過去のバンクバーマラソン参加履歴
バンクバーはご存知のようにカナダの西の玄関口で、TYO成田から10時間で直行便でいけます。
ここからバンフ、カナデアンロッキー、トロント、ケベック、ナイアガラとカナダ周遊の玄関口でもあります。
日本人、中国人、韓国人なども多く居住している国際都市です。
そのバンクバーで初夏を告げる最初の行事がバンクバーマラソンです。
よくホノルルマラソンと比較されますがバンクバーマラソンは歴史はホノルルマラソンと同じ回数を重ねてきました。
あくまで市民マラソンで3千人から5千人と規模はホノルルマラソンの3万人からくらべると小規模です。
日本からのツアー参加者も200人程度でホノルルマラソンの半分が日本からのランナーにくらべてもローカル色のマラソン大会です。
バンクバーマラソン | 1994年5月 1997年5月 1999年5月 2000年5月 2003年5月 |
第23回大会(ハーフ) 第26回大会(フル・旧コース) 第28回大会(フル・新コース 第29回大会(フル・新コース) 第32回大会(フル・新コース) |
2時間16分 5時間48分 5時間59分 6時間04分 6時間20分 |
わたしは1997年夏に45歳の時に家族旅行でカナダを縦断したときバンクーバーを訪問したのが最初です。
その時はバンクバーマラソンのことは知りませんでした。
1993年に初めてホノルルマラソンを完走できたのがきっかけで海外マラソン参加に夢をたくしました。
そして翌年の1994年定年の歳を記念してバンクーバーマラソンに初参加しました。
バンクーバーマラソンはフルマラソンとハーフマラソンと5kmウオークがあります。
わたしははじめての参加でハーフに挑戦、家内は5kmウオークを楽しみました。
ハーフはスタンレーパークを一巡する美しいコースで初夏のバンクーバーの微風を感じたそれはたのしいマラソンでした。
時間は2時間16分でした。2時間を切りたいと走ったのですが。次回はフルマラソンにチャレンジしたいと帰国しました。
次いで3年後の1997年にふたたびバンクーバーマラソンのフルコースにチャレンジしました。
このコースはスタンレーパークの一周まではハーフの仲間と一緒ですが、
これからライオンズ・ゲート橋を渡り、景勝地のノース・バンクーバー市街を走ります。
ふたたびセコンド・ナロー橋をわたり、ゴールのB.Cブレース・スタジアムに戻ります。
ノースバンクーバー側のマラソンルートには応援者もいなくて、
遅いランナーのわたしはまるで孤独のランナーで途中なんどもコースを見失い迷子状態になりました。
またシャワーにも遭遇して散々です。完走時間は5時間45分でした。私なりにはがんばった記録です。
バンクーバーマラソンは翌年の1998年から大幅にコースが変更になりました。
わたしはこの新コースも一度は経験したいと思い、翌1999年の28回大会からふたたびバンクーバーマラソンに参加しました。
完走時間は5時間59分でした。翌2000年の29回大会も経験しました。時間は6時間04分です。
これでわたしはバンクーバーマラソン3コースを経験したことになりました。
すっかりバンクーバーが大好きになりました。
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ここのHPでは2000年の第30回バンクバーマラソンの様子を報告します。
この時の優勝は男子はユリ・ステデイ(ドイツ)で2時間18分、女子はエリナ・ロナ(ケニア)選手で2時間45分でした。
2000年5月7日(晴れ気温7℃)
第30回バンクバーマラソン当日スタート地点はBCプレススタジアムです。
スタート地点での日立マラソンツアー参加者の記念写真です。
午前6時ごろからランナーたちと関係者が集合しはじめました。 足長おじさんでなく、美人の足長お嬢さんに会場であいました。 スタート地点にはツアーデスクが設置されています。 ヒタチのツアーデスクは日本ツアーの中では歴史が長く、参加者も和気藹藹、記録を狙うベテランランナーも多く健闘が期待されています。 ツアー応援ボランテアの声援も後押しをしてくれます。 |
バンクーバー・マラソンはハーフマラソンとフルマラソンの2種目があります。ハーフは午前7時に3700人、7時15分に3300人のランナーがスタートしていきました。私の中間通過の記録です。 ここまでは予定されたタイムです。 |
バンクーバー・マラソンは30回の歴史があります。 ローカルの市民対象であまり日本からの参加者は ホノルルマラソンほど多くありませんが、 ゴールデンウイーク中の行事で、マラソン後のカナダ観光もあり、 日本人ランナーにとって魅力のマラソン行事です。 |
エイドステーション13km地点での市民ボランテアの方々に感謝でいっぱいです。 |
14km地点に来ました。ここからバンクーバーの市内中心街に向かいます。 わたしのようなスローランナーではランナーの数も少なくなり、マラソンレースに参加しているというより孤独の戦いになります。 がんばろという気持ちがなくなるとスピードがおちます。 ほんとうにこれからがフルマラソンの正念場になるのです。 15km地点:1時間52分 |
18km地点でバンクーバーの中心地のガスタウーンスターレーに戻ってきます。これから美しいスタンレーパークに進みます。 この辺は序盤の口でここで根を上げてはいられません。 20km地点:2時間27分(スタンレー・パーク)25km地点:3時間17分 |
28km地点でワンダーランドツアー社(HTBツアー)のエイドステイションが私たちランナーを待ってくれていました。 のらくろラストランナーを迎えて万歳です。 これからがマラソンの正念場です。勇気がでます。 30km地点:4時間6分 |
バンクバーマラソン新コースはバンクーバーウエスト地区をU.B.C方向に進み34km地点から折り返します。 この写真は折り返し点でのU.B.C学生の応援の人たちとの記念写真です。こんな余裕はないんですが。 |
この写真は37km地点でイングリッシュ・ベイ越しにノースバンクーバーの山々グラスマウンテン等がみえます。 写真をとっている余裕はないのですが記念に撮ってもらいました。 あと5kmです。(30km地点:3時間59分通過、40km地点:5時間34分通過) |
40m地点のバーナード橋に来ました。バンクーバーマラソンでは3度この橋を渡ります。 |
「Mr Ishihara、66years old Japan] ゴール地点でアナウンサーがわたしのゴールのアナウンスをしてくれました。わたしの記録は6時間4分32秒でした。 順位は完走者3133人中の3133番です。男性ランナーの中では1886人中の1852番です。 ほとんどのランナーがゴールしていて、わたしはここではラストランナーでした。HTBの走る添乗員ランナー柴田さんが42キロ地点まで心配して迎えにきてくれました。 この写真はゴールした直後の写真です。 |
思い出の完走メダルの数々がまたのらくろ親父をマラソンに駆り立てます。 お世話いただいた現地の旅行会社ワンダーランドツアーズの向井さん、金沢さん、西野さんみなさんありがとう |
バンクバーの観光めぐり: 一日バス券(6$)を購入します。シナイトロリーバス、スカイトレーン、シーバスが利用できます。 マラソン大会の前後に市外観光を一日バス券を利用して楽しみました。 ここはノースバンクバーの景勝地、グラウスマウンテン(1130m)のケーブルカー乗車口で撮った写真です。 この時期、頂上には残雪があります。ここからのバンクバーの眺めは絶品です。 |
楽しかったバンクーバーマラソンが終わって私たちはバンフ、カナデアンロッキーアサバスカ大氷河見学のツアーをたのしみました。写真はアサバスカ氷河にて大応援団のみなさんです。 |
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