わたしはいつもビリを走る遅いシニア・ランナーです。
自慢できることはひとつだけあります。それは全コースを完走できたことです。

苦しい言い訳けが先行しました。

 わたしはホノルルマラソンに初めて参加下のは今から10年前の58歳の時からです。
海外マラソンの最初の大会がこの有名なホノルルマラソンになりました。
それからはホノルルマラソンのとりこになって、振りかえってみると、過去8回もホノルルを走ったことになります。
走ることの苦しさを越えてハワイの空気が私たちを歓迎してくれるからでしょうか。
 今年(2003年12月14日)開催される第31回のホノルルマラソンの参加を計画しております。
 過去のわたしのホノルルマラソンの成績を整理してみると、わたしの完走時間は5時間45分から7時間14分とばらついております。
平均は6時間27になります。市民ランナーとは恥ずかしくて名乗りできません。
 今年で69歳、古希の齢になります。私のマラソンはこれからも続きますが、6時間の壁が現在でも大きく立ちふさがり、わたしへのプレッシャーになっております。
なんとかがんばらなくてはなりません。毎朝ジョギング練習にも力が入ります。

2002年の第30回記念ホノルルマラソンについて説明します。
去年(2001年)も参加しましたが、この年はNY9/11テロがあり、参加者は少なく本来のホノルルマラソンの雰囲気はありませんでした。
2002の今年は元の規模に戻りました。ほっとしております。

 さて今年(2002)のホノルルマラソンは、体調が良好で、なんとか6時間の壁を突破したいという気持ちでスタートラインにつきました。
去年(2001)から大会の15日前からホノルル入りして、コンドミニュアム生活をエンジョイしております。
これで体調を調整するようになりました。準備は万全にできたと思います。
ランニングは楽しく走ること」がわたしの信念なのです。
マラソンは誰かのために走るわけではありませんから。スマイルで応援の人たちのふれあいを大事にしながら走るのがわたしの心条です。

 マラソン当日(2002/12/8)は過去8回参加の大会のなかでは気温も23℃から26℃、晴れ、湿度も63%微風があり最高のコンデシオンになりました。
ホノルルマラソンとしては最高のコンデションです。市民ランナーはあまり記録にこだわらないことが大切だとは思いますが、走りだすとどうしてもがんばってしまいます。
これはランナー全員に言えることですが。
 あとはレース上で転倒などのアクシデント、足の痙攣、腹痛など起こらないようにマイペースを維持することに気をつかいます。
わたしは原則として歩くことはしません。
一度歩き始めるとランニングのリズムに戻すのにたいへんなのです。そしてまたすぐ歩きたくなるのが嫌なのです。
それから後を振り返らないようにしています。ひたすらゴールを目指します。これがわたしのマラソン哲学です。
すこし気障ぽいですが。 ゴールする瞬間の感動は走ったものにしか味合うことができません。この感動一瞬を味わいたいため走っているような気がします。
 今回の第30回記念ホノルルマラソン大会は6時間3分40秒でゴールしました。くたくたというよりかなりの余裕を残してのゴールでした。ともかく、これでわたしの68歳の最後を累計29回目のマラソン完走記録の達成で飾りました。満足です。
日本から同行してくれた「のらくろ応援団」の家族、供水ボランテアの皆さん 応援の地元の皆さん、マラソンツアーのみなさん、そして大会運営の皆さん、ホノルル市民みなさんの暖かい、大きな支援の上になりたつていることにあらためて感謝をいたしております。
反省をのべます。

本番に強くなるためには日ごろからのジョギングが大切です。時々は20km程度のランニングが必要ですがなかなかできません。
だめですね。もっと自分に厳しくしないと反省しています。
マラソンは後半の15kmが勝負なのがよくわかります。これを克服するには20km以上の練習をしなければなりません。


準備完了スタート地点に移動します。早い順番に並びます。


ワイキキ通りで早くもガッツポーズ、早やすぎたかな


 H−1ハーフ地点です。がんばれMさん


今年はこの写真を届けるつもりです。30km地点で


ダイアモンド頂上付近でH応援団が待っていてくれました


ゴールです。本当のガッツポーズで完走を称えます。



2002.12.8(日)AM5.00 晴れ気温22℃湿度63% 絶好のマラソン日寄りです。


第30回ホノルルマラソンはスタート花火の打ち上げの下、30,482人のランナーが
アラモア公園を一斉に飛び出していきました。(日本人ランナー:17,266人)
最初はアラモアタワー方面に向かい、右折して、ダウンタウーン、クリスマスイルミネテーションに気分は最高潮、最初のエイドステーションはパスしてまもなく5km通過点を35分で通過します。

午前6時、ワイキキメイン通りに戻ってきます。
まだ暗闇の中です。
さすがに大応援団が埋め尽くしランナーたちに熱い声援を送ってくれます。
のらくろ親父応援団に向かって早くもガッツポーズ、少し早すぎたかもしれません。
フィニッシュポイントのカピオラニ公園での
10kmの正式タイムは01:11:40でした
ここからダイアモンドヘッドの上り坂に入ります。
そしてホイールチアー競技の先頭ランナーが戻ってきます。
やがてカハラ地区に入ります。
15km地点で01:55通過です。ここで日の出を迎えます。
やがて7km続くカラニアナオレHWY(H−1)にでます。対面の復路ルートを快速の新ランナーが走り過ぎていきます。
この時間は先頭ランナーがゴールしている時間です。


わたしの場合、15kmからスピードが落ちはじめます。
ここでがんばり過ぎると後半が走れなくなるので、とにかくマイペース完走を誓って走ります。
やがて前方にココ・クレーターが見えてきます。ここでハーフです。
(ハーフ地点通過02:38:43)
ここからハワイカイの高級住宅街を一周します。
わたしの好きなコースで、住宅街の人々の温かい応援、キャンデーの差し入れに感謝しながらハワイカイSCを過ぎると28km、ふたたびH−1にでます。
気持ちではここで半分です。
お餅を摂ります。原則としてホノルルマラソンでは食べ物の差し入れはありません。
6時間ランナーは食事持参のランニングが欠かせません。



ハイウエー復路では歩きはじめるランナーたちが目立ちます。
しかし私は歩きません。そして楽しみは30km地点で今年もアコーデオン演奏でクリスマスソングで慰めてくれるおばさまに今年も会うことができました。午前9時、(
30kmの通過タイム:04:06:07)1.6km置きにエイドステーションがあります。
私は氷をキャップの中にいれて熱中症をさけます。やっとH−1から離れ、カハラ地区に戻ってきました。35km地点です。

ハワイアンダンスのステージがあります。また各応援団の声援も盛んです。

ダイアモンドヘッドまで戻ってきました。
40km地点手前です。
午前10時40分、あとは30分のくだりだけです。
HTBマラソンツアーの応援団のお迎えを受けます。
「のらくろ親父さん早いんじゃないの?」記念写真に納まる余裕があるのでしょうか。


午前11時6分ゴールできました。
06:03:40の完走記録は去年の6時間21分を17分ちじめるわたしにとっては満足できる記録です。

送られてきた完走証では
15844番/完走者26407人
65歳から69歳の男子ランナーのうち
「289番/完走者449人」でした。
約500人の同世代のランナーがいることが勇気付けられます。


ホノルルマラソンとバンクバーマラソンの完走記念メダルに囲まれて、次の大会に夢は広がります。
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