「ハッピー・バースデー、ジョシュ」
困惑する養父母の後ろで、驚愕に顔をこわばらせている弟に、言った。
10年ぶりだな、ジョシュ。
見違えるほど大きくなった。
俺の弟、この世でただ1人血を分けた俺の家族。俺を崇拝し、なんでも俺の真似をし、俺がどんな人間でも愛してくれる大切な弟。
この10年お前のことを考えない日はなかった。
盗賊兄弟の再会だ、ジョシュ。
しかし、弟は硬い表情のまま上着をひっつかみ、怒りのためか頬を紅潮させて俺を突き飛ばし、そのまま出て行ってしまった。
思わず苦笑いが出る。素直じゃないな、ジョシュ。10年ぶりに兄貴と会って嬉しくないのか…?
そう、怒っているんだな、ジョシュ。
10年前、俺がサヨナラも言わずに出て行ったことを。
「わああぁぁぁぁーーーッ!!」
弟の悲鳴で飛び起きる。またか。またあの夢を見たのか。
「くそっ」
舌打ちをし、ローブを羽織って弟の部屋へ急ぐ。
こういう夜に限って、自分の部屋で寝たことが悔やまれる。いつもは弟と同じ部屋で寝ていたが、昨夜はパーティーで遅くなって、弟を起こしたくなかったのだ。
弟は何かから身を隠すように、部屋の隅で丸くなっていた。泣きながら頭を壁に打ちつけている。慌てて弟の頭と壁の間に手を差し入れ、腕をつかんで、揺さぶった。
「ジョシュ! 目を覚ませ! 夢だ。ただの夢だよ」
しかし、弟はよけいに怯えて、つかまれた腕を振り払おうと力の限りに暴れた。
「はなして! たすけて! ウォルター! ウォルターッ!!」
「ジョシュ! 俺だ! 目を覚ましてくれ!」
養父母には聞かれたくない。
彼らは他人だし、こんな弟を見ていいのは俺だけだ。
こんな弟をなだめられるのも俺だけだ。
かわいそうだが、弟の口を手でふさぐ。
しかし、それが弟の恐怖に火をつけたようだった。
俺の指に噛み付き、さらに大声で猿のように泣き叫び、やみくもに暴れた。
「ジョシュ! 頼むから」
俺も恐慌にかられて弟を床に引き倒し、馬乗りになって押さえつけた。
胸をえぐるような悲鳴を止めたい一心で、弟の口を唇でふさいだ。
あの恐ろしい悲鳴は俺の口の中に消え、弟は正気を取り戻したようだった。
「ウォル…ター…?」
汗びっしょりで、すがるように俺を見上げる弟の、涙でいっぱいの瞳が痛々しい。夜の冷気の中で、弟の荒い息が白く光っている。もう春とはいえ、この時間はかなり冷え込む。
弟を抱き上げて、ベッドに運び、ブランケットをかけてやる。
「大丈夫か? あの夢を見たんだろ。すぐに起こしてやれなくて悪かった」
弟はしばらく放心していたが、俺が髪をなでてやると、長い睫毛をしばたたかせ、泣き濡れた目で真っ直ぐ俺を見返した。窓から差込む月明かりで頬が白く浮き上がり、この世のものではないような儚い印象を与える。
不安にかられて、弟を抱き寄せ、涙で汚れた頬を指でぬぐってやる。
「…つッ…」
さっき弟に噛まれた指が涙でしみた。手を引っ込めて月明かりの下で眺めると、小さな傷口からまだ少し血が染み出していた。
「ウォルター、血が…」
弟は俺の手をとり、傷ついた人差し指を口に入れた。血を吸い、傷口をおずおずと舐めてくれる。
「まるで血の誓いだな」
軽口をたたいたつもりだったが、弟は真剣な顔で俺を見、ふと思いついたように自分の人差し指の先に歯を立てた。
「ジョシュ!」
すぐに止めたが遅かった。弟は痛みに顔をしかめながら血がにじむ指を俺に差し出し、血の誓いの続きを待っているように、じっと俺の目を見つめた。
何かに急きたてられるように、夢中で弟の指に俺の指を押し付けて 2人の血を混ぜ、弟の指を吸った。弟も、もう 1度俺の指の血を吸う。
「永遠に一緒だ、ジョシュ」
「永遠にいっしょだね、ウォルター」
弟が嬉しそうに俺に微笑む。8歳の子供にしては大人びた表情だった。
愛しさに突き上げられて、弟を力一杯抱きしめ、気がついたら激しく噛みつくようなキスをしていた。
弟はされるままになっている。俺が何をしても怒ったことはないのだ。
弟の細い首をつかんで、その小さな体にのしかかりながら、驚愕の事実に俺は気づいた。
俺は欲情していた。
俺の実の弟に。
口の中に俺と弟の血の味が広がる。目まいがするようなキスに魂が飛ばされそうになりながら、頭の片隅で警鐘が鳴った。
やめろ。
お前の実の弟だぞ。それにまだこんな子供じゃないか。
ありったけの自制心をかき集めて、弟から身をもぎ離した。
弟はうっとりと目を閉じたまま、突然終わったキスの続きをねだるように、腕を俺の首にまわして唇を軽く開いた。
わかっちゃいない。キスの意味も。そんな顔を男に見せると、どうなるかも。
ふと、弟に怒りを覚えた。無邪気な顔で、そんな男を誘うような仕草をして、俺を一体どうする気だ? 全く悪いやつだ。許しておけない。
何も知らない弟をめちゃくちゃにし、泣かせたい衝動にかられた。
あまりに強い衝動に体が痛いほどだった。
だが、それも一瞬で過ぎ去った。無防備に俺に身を預け、俺を信頼しているこの世でたった 1人の弟に、そんな衝動を覚えたのが不思議なくらいだった。
長いため息といっしょに狂気を頭から追い払う。
よかった。弟を傷つけたりしなくて。
この弟に憎まれたら、俺は生きていけない。
弟の額と髪にキスをし、ブランケットを胸までかけてやった。
「おやすみ、ジョシュ」
弟はゆっくりと目を開け戸惑ったように俺を見上げたが、俺が手を取り笑いかけてやると、安心したように目を閉じた。
手を握ったまま弟の寝顔を見守った。規則正しい寝息が聞こえてくるようになってから、起こさぬようにそっと弟の手を離し、その唇に羽根のようなキスをした。
「さよなら、ジョシュ」
そのまま弟の部屋を出、養父母の家を出て、俺は 2度と戻らなかった。
Sacred blood oath
聖なる血の誓い
by Aiko