009:かみなり

啜り上げる声に目を覚ました。
鬱陶しく泣き続ける女の声。
何事かと目を開いてそちらを見れば、白装束を身にまとった若い娘が蹲っていた。


いつからか、自分は神である。
その前は確かにヒトであった。
その頃何があったのかは、はて、曖昧だ。
年老いた父親に糧を与えるため息絶えたような、村人のため橋を守り濁流に飲み込まれたような。
まあ兎も角、何かの拍子に神になり、雲突く山の天辺の洞に篭りこうしてうつらうつら暮らしている。

娘が泣きながら訴えることには雨が降らぬらしい。
麓の村々は干上がり贄として娘を寄越したのだと言う。
貧しい村には過ぎた衣装を身に纏い、ひれ伏す娘は切れ切れに己が身を捧ぐゆえに雨を降らせてくれと懇願する。
ああ、どうやら寝過ごしたようだと立ち上がる。
神の端くれとしてこの山に祀られた自分の役目は水甕の守りだ。
ずるずると裳裾を引き摺り洞を後にする背中に、娘は覚え込まされたのであろう口上を呪文のように述べ立てていた。



疲れとも眠気とつかぬ重たさを抱えて塒に戻る。
洞の奥深く染み出た水の長い間をおいて滴になり落つる音ばかりの聞こえるその 静寂(しじま)を這い蹲って礼を言う娘の金切り声が裂く。

なるほど、これは空腹に似ているかも知れぬ、ならばこの娘を食らうかと爪を伸ばしたところで間違いに気づいた。

自らを贄だという娘は、きりきりと細い高い声でその身を捧げると繰り返す娘は。


肉を裂き血を啜ることではなく、麓の人間たちは側女の一人にでもせよと言うつもりだったのだろう。

純白の布を掴み開いてみる。
娘の肌は白い。
白い。

白い、が。

自分はそれを覚えていない。
ヒトであった頃にも知らなかった。
貧しい家に嫁の来てなどあるわけもなく、いや、自分は幼かったからだろうか。
大人たちの話す遠く離れた城下の色里など、おとぎ話と同じだった。
兎も角、それを、知らない。
知らないのだからどうしようもない。
眉間に皺が寄るほど強く目を閉じ、がたがた震える娘を見ると自然、ため息がこぼれた。



急がぬゆえ色事に長けた者を寄越すように。


告げると、娘は蒼白な顔をしてわっと泣き出し駆け出していった。

ヒトは良く分からぬ。
甕の栓を調節し中の水が糸のように細く流れだすのを確認するとまた、うつらうつらしだした。

いつからか、自分は神である。
その前は確かにヒトであった。
その頃何があったのかは、はて、曖昧だ。
年老いた母親を逃がすために熊に屠られたような、幼き子らを庇って炎に飲み込まれたような。
まあ兎も角、何かの拍子に神になり、雲突く山の天辺の洞に篭りこうしてうつらうつら暮らしている。