ニックネーム「のらくろ親父」の由来

私は1934年(昭和9年・戌年)の4月22日(戌の刻)に
東京下町(墨田区千歳町)に父石原悌二、母妙子の8人兄妹の次男として生まれました。

太平洋戦争時に田河水泡先生の名作漫画「のらくろ」はわたしの幼少時代に発行されたそうです。
田河先生の住んでおられた墨田区と同じ生まれ育ちということで、
「江戸ッ子」を自負してきたわたしには「のらくろ」に重なるものを感じて
定年後の生き方を「のらくろ」的生き方に重ねてまいりました。

庶民的でかざらない生き方つまり「寅さん」と「のらくろ」を合体した生き方をしようと
HP開設にあたり「のらくろ親父」を名乗ることにHPニックネームとさせていただきました。

わたしの半生記は昭和16年の大戦開始した年が小学校1年生(当時は国民学校と呼ばれました)

終戦の昭和20年が5年生、戦中は学童集団疎開(2年間)、
東京大空襲で借家は全壊、戦後は郷里千葉県土気町で貧しい生活を送り新制中学校(一期生)を卒業、
昭和28年に千葉県立工業高校(電気科)を卒業しました。

就職先は茨城県日立市にある総合電機メーカーの日立製作所日立工場に就職できました。
溶接エンジニアー筋に、関連会社勤務を含め43年間勤務しました。

在職中は大型の水力・火力発電機器の製造に従事して、
海外現地据付指導にインド・韓国・中国・アメリカと
短期・長期を含め貴重な経験をさせていただきました。
平成7年に定年を迎え、退職後は日立市の自宅に戻り
健康にめぐまれ充実した暮らしをしてまいりました。

2006年(平成18年)が戌年で72歳の年男、
一区切りとおもっていたらあっという間に、2009年(平成21年)で金婚式を迎えました。
そして今年、2014年(平成26年)は80歳を迎えます。
「のらくろ親父」から「のらくろおじいちゃん」になりつつあります。

このホームページでは定年後の19年間に完走した
海外マラソン大会(ホノルルマラソン・バンクバーマラソン)と
定年後の山歩きの記録を中心に掲載しております。
 幸いこの6年間フイットネスジムに通い体力増進・減量に効果をあげてまいりました。

今年2014年は80歳記念に5月にバンクバーマラソン、9月にハワイ島めぐりを
計画しております。

2020年は東京オリンピック開催の年です。私は米寿の歳を迎えます。それまでは元気で!!
これも家族、友達のサポートのおかげと感謝しております。(平成26年元旦記)

 


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