のらくろおやじの歳時記(日立から)

2007/2/15
変わり行く日立の街の様子を記録に残します。
日立の市街地の中央の高台にある小平会館の前庭から兎平にあった日立ライフ兎平店の取り壊し整地です。
昭和28年の春、私はここ日立市兎平にある兎平寮に入寮して社会人の第一歩をふみだしました。
整地された向こうの建物が兎平寮です。(新築された以前の木造2階寮が当時の寮です)
整地された日立ライフ兎平店は入社当時は兎平供給所とよばれわたしたち寮生にとっても
会瀬社宅の社員にとっても貴重な買物の拠点でした。会瀬社宅は取り壊され分譲地化が進んでいます。

私たちが始めて所帯を持った社宅は助川台アパート(昭和35年から42年間)は去年春取り壊されて更地になっています。
入り口に先の大戦で学徒動員令で日立の工場で勤労奉仕しながら昭和19年の米国海軍の艦砲射撃の犠牲になった学徒の慰霊碑が
残されています。ここ宮田・助川台の山麓で死者は317名と記載されています。
わたしは感無量で拝礼しながら戦争の足跡を残す遺跡をたずね孫たちに残したいと思いました。
2007/2/8〜2/9
日立アルプス縦走と奥日立きららの里合宿
2月に入っても温かい乾燥した日々が続いています。8日と9日の両日を使って日立アルプスの縦走を実施しました。
今回は日立市北部の小木津自然公園から出発して南部の風神山にいたる24kmの距離を歩きますが
途中に奥日立きららの里にあるケビンで合宿するので楽しさは倍増します。

小木津自然公園です。数年前はこの時期には池は全面氷結していました。アオジやシジュカラが観測されました。
1時間20分ほど杉と檜、広葉樹の山道をつめていき神峰公園口に下山する分岐点にでました。ここからは尾根道です。
2時間10分経過して羽黒山山頂(491m)に着きました神峰山までは2,8kmの表示があります。

3時間20分経過して神峰山(598m)に到着です。神峰神社に参拝してすぐ頂上です。
ここから日立鉱山の大煙突越しに日立市の市街が見下ろせます。山頂には大煙突が半分から倒壊した前のレプリカが設置されています。

奥日立きららの里は48haの広大の敷地の自然体験型レク施設です。貸し別荘型ケビンが利用できます。
今晩はケビンC(さくら)で山仲間できりたんぽ鍋を囲んで今年の山行計画に話し合いました。
奥きららの里の味工房そば処・里山で小休止です。ここの手打ちそばと野菜てんぷらはお奨めです。
野鳥ウソがさくらの芽をつまんでいました。
一晩おせわになったケビンCさくら越しに今日のぼる高鈴山が見えます。

きららの里から高鈴山へのルートで今日は一旦神峰山へのルートをとり尾根にでます。ここから向陽台へ下り
旧本山トンネルの上を御岩山へ、1時間30分で高鈴山山頂(623m)に着きました。
高鈴山山頂からのきららの里と里美方面の展望です

高鈴山から下山口の風神山・石名坂までは3時間40分の尾根林道をひたすら歩きます。
ちょうど中間地点が日立高鈴ゴルフ場です。ここから真弓山を経由して午後3時40分下山できました。
今年も2000米クラスの登山のために近くの山稜歩きをして足腰を鍛えなければ正直くたびれました。

2007/1/28
第55回勝田全国マラソン大会(1万人参加)の10km部門に参加完走しました。
記録は1時間09分57秒で去年より40秒改善できました。(男子70歳以上の部:72名参加)

ゴール地点で課題は減量です。
勝田マラソンには10年間参加しています。以前はフルマラソンの部でしたが
年々完走時間が7時間を越えてくるとゴール時点は午後6時過ぎで暗く気温も5℃以下で
体温も冷えて健康によくありません。10kmに替えてよかったと思います。
2007/1/22

里美村(現在は常陸太田市)の里美富士(さとみふじやま)標高638mに登ってきました。
写真は登山口の小妻部落からみえる写真で中央に見えます。
茨城県内で富士山と地元でよばれている山は15山あるそうです。
今年は県内の富士山めぐりを楽しみにしています。
今回の里美富士のコースは薄葉沢沿いの滝めぐりからのどかな棚田の集落にでて
里美村の天然記念物「下妻の笠石」を見学いよいよ登山です。
今朝は冷え込みがありあり霜柱の田んぼあぜ道を渡って杉林地帯から
上ります。楓や松の尾根道にでましたがどこが頂上かわかりません。

やぐらの組んであるこのあたりが高度計からみて頂上です。さらに下っていくと三等三角点があり
祠が祭られている前富士山にでました。ここが富士山です。くだりは尾根伝いにきつい傾斜を慎重に進みます。
3時間30分の早春の山歩きでした。帰りは生田の滝郡を見学して国道345号線を常陸太田経由帰りました。

2007/1/1元旦
穏やかな晴天の元旦を日立市中央の助川山の山頂で迎えました。
およそ100名の大勢の市民が山頂から初日の出を待ちました。感激です。


6時49分太平洋上に太陽が現れました。感激!

