「白河日食」とは明治20年(1887年)8月19日日本で101年ぶりに皆既日食があり、初め て近代的観測が福島県白河で行われました。この皆既日食は世界中から注目され、米国アマ ースト大学のデビッド・ペック・トッド博士を中心とする観測隊が白河に来られ、近代的な設備を 設置し観測を行いました。また、明治政府は国家事業として取り組み、観測隊の支援や観測 機材、一般の観望客を運ぶため、上野から黒磯までしか通じていなかった鉄道(現東北本線) を突貫工事で白河、郡山まで延伸開通(1887年7月16日白河駅開業)させています。当日 は臨時の汽車を通常の3倍に増列運行し、往復の汽車賃を半額にするなど、白河は千人を 超える見物客を迎え大いに湧き上がったとのことです。8月5日付で官報第1231号第56葉を発 行、その中で、日蝕を観測できる地域には、内務省からは各郡区役所警察署へ、文部省から は各中小学校へ白光(コロナ)写図(スケッチ)心得を配布し、観測に協力するよう伝えている。 また、午後からは学校や銀行を休みにさせた様です(これは日蝕になって市中が暗くなり物騒だ からとうい意味も込められていたようです)。ただ、これだけの盛況にもかかわらず観測所(関係者 は司天台と仮称した)で構えたトッド博士一行の観測隊は曇天、雨天のため皆既日食を写真 でも肉眼でも満足に観測できなかったとのことです。しかし、白河近辺のあちこちでは部分的に 晴れ間があり幾つかの場所で皆既を見ることに成功しています。 |
白光:コロナ 紅峯:プロミネンス |
上図は当時、白河市内の旅宿から日食を観測し後日書き改めたものです。作者は「日本の エジソン」、「電力の父」と言われた藤岡市助氏31歳時のものです。彼は日食は山や二階から でなくとも観測できると考え旅宿の縁側から理学協会の清水鉄太郎氏とともに皆既日食を観 測したとのことです。現在記録に残る唯一白河日食の記録ではないかと思われます。 上図は「理学協会雑誌]より |