そう、それは自分には分かり切っていた。
矛盾する事。
それこそが美しいと、
それこそが貴重だと、
それこそが愛しいと、
そう定義されているのだ、世界は。


でも、その定義は絶対のものじゃない。
神様が決めた、という嘘はもう通用しない。
私には。
その定義ゆえ、人は矛盾に悩み、苛立ち、怒り、泣く。
実はそれは誰でも知っている。
考えないだけ…。
神様のせいにして考えないだけ。
そう、
思考停止…。


でも、私は考え続けた。
考え続けようと決めた。

「誰の為?」

そんな、もう一人の自分の問いすら黙殺した。


自分が例外であるために…。



浮遊特権



★出会う権利



 そんなプロローグを書いた後、ふと、周囲を見渡した。
 ツーン、という通電音を響かせている蛍光灯がある。
 現実の世界に引き戻されたのだ、私は。
 雑記ノートの下には参考書と教科書、数学の勉強用ノートそして辞書。
 思わず感心してしまった。
 ノートがデコボコして文章を書くには全く向いていない。むしろ書き辛い。にも関わらずよくも
まあこんなモノローグを…。
 改めて文章を読む。

「…傑作。」

 ここ最近の中でも、最も良い出来の文章だと思った。思わず笑みを浮かべてしまう。

「何でテスト前ってこんなに良いのが書けるんだろ…。」

 「ふしぎふしぎ」と一人おどけて見せつつも実は私は分かっていた。
 これは単なる現実逃避だ。
 現実逃避をしない少女を主人公にした文章なのに、それを書いている自分は現実逃避の真
っ最中…。
 何だか、可笑しくて「ぷっ」っと少し吹き出した。これがいわゆる「もののあわれ」というやつな
んだろうな。

 そう、思った矢先、階段が軋む音がした。
 私はもう、脊椎の反射命令だけで、ノートを部屋の入口からは見えない、机の陰になる方向
へ放り投げた。
 すると不思議な事に、それまで、現実逃避していた机の上が見事に優等生のものに変化す
る。用意周到にも、勉強用のノートは白紙ではなく、途中まで数式が書かれている。
 そして三つ数えて、自分の演技力を総動員した。
 多少、気だるそうな表情を作り、わざと、机に密着したような姿勢でシャープを握り締める。
 親撃退の体勢だ。

 でも、足音は無常にも、私の努力が無駄であると、言うように通り過ぎていった。そして、奥の
部屋の扉が開く音がする。姉の暁美が大学から帰ってきたのだ。
 姉の足音は母のものと良く似ていていつも勘違いしてしまう。
 私は盛大に溜め息を吐いて姉の部屋の方に目を向けてから、アメリカならば間違いなく殺さ
れる大変にお下品なポーズを取った。

 放り投げたノートを拾うために椅子から立ち上がる。
 演技の必要がないくらい、わざと面倒臭そうにノロノロと。
 だけど、床に落ちている茶色い雑記ノートを見ると、不思議と自分の中に嫌悪感が沸いてき
た。
 何に対する嫌悪感なのかははっきりしない。でも、自分に苛立っているのが良くわかる。
 さっきまで、モノローグを書いていたときのテンションは何処へいったのやら、一気に不機嫌
になってしまった私は、机の一番上の引出しから煙草と100円ライターを取り出して、ノートを踏
みつけつつ窓辺まで行くと、カーテンごと窓を開けた。
 一気に夜気が流れ込んでくる。
 熟練した指裁きで煙草の箱と叩き、飛び出た一本を咥えるとライターで火をつける。そして、
煙を口に含むと思いっきり深呼吸する。明らかにヘビーな喫煙の仕方である。
 幻覚だ、と分かっていても脳がクリアになった気がする。

「煙草の煙が、脳のフィルターになる…か。」

 そう独り言を言う。
 駄目だ、独り言を言うって事はナーバスになっている証拠だ。
 頭を振る。
 一気にそれまでおいしかった煙草が苦く感じる。
 …今日はもう寝よう。
 窓の上の外壁にある雨樋には水を吸って固まった幾つかの煙草の塊がある。その、塊に煙
草を押し付けて、窓を閉めようとした。

 その時、私の目の前をありえない光景がよぎった。

 え?

「……。」

 目の前を、人が歩いていた。
 バックに夜景を背負いつつ…。

「……。」

 あ、メガネかけてる…。

「……。」

 変に冷静だな、私。

「……。」

 …浮いてる? 
 …ここは二階だし…。

「……っ!」

 目が合った。
 向こうは驚いた表情でアルファベットのOの形に口を開いている。

 あ、上条…。

「……よ、よぉ。藤宮。」

 その声は幻聴のようにしぼんでいた。



     
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