現役時代の戦友たちは山好き野鳥好きの仲間です。

2006/12/31

大晦日です。今年1年をふりかってのわたしの想い出は海外マラソン5月にバンクバーを12月にホノルルを走りきったことです。

ダイアモンドヘッド40km地点で7時間4分通過「生涯マラソン現役で!」今年想い出の一枚です。


2006/10/16〜10/18
キャンプin御前山・那珂川
10月中旬に入って天候が安定してます。わたしたちの山友だち仲間と今日から3日間、
茨城県東茨城郡城里町(旧桂村と七会村)
の那珂川のほとり那珂川大橋のそばのキャンプ地にテント設営して
カヌーくだりと御前山・赤沢富士のハイキングを計画しました。

キャンプ場でのテント設営
今回のキャンプの目的の一つは野外料理研究会です。各人が腕をふるって料理を披露してくれました。

第2陣はしゃけのジャンジャン焼きです。生鮭に味噌と香辛料を加えアルミ箔でくるみ竹炭焼きでいただきます。
二日目は那珂川のカヌーくだり体験です。
出発地点は上流の烏山町の烏山大橋の下流上境からキャンプ地の那珂川大橋まで20kmを3時間30分で
下ります。わたしは始めての経験でワクワク・ドキドキです。
用意されたカヌーは友人所有のフオールデングカヤックとカナデアン・カヌーです。

カヌーの組み立ては慎重に手順通り組み立てていきます。

いろいよ出発です。途中一回は転覆するかもと覚悟をきめます。
この時期水量は少なめで川の中のどのコースを取るかが肝要です。
川の流れのなかにも瀬があり、本流の波たった激流もあります。
特に橋の下を通過するにはどの橋桁を取るか慎重に進みます。
あらかじめ通過する橋の上から観察して流れや深さを予測しておきます。
途中大瀬の川岸で焼き蕎麦をいただきました。
あと半分強の下流ですが流れはゆるやかになります。
那珂川には釣り人がおおぜい釣り糸を垂れています。
カヌーは邪魔です。「すみません」と声をかけながら進みます。
カルガモがいて野鳥観察を川から見るのも興味があります。
浅瀬でカヌーが底を川石にこすり進めません。挺の外にでてカヌーを誘導します。
流れにそって飛び移るのにコツがいります。
新那珂川橋を通過するとここが栃木県と茨城県の県境です。川の流れはゆるやかになりました。
その分ダブルプレートバトルの漕ぐ手に力がはいります。
やっとゴールの那珂川大橋が見えてきました。やりました。万歳!!
ちょうど時速7kmのスピードでわたしのマラソンスピードより早いカヌー速度を実感しました。
カヌーの達人タムさんタガさんヒラさんのおかげです。


キャンプゴール地点に着きました。
3日目はハイキングです。まず御前山を登ります。
那珂川大橋の手前からすぐに東登山口があります。
すぐにブナやモミ、ホウの巨木の森林地帯にはいります。
これは幕府の庇護を受けて樹木の伐採を禁止した御留山としての歴史があります。
御前山という名前の御前という意味は貴人の敬称で考謙天皇(女帝)
がここを居住したことに起因します。
そういえばここを流れる河は皇都川と呼ばれています。茨城県の探鳥スポットでもあります。
御前山は標高154mと低山で見晴らしはここから10分ほど進んだところにある鐘撞き堂跡がスポットです。
ここからこれから登る赤沢富士の丸いなだらかな山容が望めます。
御前山鐘撞き堂跡からみえる赤沢富士
赤沢富士の登山口はここから西登山口まで15分ほど下り赤沢林道に出ます。
すぐそこから赤沢富士の登山標識がありのぼり始めます。
がさ薮のあまり整備されてない小道を尾根伝いに苦労して進みます。
40分ほど薮漕ぎでうんざりさせられてやっと御前山林道にでました。
小休止してさらに5分ほど林道を行くとやっと赤沢富士登山口の道標にでました。
ふたたび低木倒木をまたぎながら50mほどのぼり頂上にでました。
頂上といっても登山道の脇であまり樹木間からの展望はひらけません。
2等3角点の標識がありました。


記念写真をすませて帰りは御前山林道を西登山口のある釣り堀り小屋ゲートにでます。
鍵がかかっておりゲートの柵の下をくぐってやっと赤沢林道に
でました。ここからは15分ほどでキャンプ地にでます。
途中ミズナを採っているおばあちゃんにあいました。
テントを撤収して3日間の合宿はおわりました。日立まで35km常陸大宮、常陸太田経由です。

2006/10/04(水)
寅さんのふるさと葛飾柴又再訪

今年渥美清さんが亡くなって10年目になります。
京成柴又駅まえ広場に建立された「フーテンの寅像」の除幕式が
行なわれたのは平成11年の8月29日です。
この日山田監督・倍賞千恵子さんらが参加され私も大勢の見物人のひとりでした。
ですから今日訪問するのは5年ぶりになります。


