このノーウッド少尉とブラカ中尉の心温まる取引が行われていた頃、「悠久の宴」号の通信室
に巡洋艦イエーガーから電信の電波が飛んだ。内容は海軍第一三九暗号に基づいている。

 さてその通信が無線である以上、盗聴は容易である。
 電波通信の開発と同時に電波吸収材の開発も進められてはいるが、こちらは実用までに後
十年以上はかかるだろう。盗聴防止の為、軍においては警戒・臨戦態勢中は必要事以外の無
線を封鎖するくらいだ。
 現状は新月の暗闇の中。例え巡洋艦イエーガーと「悠久の宴」号の間の海面から、黒塗りの
細長い鉄製の棒が飛び出した状態であっても、誰も気付く者はいなかった。
 もしその存在に気付いても、これが「盗聴用のアンテナ」である、という事に気付く者は皆無と
言って良いだろう。
 その盗聴用のアンテナから得られた電波を音に変換する仕事は機械が行うが、その音を書
き取り、解読するのは人間の仕事だ。
 分厚い眼鏡を掛けている男は、機械から流れてくる断続的な、そしてそのままでは何の意味
も無いツー・トンの音を記号で紙面に書き表してゆく。
 書き終えて一つ息をついてからその紙面を前に、胸ポケットから古びた分厚い手帳を取り出
し、素早く眺めるように見ていた。
 そして、あるページでピタリと指を止め、満面の笑みを浮かべた。

 「これだな…。ったく、軍人さんってのはいつもこうだ。もう少し遊び心のある暗号を作って欲し
 いもんだ。」

 そう呟くと、男は白紙の紙面に物凄い速さで、文章を綴って行く。右上がりの癖のある文字だ
が、読み難くは無い。この速さで正確な文字を書くのは尋常ではない技術だ。
 あっという間に紙面が埋め尽くされると、男は書き損じが無いかどうか、全文を目で追ってい
た。
 そこで、初めて男の量目は驚愕の為に見開かれた。

 「ええっ!?」

 思わずそう叫んだ。意識せず発した叫びに声帯が軽く裏返った。

 「どうした?」

 その男よりも一段高い場所にある席で、男の作業をただ眺めていた女性は煙管を燻らせつ
つそう聞いた。艶のある声である。
 大変に美しい女性である。座っていてもその長身が見て取れる。肌は日に焼けて本来の色で
はないが、しかし、きめの細かいすべらかなものだ。そして特徴的なのはその艶やかな直毛の
黒髪だ。単純に軽く結い上げているだけなのだが、そのシンプルさが、女性の美しさをさらに際
立たせていた。

 「え?あ、いや、ちょっと待っててください、姐御。」

 そういってから男は再び文章と記号の書かれた紙面と手帳とを見直し始める。そして、一つ
溜め息を吐くと、文章を書いた紙面を上段の姐御と呼ばれた女性の方に提出した。

 「すみません、姐御。これで間違いないはずです。」

 「さて、稀代のコードマン三世が思わず見直しをした情報ってのはどんなものかねぇ。」

 姐御と呼ばれた黒髪の女性はそう茶化してから、煙管を灰皿に叩き付けると、文章を受け取
った。

 「からかわないで下さい。ちょっとびっくりするような情報だっただけですよ。」

 女性は、その黒髪と同様黒く美しい目を文章の上に走らせた。
 文章の内容は以下の通りである。


     臨時連絡第三号
     『ジェシカ』より『ウー』へ
     不審船は友軍である事を確認
     総務官府所属武官中将一名
     大佐一名
     中佐一名
     少佐二名
     任務顧問の民間人一名
     計六名が乗船
     総務官府所属武官中将はジャネス公主である事が判明
     現在本艦に乗艦
     貴船の所有者シュタミッツ侯爵に面会を要求
     小型艇による貴船への乗船を許可されたし
     返信を求む


 女性は軽く嘆息した。

 「これはこれは…公主殿下が御出ましか。」

 「ええ、そのようです。いったい何しに来たんだか…。」

 「さあて」
 
 と呟き、女性は軽く身をすくめた。

 「少なくとも、我々の行動を知った上での行動じゃないだろう。何より我々の情報が漏れるは
 ずがないからな。スパイでもいない限りな…。」

 「しかし…だからと言って政治的な目的でもないでしょうね。ジャネス公主は王族であり、しか
 も女でありながら生粋の軍人だ。あくまで、軍事的な行動か…あるいは、単なる視察、といっ
 たことも考えられますね。」

 そこで、コードマンはわざと大きい身振りをして見せた。

 「で、どうしましょう?襲撃の方は。不確定要素が多い事を考えると、ここは涙を呑んで引き返
 しますか?。」

 その言葉に対して女性は軽く含み笑いをした。

 「そんなことしたら死んだ親父が怒り狂って生き返ってくるよ。」

 そして、女性は顔を引き締めた。

 「真剣な話、確かに、一体何しにきたのか理由が分からない、という点では不気味だけど… 
 実行面に関しては支障無いだろう。ほんの六人、人数が増えただけだし。それに、これは逆
 に…利用できるかもしれない。」

 女性は新たに煙管に煙草を詰めようとする。それを見てコードマンが苦言を呈した。

 「姐御、この船の酸素残量を考えてくれ。前みたいにみんな酸欠を起こすぞ。」

 「ふん、やっぱ何かと不便だねぇこの船は。戻ったらミケルに、空気を綺麗にする装置でも作
 ってもらおうか。」

 優美な眉を不機嫌そうに歪め、机上に煙管を放り出す。

 「不便って…この船があるから、何とかやってけるんじゃないんですかい?姐御」

 女性は軽く鼻を鳴らす。

 「ジャネス王女がどんな人物だかお前、分かるかい?」

 「もちろんです。」

 そういうと、コードマンは軽く考え込むように腕を組んで言葉を続けた。

 「軍人として大変な名声を持っている人ですね。陸でも海でも戦えば必ず勝つ。兵士達からは
 『戦いの女神』と言われる程信望が厚いですし、敵軍の兵士も彼女に惚れて裏切ったって話
 があるくらいです。二年前の戦争後はその武勲から公主位の身分に叙されました。」
 
 そこまで続けてから軽く肩を竦める。

 「…何にしても姐御に劣らず大した女ですな。」

 「…て言う事はさぁ、人質にするにはもってこいの重要人物だと思わない?」

 そこまで言うと、女性は意味ありげにコードマンに流し目を向けた。長い付き合いであるコー
ドマンだが、その艶のある美しい瞳に思わず見とれてしまう。
 だが見とれつつコードマンはニヤリと笑う。

 「通行税だけには飽き足らず、身代金も要求する気ですかい?姐御。」

 「当然の事をするだけよ。海賊として、当然の義務を遂行させて貰うだけ。」

 「義務、ですか?」

 呆れたようにコードマンは微笑んだ。

 女性は柔らかな笑みを浮かべると立ち上がり、机上に幾つかある伝声管の蓋を左から順番
に開いた。そして叱咤するような大声で言った。

 「皆、そのまま聞いて欲しい。計画を多少変更する必要が出てきた。十分後、臨時の打ち合
 わせをする。幹部は全員この艦橋に集まるように。」

 伝声管の向こうから、野太く、厳つい声が何十にも重なって返ってきた。

 「さてっと、思った以上に今夜は大きな獲物が掛かりそうだね。」



第一章 3へ続く




               
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