ある夜の特別な思い出<あるいはただの感傷>






「なぁ、コナーがヒゲをなんで伸ばし始めたか知ってるか?」



いつも通りドクのバーで飲んでた深夜に、ろれつの怪しいロッコが寄ってきて勝手に話し出す。
あれ?コナーは?と思い店内をスキャンすると壁際のソファを占領している。
寝てるわけではないようだ。紫煙と酒ビンが時折動く。
周りには数人知り合いが固まって、談笑してるようだ。

「きいてるかぁ!?マァーフィー!?」
「あ?あぁ!聞いてる聞いてる。で?なんだって?」
「聞いてないじゃねぇかぁ!だからなぁ!コォナァーのな、ヒゲ!ヒゲが伸びたワケだよ!ワケ!」
「ぷ!…ばっかだな、お前!ヒゲは勝手に伸びるんだよ!伸ばしたワケ、だろー?」

酒くさい顔を近づけて話されるのに辟易してカウンターの方へ顔をそらす。
もう相当に飲んでいるのだろう。
自分達がここに来た時にはこいつは、すでに多少酔っていたようだった。

「…おぅ!そうだ!とにかくなぁ、笑えるワケがあるんだってぇ!!」

タバコに火を点けながら、嫌な予感がした。
大概当たるもんだ、こういう予感てヤツは。

「なぁ……。お前、そのワケをなんで知ってるんだ?」

自分は知らない。ある日気づいたら剃らなくなって無精ひげを生やし始めたのだ。
確かに、あいつらしくないな、と思った記憶がある。
でもお互い何も言わなかったし、面倒になって自分も剃らなくなったし。

「はっはぁ!!ヤキモチか?ヤキモチか?みっともないぞぉ!」

判ってる。こいつは相当酔ってるんだ、と思う。しかし自分も酔っている。当然、手が出た。

「ぐ!…ぎゃ」

腹を殴って吐かれると面倒だったので裏拳で顔に一発。
そのまま後ろへ倒れこみそうになるロッコの胸倉をつかんでやる。
咥えタバコがロッコのヒゲぎりぎりまで届く距離に顔を寄せて言う。

「口には気をつけろよ」
「ひでぇ…。短気過ぎだぞ!お前!」
「利き腕じゃなかっただろー?良かったなぁ、左に座ってて!」

にっこり笑いながらロッコの顔をペチペチ叩く。絶句したロッコを無視して酒を煽る。
コナーも自分も、酒に潰れたことは少ない。
お陰で酔っぱらいの相手を少々の正気でするハメになる。今みたいに。まったくうんざりだ。
だから部屋で飲もう、と言ったのに…とコナーを思う。と、直前までの会話を思い出す。
やっぱり自分も結構酔ってるかも、と判断する。

「で・?コナーのヒゲのワケをお前が知ってるのは何でだって?」
カウンターに顔をふせ、そのまま寝の体勢に入りそうなロッコを起こす。
「んぁ?!!……ぁ、ぉぉ!そうそう!!」

多分この後、起こさないほうが良かっただろうことが、コイツの身に起こるだろうが。気になったのでしょうがない。ゴメンな、ロッコ。

「ははっ!あの日な、お前は…いなかったな、確か。3年前の夜だ。絡まれてなぁ!タチの悪いのに!」

あぁ…なんとなく判った気がした。これ以上聞かなくても。3年前…22歳のコナーは、笑っても笑わなくても、悪いがとても22歳には見えなかった。

「ロッコ、やっぱり止め…」

言いかけるのを気づかないで酔っぱらいは得意げに、楽しげに大声で話しつづける。

「まぁ、なんだ。あの頃はコナーも常連って程じゃなかったし。なんと言ってもあの面だったしな!みんな構いたくて構いたくってしょうがなくってなぁ!だからタチの悪いやつらが絡んでも皆で悪ノリしちまってな。
トドメはなんだったかな?
えっと『お姫様』?『犯らせろ』?『モノがついてるか見てやる』とか『酌をしろ』とか『尺をしろ』とかだったかな?まぁとにかく!言いたい放題さ!
誰かがコナーを押さえ込んだらな、とうとうキレちまってな!最後には皆ノされちまったのさ!…はっはっはぁ !!!……?」

覚えてる。それは覚えてる。
いつだったかヒッドイ怪我で帰ってきたのに理由を言わなかった事があった。…それだ、多分。
あの時のコナーはそりゃもう怖いくらい怒ってて、俺もしつこく聞けなかったんだから。
気が付けばバーには話し声が途絶えてる。…怖い。
コナーの方を振り向けない。無意識に口元に手をやって顎に触る。
咥えてたタバコを灰皿でもみ消し、不思議そうな顔で店内を見渡そうとするロッコを残して素早く隣から離れた。

「???…げっ ?!」

フラつきつつも頭を巡らたロッコの顔が引きつる。真後ろにコナーが立っていた。
……無表情で。
怖い。はっきり言って怖い。酒を飲むとキレやすいのは家系だ。
特にコナーは普段が温厚な分そのキレっぷりが怖い。下手すると、自分のほうが止めに入る羽目になる。

カウンターを離れて、さっきまでコナーが陣取っていたソファーまで下がる。

「いつから聞いてた?」

横に立ってる顔なじみに聞く。渋〜いモノでも食ったような顔で一言。

「ほぼ最初からだな」
「う〜わ…」

ロッコの明日の顔が目に見えるようだ。恐らく、腫れ上がっているに決まってる。
3年前みたいに。
あの、コナーが怪我をして帰ってきた日の翌日。
バーで見かける連中のほとんどが大同小異の怪我をしていた。当然、ロッコも。
理由は全員が言いたがらなかった為に、自分なりの解釈をして納得していたけれど。

……口止めされていたに違いない。固く固く、口止めしたはずだ、コナ−ならば。
そして、コナーは約束を守らない人間が嫌いだ。
3年が時効だと判断したロッコには悪いが、コナーに対しては時効は存在しない。

「ご愁傷様」
「止めないのか?」
「アレを ?!」

勘弁してくれ〜、と思うと同時にカウンターからも同じ台詞が。

「げっ!」

コナーが右手に持ってるのはライター。それはいい。
左手にあるのはアルコール度数の高い酒のビン。それもいい。
問題は中身がロッコに振りかけられていることだ。何をするかは明白だった。

「待て !! 待てって !! コナー !!!!