高木屋老舗は映画「男はつらいよ」のロケ現場として有名で店の壁には当時のスチール写真がかざられていました。
わたしの大好きな映画「生きる」の主演男優志村喬さんの温顔がかざられていました。


帝釈天参道を歩いた先が柴又帝釈天題経寺です。
帝釈堂彫刻ギャラリー大庭園を見学後、葛飾区山本亭をまっわて
今日のメイン見学先の葛飾柴又寅さん記念館で
私たちの昭和の時代をビデオとミニチアセットでどっぷり浸ることができました。
午後からのハイキングは矢切りの渡し船で対岸にある千葉県松戸市に渡ります。
乗船口では福島県出身のおじさんが矢切りの渡し安全藁草履を手つくりしていました。


江戸川を渡るこの渡し船は江戸時代は重要な関所をかねる交通機関だったそうです。
わずか5分ほどのゆったりした櫓にのせてわたしは「矢切りの渡し」を口ずさみました。
この歌は細川たかしのヒット作で有名ですが
わたしはちあきなおみの唱歌もすきです。
矢切りの渡しの由来はという地名は千葉県側の下矢切地域からとったなまえです。
柴又と違って一面畑でいまは長ネギが栽培されています。
「野菊の墓」の記念文学碑がある西連寺にはこの畑のなかを15分ほど歩き丘をすこし登ったところにあります。


小説野菊の墓は伊藤左千夫の小説です。正夫と民子の悲恋のあわい物語は映画化されました。
伊藤左千夫は成東の出身でわたしの
少年時代すごした山武郡にあります。
純粋だったあのころにタイムスリップしてわたしは感傷的になりました。

ちょうど3時の時報に合わせ釣鐘堂での鐘の響きが境内に響いておりました。
名物の草だんごをおみやげに金町から松戸乗り換え常磐線普通電車にゆられうとうとしながら無事に日立にもどりました。
万歩計は1万31千歩いい運動になりました。

2006/09/18(月)
ぶどう狩り・梨狩りin常陸大田市郊外
味覚の秋です。私の住んでいる日立市の隣り街が常陸大田市です。水戸光圀公の西山荘や光圀公の墓のある
瑞龍山のふもとの瑞龍ぶどう郷に巨峰観光ぶどう園のひとつ武藤英二ぶどう園があります。
ことしもお邪魔して味覚の巨峰の味を楽しみました。
それから茂宮川に沿った小目町の観光山田梨園を訪問します。今は二十一世紀の梨が最収穫期です。
栗もおいしく、土木内の田んぼでは稲刈りが
はじまりました。わたしは毎朝久慈川沿いのこのコースが好きです。
コスモスの花が咲き、朝の気温も18℃までさがりました。



2006/8/07(月)〜08(火)やっと盛夏です。海水浴in久慈浜ビーチ

 2006/7/2(日) 回想・想い出探し(NO4) 横須賀長浦を訪ねます。
わたしは昭和54年から平成7年定年退職まで、横須賀市船越町の長浦港岸壁にあったHME田浦工場で勤務いたしました。会社は原子力・火力発電機器の補機の重要溶接構造物を生産する工場で当時、国内の原子力発電所建設がピークを迎えた多忙の時期でした。ですからいろいろと想い出がここに詰まっております。わたしの定年退職後、会社は日立地区の会社と合弁となり、田浦工場も閉鎖されました。今日訪問した時は一部を倉庫会社が利用しておりましたが、当時の設備は完全に撤去されていてクレーンも撤去され全くの空工場になっていました。所々に当時の掲示板のあとやそこに痕跡がのこりなつかしいの気持より寂しい気持がいたしました。今朝は日曜日岸壁で釣りをしていた同僚に逢いその後の友人たちの消息と想い出話にしばらく歓談しました。隣接の関東自動車の工場も移転され空き地になっておりました。わたしの過去を顧みる感傷の旅はこれからも続きます。
左の写真は当時の工場をバックの私の写真です。
次の写真は今日訪問したちの同じ写真です。
 
2006/6/27 ご苦労さま 日立市神峰公園のSL(ハチロク)青森県弘前市へお嫁入り
日立市神峰公園の名物蒸気機関車(愛称ハチロク)は大正2024年(大正13年)に山口県の日立製作所笠戸工場で製作され46年間運転されその走行距離は232万キロ地球を58周という実績を持って現役引退後は昭和45年より神峰公園に設置されました。しかし最近は腐食磨耗も進行して廃棄が決ったところですが青森県弘前市のNPO法人「五能線活性化倶楽部」に譲渡引き取られることがきまりました。嫁入りまえの手入れでボイラーから煙がでるのを見ると感無量です。会いたい時は広前市に行って五能線にいけば会えます。わたしもこの保存に関係した経緯があり感無量です。





 

