のらくろ親父の中国沙漠緑化奮闘記

1995年8月定年後最初の活動を中国の沙漠緑化ボランテア活動から開始しました。1995年は阪神淡路大震災で始まり、サリン地下鉄事件が発生しました。わたしは現役後期に何度か中国を訪問する機会があり、地球環境改善のために何か個人でできることないか模索しているときに沙漠緑化ボランテアの話を聞きました。この写真はわたしの行ったボランテアの皆さんの植林中の様子です。





世界の砂漠化は毎年、九州と四国を合わせた分の面積が進んでおり、12億人がその被害を受けています。特に中国の沙漠は日本国土の4倍もあり、中国の西部地区のごみ沙漠に発生した黄砂は日本にも飛来して深刻な被害問題を発生しています。
わたしが訪問した内モンゴル自治区内のグブチ沙漠は北京にも近く、沙漠化を防止するために10年まえから日本の植林ボランテア隊がポプラを植林して沙漠化した荒地を緑化して農業、林業、牧畜を復活することに務めてきています。
それが、全生涯を沙漠緑化に捧げた
日本の農学者遠山正瑛先生の創立した「日本沙漠緑化実践協会」の「緑の協力隊」です。その場所が内モンゴル自治区グブチ沙漠にある「恩格貝」という緑化実践前線基地です。ここは黄河を越えた太倉市の郊外に位置しております。東京から北京経由で3日目にやっと到着した辺鄙の地でした。

遠山正瑛先生と百万本植樹この写真は1995年8月にポプラ100万本植林達成記念植樹のときの遠山正瑛先生の姿をわたしが撮影した記念すべき写真です。この時の先生は88歳で、一年の大半を中国の沙漠で緑化事業の陣頭指揮をとられています。現在(2003年)も協会の会長を務められ、96歳の高齢ながら元気で指導をしておられます。
2002年10月に放送されたNHK「プロジェクトX”運命のゴミ沙漠”」は先生の足跡を放送されわもので、感銘を多くの人々にあたえました。
現在、グブチ沙漠恩格貝では
300万本以上の植林がなされ、緑の大地に変わりつつあります。そして中国、モンゴル国の沙漠の各地で30団体以上の日本のボランテア活動母体が活動して緑化事業が展開されています。遠山先生はこの活動の先鞭をつけられました。

高吸水性ポリマー液の効果は絶大です。沙漠は乾燥しており、保水力がないのでポプラの苗木が根つくまで約1年間、水の補給が必要になります。こららも現地日本指導員のもと現地の人たちが面倒をみてくれてポプラの木は育ちます。そこですこしでも根つくように、植林時、苗木の根に高吸水性ポリマー液を含有させた苗木を深さ70cmの穴を掘り植え付けていきます。(1000倍の保水力があります)
わたしたちボランテア植林隊の仕事はこの穴堀りと埋め戻し、散水、バケツリレーによる給水作業、草方格作業、枝打ち作業などがあります。
肉体労働作業が全てで、熟練は必要としません。情熱と使命感、全国から集まった少年から80歳の老人まで一つにまとまって黙々と植林作業を完成させた喜びが何年後大きく成長したポプラの大樹に再会したいとみんな思いは同じです。。

「沙漠の泉」ミネラルウオーターと西瓜元気に沙漠植林地は宿舎から30分車で行ったところにあります。午前9時から午後4時まで沙漠のなかで過ごします。ランチは懐かしいボンカレーと「沙漠の泉」ミネラルウオーター2本です。近在の農家が西瓜を売りにきます。後ろに見えるポプラの樹は数年たった若樹です。
一日30本ひとりが植樹する実績です。
朝と夕方に遠山先生の「沙漠講座」があり勉強します。植林の合い間に沙漠ウオッチングや小学校訪問、近在する農家の人たちとの交流などあり、8日から10日間のツアーは汗と涙と感動のすばらしい思い出を与えてくれました。

遠山正瑛会長とわたし
この写真は北京から東京に帰るときの機内の写真です。
先生はどこでも沙漠での作業衣と腕章をはずしていません。
24時間すべての時間を沙漠緑化に捧げているのです。
わたしの実父と先生は同じ歳です。