ロッコの悲鳴混じりの声も真剣味を増す。
咄嗟に手近にあったペールを掴む。ウォーターピッチャーも。
考えるより先にそれらを両手に持って、2人へ駆け寄りコナーに向かって氷と水をぶち撒ける。

「バカ野郎 !! シャレんなんないだろ! それは !!

気が付いたらコナーに向かって怒鳴りつけていた。
唖然としてるコナーからビンとライターを奪って、放り投げる。ついでなので頭を一発殴る。

「ってぇ――っ」
「当たり前だっつーの!火ぃ点けてナニすんだ?どうするつもりだったんだよ!その後 !!

頭に血が上っているのが判る。感情のまま怒鳴りつづけた。
逆にコナーは冷めてきたようで、固まったままのロッコへ謝る。

「…………。悪ぃ。ちょっと…やりすぎた、かも?…

…確かにコナーの本心だろう。
生きた心地の無かったロッコにしてみれば、ナニが『ちょっと』で何で『かも』なのか、と言いたくなるだろうに。
しかし当のロッコは固まったままだ。

「……」
「ちゃんと謝れよ!お前、もう少しでコイツに大火傷させるとこだったんだぞ!

なんでこんなにムキになっているのか?
ロッコとは特別親しいわけじゃないし、口止めされてたのを気安く本人の前で話すほうが悪い。

…酔ってるのか。あり得る。

でなきゃ、何で泣けてくるんだ。

「お前が傷害でサツに捕まったら、どうするんだよ !? オレに1人で暮らせってのかよ ?!! あぁ ?! できる訳ないだろ!そんなの !!

本音ってのは言ってから気づく。
しまった、と思ったがどうしようもない。

バー中の視線が刺さる。
笑えるくらいに静かだ。
顔が紅潮するのが判る。

コナーは。
そんなコト知ってる、とばかりに片眉を持ち上げて口元で笑う。

みんなは。
何言ってんだ?みたいな顔で、見合わせる。

そんな中。

「ぷっ…、ははっ!アッハハハハハ…!!!」

ロッコだけが。可笑しくてたまらない、と言いたげに吹き出すと、腹を抱えて笑う。顔をくしゃくしゃにして笑う様子が、小さいころ好きだった茶色い大きな犬を連想させた。途端に、なんだかこいつを悪い奴じゃないかも、と。思った。現金なモノだなぁ…と自分が可笑しかった。

「はははっ!あ〜〜〜おっかしい!…おまえ、おもしれえなぁ !! ……なぁ ?!!」

と、さっき自分に火をつけようとした男に同意を求めつつ、立ち上がり様にバシバシ背中を叩いて通り過ぎる。
その際、小声で「…恥じ、かかせて悪かったな」と囁いたのが微かに聞こえた。
多分ロッコは知っていたんだろう。コナーが自分に情けないところを見せたくないのを。
コナーがキレたのは、約束の反故じゃなく、知らせたくない相手に話した為だってことも。

そのまま、ロッコはいつもつるんでる飲み仲間のもとへ行き、何もなかったみたいに大騒ぎし始める。
他の客も。何もなかったように。
いつも通り、普段通りのそぶりで。
騒ぎなんかなかった顔で。
それは、無視じゃない。
仲間として認めたからこその、寛容だった。
オレとコナーは肩をすくめて、ドクに「ビール!」と注文し。
その夜は明け方まで騒ぎ、ロッコの家で寝た。

この夜に、親友と呼びあうようになるような特別なことは何も。何もなかった。
けれど、この夜のことがあったから、コナーは彼の本質を見たし。
自分はコナーの次に大好きだった、あの犬に似た親近感を持ったんだ。
だから。これは特別な夜の記憶だ。
ロッコを思うときに必ず思い出すような、そんな。
大切な思い出だ。



コナーはその夜のことを後に話してくれた。

「俺はこいつをあの時に好きになったんだ。それまでは、調子のいい奴だし、正直、嫌いだったんだぜ」と。

それを聞いたロッコは「おれはあの時にお前が嫌いになったぜ」と冗談を言っていた。


…今となっては。
そんな他愛無い会話も懐かしい。
25歳の、特別な価値のある、でもありふれた普通の夜の。
そんな思い出だよ。



















話し終えると、一筋。
マーフィーの左眼から涙が落ちた。
聞き終えたスメッカーは、素直にそれを。
キレイだと思った。
マーフィーの左隣に座るコナーは、まるで傷を負ったように辛そうな表情だ。
あの夜の詳細を聞き、ロッコの死を聞いた。
彼とはどんな知り合いだったのかを、興味本位で聞いたことを申し訳なく思う。
助けられなかったことを。
謝りたかったが、それは余計に傷を深くするだろう。
彼らもまた、助けられなかったから。
後悔でつぶれる様な信念ではないとは知っているが。
親友の死は、
彼らに影を落とすかも知れない。
その影が彼らの心の中にある光輝を翳らせることがないよう、密かに祈る。





ある夜の特別な思い出<あるいはただの感傷>

by valt





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