2006/5/3 はなみずき 田植え 鯉のぼり
今年もゴールデンウイークを迎えました。
今日からさわやかな五月晴れです。わがやの庭のはなみずきも白い花を咲かせています。
農家は待ちに待った田植えの繁忙期で休みどころではありません。
ジョギングしながら久慈川沿いの田園風景に接して生き生きとした気分になります。
久慈川土手を親子でサイクリングする健康家族に会いました。
鯉のぼりが元気よくはためいていました。



2006/4/23 日立ゴルフ場、新田次郎記念碑、神峰公園・機関車、日立郷土博物館
ソメイヨシノさくらも満開をすぎて、いまは山さくら、八重さくら、大島さくら、しだれさくらが美しく咲いています。
日立郷土博物館で開催中の「加守田章二と竹内彰-大甕陶苑からの出発」特別展示展を見学しました。
二人の陶芸家はわたしと同世代の人で大甕陶苑はわたしの自宅ちかく、大甕ゴルフ場に隣接されています。
息子の結婚披露宴も大甕クラブで開催していただきましたし、
引き出物は大甕焼きの茶碗セットはいまになったら貴重なわがやの文化遺産になっております。
郷土日立市のさくらは平成2年に日本のさくら名所100選に認定されています。
新田次郎の小説「ある町の高い煙突」の記念碑が神峰公園頂上にあります。
隣接の日立ゴルフ場ではゴルファーの快音が響いてきています。
公園入り口にある
ハチクロ蒸気機関車(大正時代の日立製作所製)が老朽化して解体撤去する計画が
青森県弘前市のNPO「五能線活性化倶楽部」に譲渡されることがきまりました。
地元ボランテアの人々の運動で塗装補修作業と募金活動が行なわれておりました。頭がさがります。
長い間ありがとうございました。



2006/4/22 満72歳誕生日&47回目の結婚記念日
今日はよい夫婦の日です。アースデーです。私は今日で72歳の誕生日をむかえました。
同時にわたしたち夫婦の47回目の結婚記念日です。山あり谷ありの人生でしたが、
今は家族みんな健康で平穏に暮らしていることを感謝しております。
家の前の石ケ作公園の山重さくらも満開で祝ってくれます。東京の娘からお祝いのカードをいただきました。
記念にバンクバーマラソンに参加します。もちろんフルマラソン完走をめざします。

 


2006/4/9 日立さくらロード・ハーフ完走!
今日の天気は晴れときどき曇り、気温12℃まあまあのマラソン日寄りになりました。メイーン種目はハーフマラソンです。
完走783中で最終ランナーになりました。時間は3時間ジャストでした。
去年が2hr58seですから2分遅れでしたが歩くことなく完走できて満足です。
途中10kmのラップは1hr14minですからホノルルマラソンのペースを15分早めた好ペースでの完走で満足です。
60歳以上の部では88位です。全完走者の11%が60歳以上にはおどかされます。
沿道では知人たちから温かい声援をいただきました。
このペースでバンクバーマラソンは6時間内完走をめざします。




2006/4/8 日立さくらまつり
日立市のシンボルの花はさくらです。日本のさくら名所100選地です。
今日は8分咲きになりました。
すこし花冷えですが今日、明日と平和通りを中心に祭りが開催されました。
国の重要有形・無形文化財に指定されている「日立風流物」も出され、子供たちのささら行列、ソーラン節などにぎやかです。
夜はライトアップされました。わたしは午後からホテル日航で開催された勤めていた職場のOB会に参加しましました。
出席者の長老は92歳の矢川さんです。わたしも元気なうちは参加したいと勇気をもらいました。
広島県からは親友の唐津さんもはるばる駆けつけてくれました。明日は日立さくらロードに参加するのであまりお酒は控えます。
2次会も遠慮して電車で夕方には自宅にもどりました。
元気がないといわれているわが街に久しぶりの人出でよかったです。

 



2006/3/25 畑にでてじゃがいもを植えつけます
春分の日をすぎてやっと春めいてきました。いよいよ家庭菜園の季節です。
今日じゃいも(メイクイン)5kgを植えつけました。
収穫まで追肥、芽はかき、土寄せな手入れをしないといいじゃがいもができません。子供の教育と同じです。




去年の夏はとうもろこしが豊作でした。今年はじゃがいもに賭けます。
 


2006/3/19 久しぶりの横浜中華街散歩
40年まえに勤務していた会社の仲間との久しぶりの親睦会に出席するため上京しました。
常磐線大甕駅を6時32分に発車します。
春のダイア改正でスーパーひたちの停車回数もふえましたがわたしはジバングで普通電車を利用して上京します。
春といってもまだ寒く普通電車は3ドアーで中央のドアーしか開閉しません。
横浜駅西口で中田現横浜市長さんにあいました。来週の27日は横浜市長選挙です。
「横浜から日本を変える」いい行動力のある若い市長の4年間の成果が問われます。
今日の会場は関内駅まえの東京ガス横浜ショウルーム5階の横浜クラブです。
豪華なフランス料理で大満足、久しぶりの仲間の元気な近状報告を聞きながら在職中の思い出話に時間があっという間に過ぎていきます。
終って横浜中華街を散策します。一昨日開廟した「横浜媽祖廟」を見学しました。
媽祖は千年前の北栄の時代の実在の人です。港街横浜の人々の安全を見守る天上の聖母と敬愛されています。
日曜の午後の中華街は人であふれていました。今晩は強風で常磐線は牛久付近で不通になりやっと自宅に午後9時30分つきました。
WBC王ジャパンが韓国を6:0で韓国を撃破して決勝に進んだといううれしいニュースが届いていました。

