ヨロシクお願いします」

私は彼女のことがとてもとても好きで彼女もそれを知っていて彼女はそれを利用した。
彼女は吸血鬼だった。