 

2006/3/16 回想・想いで探し(NO3)
結婚した昭和34年ごろは住宅難の時代でした。
まだまだ持ち家制度はなく社員は社宅にお世話になりました。最初にお世話になったのが助川台アパートです。
日立製作所の50周年事業で設立された小平会館の隣りで日立総合病院も近くで子供たちはお産もここでお世話になりました。
ちょうど助川台アパートも老朽化が進み解体が進んでいました。じゃまになる桜の古木も切断されてさみしさを味わいました。
ここのアパートの住所、助川町2丁目−6が私の本籍地になっております。
助川台アパートには4年間お世話になりました。日記ではわが家に冷蔵庫が入ったのは昭和37年12月となっています。


昭和38年8月に成沢のアパート7号館に引越しできました。
助川台アパートが木造であったのにくらべコンクリートの5階建てです。近くにたちばな幼稚園がありいい環境で過ごせました。
いまは解体され新しい住宅に生まれ代わっています。ここには4年間お世話になり最後の社宅である会瀬社宅に移りました。
昭和52年、いまの久慈町の自宅に移るまで15年間を社宅にお世話になったことになります。当時の面影はなくなりました。
帰りに孫たちがお世話になった多賀町の聖児幼稚園にたちよりました。園児たちが遊んでいました。



2006/3/13 回想・想い出探し(NO2)
私達が結婚したのは昭和34年、46年前の春です。
ちょうど日立製作所日立工場に18歳で就職して6年目です。
結婚式場は日立山手工場の奥にある日立製作所の創業の神社でさくらの名所でもある熊野神社でしていただきました。
披露宴も境内の社務所でやっていただきました。
熊野神社での挙式はまもなくやらなくなり私達には思い出の神社になりました。
平成2年に日立製作所80周年事業として神社は整備され立派になりました。
まだ桜のつぼみは固く開花は4月になるでしょう。その足で隣りの神峰動物園に足をのばしました。
当時は子供をつれてよく訪ねましたが平日の今日は閑散として人出はありませんでした。



2006/3/10 運転免許高齢者講習にでて
3月に入りました。桃の節句の3日は娘の誕生日です。40年前の雛段のケースを取りだして感に浸っています。来月4月は72歳の誕生日で運転免許の更新を迎えます。法律が改正され70歳以上の免許更新には事前に運転教習所にでむき実地運転とシュミレーターを使っての運転適正反応、夜間視力と動体視力など教習をうけました。総合判定は40歳代の運転者に比して70%程度の運転能力です。45年間無事故の実績をおごることなく、安全おもいやり運転に徹したいといい勉強になりました。免許期間は3年に短縮されました。
 
2006/2/25 「メキシコ家庭料理サロン」
今日はいい天気になりました。昨日のトリノ冬季五輪での女子フイギュアスケートの荒川静香選手の金メダル獲得を祝うような好天気です。日立シビックセンターの4階料理室を使用しての料理研究会に参加しました。今日はアフリカ・エチオピア国の家庭料理です。鶏肉をバルバレというスパイスでたまねぎとにんにくトマト、赤ワインでよく煮込んだ料理でこれは40年まえインド出張の際に食べたインドカレーに似ています。おいしかったです。食事の後、笠間在住のエチオピア人の陶芸家ガライヤさんからエチオピア連邦共和国のお話をききました。にほんの3倍の面積で7千万の人が住んでいます。80%が農業に従事しているそうです。3000年前のアクスム王朝の時代からシバの女王、東京マラソンの勇者アベベの話など行ったことはありませんが旅愁を感じます。わたしがアフリカ・ラゴス発電所を訪ねたのは30年まえになります。料理サロン主催のhanakiさんがいわれた人生は出会いが大切、いろいろな機会にわたしたちは異国の人としりあいます。平和で戦争はいやだと願うエチオピアの人たちの気持がつたわいました。
 
2006/2/23 「鑑賞炭の魅力展」鑑賞in水戸・常陽史料館
竹炭に興味があるわたしにはたいへん為になる展示会でした。作品は100点あまり展示され、炭の製法から効用までだれでも理解できるように工夫されていました。場所は水戸市備前町にある常陽資料館で主催は「いばらき炭の会」です。鑑賞炭というのは聞きなれない言葉ですが、野菜や果物、木の葉、枝などや布地を炭化させたものなど、特殊の製法で鑑賞用の芸術品に仕上げたもので、黒一色のなかに独特の美しさを表現して展示されていました。「いばらき炭の会」はわたしの友人も参加しております。凶年の夏に子供たち対象に涸沼自然公園の中の炭焼き窒での体験キャンプの様子がビデオで紹介されており楽しく拝見いたしました。環境を考えたいい企画展でした。
  
2006/2/18 「こけしの世界」
「こけしの世界」と題しての講演会(21世紀を学ぶ会)に出席しました。講師はこけし収集家として著名な木村正春さんです。東北地方で創られるこけし特に伝統こけしは工人といわれるこけし名人がその伝統を引きついて今日にいたっております。こけし収集家としての苦労もたいへんで何回も工人を訪ね創ってもらうそうです。またこけしの保管は塗料の経年変色もありたいへんだそうです。木村さんが収集されたこけしのうちわたしは津軽こけし温湯こけし工人小島俊幸さんの名品をいただきました。昭和34年に結婚したわたしたちの新婚旅行先はこけしのふるさと作並温泉と遠刈田温泉でした。お土産に購入したこけしは重なる引越しで現在は行方不明です。残念です。
持参されたこけしを手に熱心に解説される木村正春さん
弥次郎系こけしの工人井上はる美、ゆきこ親子さんの作品です。
2006/2/13 小木津自然公園に野鳥を観測します
2月も中旬ですが今年は寒さがきびしく、早春を告げる紅梅も開花が遅れていてつぼみのままでした。今朝もマイナス5℃、公園の中央円池も一部氷が張っていました。セグロセキレイが一羽氷面をダンスしながら餌をさがしている様子をしばらく観測しましました。この時期は野鳥にとっては恋の季節だそうです。エエナガ、メジロ、コゲラ、シジュウガラなど冬鳥は群れから離れ、パートナーを探すつがいの季節になりました。そして子育ての季節を迎えやがてシベリアへ旅立つのですね。(今日の社友同好会野鳥観測グループは22名の参加、観測された野鳥は23羽:写真はジョウビタキメス:二木さんの写真です。)

小木津自然公園の中央円池です。観測の仲間が野鳥のように一列になって進んでいきます。
ジョウビタキ・メスの写真です。「二木さんの観測)

南展望台広場での記念写真です。
2006/2/10 早春の房州花つみのドライブ
日立から300kmはなっれた房州へのロングドライブに行ってきました。房州は私のふるさとです。横須賀に赴任した時代(昭和54年〜平成7年)にはゴルフは久里浜から金谷港までフエリーで行き、房州のゴルフ場で仲間とプレーした思い出がかさなります。一日中温暖で晴天にめぐまれたドライブ日寄りでしたが夕方の千倉町花つみ畑では春一番の風が吹きました。春はそこまできています。姉弟会のいいドライブでした。
コース:日立(AM6:00)⇒大洗⇒鹿嶋⇒木更津⇒海ほたる⇒保田漁港⇒館山⇒千倉⇒鴨川⇒久留里⇒茂原⇒八街⇒鹿嶋⇒大洗⇒日立(PM9:00)

 東京湾アクワラインが開通してから9年が経過しました。わたしが「海ほたる」を訪ねるのは今回が始めてです。東京湾のまんなかのPA大型客船のような「海ほたる」からの展望はすばらしいの一言です。川崎方面の「風の塔」川崎人口島(海底トンレルの排気口)の手前を舟が行き帰りしています。また木更津方面に伸びる高速道は滑走路のようです。特にここからの夕日はすばらしいとのことでした。羽田空港に着陸する飛行機が降りてきます。
 
海ほたるから木更津に戻り、金谷港を過ぎ鋸南町までくるとそこに保田漁港があります。とんびとカモメが飛来して富士山も対岸三浦半島越しにみえました。ここの保田魚協直営の食事処「ばんや」はその朝に捕れた魚がすぐに料理されボリューム万点、低価格で食べられます。午前11時から開店で正午には売れきれの魚もでて食堂は満席です。最近は「ばんやの湯」も開店されました。鋸山登山やハイキングでここで入浴、食事ができ、東京湾フエリーで三浦半島金谷にでるコースも魅力がありますね。これから午後、館山へ向います。
 
今日の目的は「花つみ」です。館山市の海岸フラワーロードの菜の花を観賞しながら千倉町につきました。ここには数多いお花畑がありじかに花を摘み購入することができます。今日はNO34花つみ畑(経営者は三津田庄吉さん)のところで採花を楽しむことができました。今年は寒くまだ花つみの季節は続きます。おみやげに菜の花をいただきました。
2006/2/6 日立アルプス高鈴山までのハイキング
今朝は今年一番の冷え込みです。日立アルプスハイキングコース(日立市の裏山、南の風神山から真弓山、高鈴山、神峰山経由小木津自然公園までの23kmの山嶺コース)を完歩するハイキングに参加しましまた。山僚クラブの仲間とのたのしいハイキングです。あいにく曇りで途中から粉雪が降りはじめる天候下の山歩きで風神山から真弓山経由高鈴山まで登り、助川山コースで下山しました。私には今年始めての山足慣らしで、結構汗もかき、合計9時間のいいトレーニングになりました。写真は奥山さんから提供いただきました。
NOI真弓山への途中道から日光連山と那須連山が展望できました。

NO2真弓神社に立ち寄り今年の安全祈願をします。
NO3高鈴山頂上での記念写真です。

NO3粉雪がふりだしました。高鈴山からの下山道で。
2006/2/2 回想・想いで探し(NO1)
18歳の時(昭和28年)に日立市に移り住んできてから半世紀がたちます。街はどんどん移り変わってきています。昔の想いでを訪ねて歩くことを思い立ちました。NO1は会瀬社宅時代(昭和42年〜50年まで)の現在です。昭和48年の日立工場大運動会ではわたしの所属するナポレオンB集団は総合優勝を果たしました。わたしは応援団長を拝命して優勝祝賀会は社宅の庭で大いにものあがりました。社宅は工場に近く自宅も集会所をかねており正月もみんなが集まってくれました。いまは社宅にいる人も少なく、取り壊されて高層のアパートに建て替えられております。今日も社宅の解体工事が静かに行なわれていました。
 
2006/1/29 勝田全国マラソン
 快晴です。日中の気温は9℃、湿度43%の絶好のマラソン日寄りです。わたしのマラソン参加は勝田全国マラソンから始まります。今年で第54回を数える全国レベルの大会です。1月に開催される大会ということでフルマラソン、10kmマラソンと2種目で9534人のランナーが健脚を競いました。エントリーです。10kmも41千人の参加です。わたしは毎年参加してますがフルマラソンではゴールが午後6時ですっかり暗くなり冷え込みもあり健康的でない理由で今年は2回目の10kmにエントリーして完走できました。時間は1時間10分38秒です。(注:70歳以上の部門の選手は58名でわたしもそのひとりです。)ホノルルマラソンの10km途中通過時間は1時間25分ですから14分の短縮ですがフルマラソンではこの後の減速があり結果として7時間前後の完走時間となるのが今の私の実力です。あせらない、あきらめない、ふりむかない、必ずゴールするこの約束を次回4月の日立さくらロード、5月のバンクバーマラソンに続けたいと思います。(優勝は桜井勇樹(SB)選手で2時間17分59秒)です。写真中央の笑顔でゴールする姿に大勢の拍手がむかえました。
2006/01/29
ゼッケン 8314
石原 政男
10K男子70歳以上
GOAl: 1:11:42実
NET: 1:10:38実
時刻:13:11:41実
  
2006/1/22 雪上がりのジョギング
昨日の雪はあがりました。朝方は零度以下なので雪はとけません。おそるおそる滑りやすい雪道をジョギングしました。どんどん解けていきます。雪がふると普段の風景とちがって街がきれいにみえます。もうすぐ勝田マラソンです。久慈川土手からみた日立研究所、風神山の風景と南高野貝塚公園の写真を載せました。
 
2006/1/21 今年始めての大雪になりました。
今年始めての大雪です。朝7時にはかなり降っていて10cmは積もったでしょうか。今日は大学入試センター試験日第1日目です。午後には我が家の庭にもドラエモンの雪だるまが完成しました。ひさしぶりの雪は春をつげるまえぶりでしょうが東北、北陸地方の大雪の被害は想像にあまるものがあります。月日はどんどん過ぎて行きます。
 
2006/1/20 大寒
今日は大寒です。暦とうりまた寒さがぶりかえしてきました。わたしの住む日立市は前は太平洋で後ろは阿武隈山脈のはずれに位置しており、県都水戸からくらべても4〜5℃たかく、住みよい街です。わたしの久慈町は日立市の南部で2km先が久慈川です。わたしの毎日のジョギングコースです。今朝も土木内の田んぼには氷が張つていました。月末には勝田マラソンがあります。毎日の8kmのジョギングはかかせません。
 2006/1/16 水戸市千波湖で探鳥会
  
今年に入って厳冬が続きました。新潟地方は3米の積雪で孤立した村落の様子と百名を越える雪の犠牲者がでているのに関東地方はカラカラ天気です。それでもここ数日は温暖になり雨もあり、今日訪ねた水戸市千波湖畔のソメノ桜のつぼみもすこしふくらんだ気がします。今日は探鳥会仲間の探鳥会です。日本野鳥の会の幹事さんの報告では今年1月7日の千波湖のガン・カモ類の水鳥の数は1462羽で昨年の観測998羽にくらべ大幅に増加しております。千波湖を一周する3.1kmの遊歩道はウオーカー、ジョギングの市民たちであふれています。今日観察された野鳥は35種、カルガモを始めミコアイサ、ヨシガモ、ヒドリガモ、バン、ユリカモメ、オナガガモなど圧倒された水鳥の大集団でした。いまから野鳥は求愛の季節を迎え3月にはシベリアへ旅立ちます。野鳥を観測していると人にやさしくなります。定年後10年を過ぎて毎月一度は会える楽しい仲間です。今年もよろしく。
2006/1/1(日)元旦
あけましておめでとうございます。元旦は日曜からはじまりました。初日の出は薄くもりですが、地元の日立市久慈浜海岸(日立港)で迎えることができました。わたしの今年の初ジョギングです。大甕神社に参拝して今年の家族の幸福と安全を祈願しました。今年は戌年でわたしは七十二歳の年男です。今年のモットーは「小事細心」毎日を感謝の気持で、自分でできることは自分でやり人にやさしく迷惑をかけないように決心しました。今年も沢山の友人から年賀状をいただきました。広島の親友TMさん自作の年賀状です。
 
2005/12/06〜12/17 12回目のハワイ・オハフ島行き(第33回ホノルルマラソン完走)
今年もホノルルマラソン参加の季節がきました。我が家の定番の年中行事です。ホノルルマラソンは12月の第2日曜日に設定されています。今年は12月11日(日)です。日本からの参加者も去年から2000人多い1800人が参加です。益々盛大に行なわれるホノルマラソン大会です。私は12回目の参加です。日立マラソンツアーの中でも最長老で、マラソン仲間にあえる楽しみと毎回、家内を始め5名の応援団も参加してくれました。定宿はコンドミニアムのワイキキ・バニアンのU棟25階の山側ビユーのいい部屋をとっていただきました。マラソンは目標の6時間以内を7分オーバーした7時間7分でしたが、全コースを走りきりましたことで満足しております。詳細はHPのマラソン編に記載いたしましたのでご覧くだっさい。到着して12月6日以前はホノルルの天候はシャワーもある不安定な気候でしたが私達が滞在した11日間はいい天気で21℃から28℃と安定していてマラソンコンデシヨンも良かったと思います。アロハスピリット、ランナーもボランテアの方も一緒になってマラソン行事を盛り上げるShare共有する気持は学ぶことが多いと感謝しております。帰国した12月17日(土)の成田の気温は5℃、さむい日本でした。ハワイにもどりたい気持をあと一年持続して来年も参加できるでしょうか。わたしも七十二歳戌年男を迎えます。
2005/11/29 わが家の外壁塗装完成
我が家が新築されたのは昭和51年、30年まえです。改築を2回して現在にいたっております。外壁の塗装は2回目になります。今月は天候にも恵まれ10日ほどかかってきれいになりました。日立市日高町の菅野塗装さんにお願いしました。親子2代のコンビでいい仕事をしてくれました。そして我が家の垣根カイツカイブキも30年ぶりに散髪?しました。あたらしい気持でお正月をむかえられます。

2005/11/24 愛車RAV4 7万キロ走行達成
私は平成8年、満61歳になってから始めて愛車RAV4を購入して運転を開始しいました。ちょうど9年間運転して今日7万キロを達成しました。年間に1万キロは走りませんので、もっぱら市内を運転するわたしたち家族の足かわりです。私の運転免許は昭和45年にアメリカ・ミシガン州で出張中、アメリカの運転免許を取得した経歴があります。定年までは書き換えでハンドルを握ったのは退職後になります。自慢は今日まで交通違反はしていません。あたりまえですね。来年4月は免許更新になります。今度から高齢者運転適正試験を受けることになります。車検も来年7月です。愛車もわたしも人間ドックが義務つけられる高齢者になりました。
2005/11/21 笠間市郊外飯田ダムにて
ここ数日冬型の気圧配置が安定して朝夕の冷え込みが激しくなりました。今日は社友会「野鳥・自然観察グループ」の行事で笠間市郊外の飯田ダム(笠間湖)周辺をぐるりと一周する探鳥会です。朝方のダム周辺は霜のおりたところもありましたが、真っ青に晴れ上がった紅葉(今年は色あざやかというわけにはいきませんが)ともかく秋色を満悦しながらのたのしいひとときを過ごすことができました。「ヒッチョチョリヒョロヒョロ」という囀りはまさしくルリビタリのさえずりだと藤原さんから教えていただきました。笠間湖面には鴨たちが休んでいます。「ケレケレケレ・・・」というカイツムリの響きが山野に消えていきました。ジョギング好きの私にはこの周廻路は絶好のマラソンコースに思えました。(27種観測)
005/11/19
今週は晴天が続いております。気温も14℃までさがりました。今日は「ひたち国際文化まつり2005」が私の住んでいる街日立市の駅前にある日立シビックセンター内でおこなわれました。今年で3回目の開催です。この祭りは市内の16団体の文化・国際ボランテア市民団体が一堂に会し、市民と滞在されている外国人家族・学生があつまり、世界各国の文化交流を通じて語り合うたのしい一日でした。市民手つくりのお祭りで主催はわたしも参加している「ひたちとアジアの文化交流をすすめる会」です。定年後わたしは市民ボランテア活動の一つとして国際親善のお手伝いをしたいと考え参加させてきております。一日中立ちっぱなしの裏方サポートはつかれますが、ガールスカートの子供たち、親子つれの来観者の笑顔に満足しております。企画から実行まで半年の苦労がむくわれました。
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