Das Pferderennen
競馬愚痴



10.Juni.2005 Freitag 殺すこと

 ある上品な家族がレストランで食卓を囲んでいた。隣のテーブルの男がMotivatorの勝ったダービーについて熱弁をふるっている。母親が顔をしかめて言った。
「競馬なんて!動物を鞭でひっぱいて虐待し、あげくに金まで賭ける、サディストどもの遊びだわ」
 店の一角で、ヴァイオリン奏者が控え目にモーツァルトを弾き始めた。すると夫が言った。
「あれを見たまえ、楽器にはまだ馬の毛と動物の腸が使われているんだ。今の時代、他にもっといい素材はあるだろうに。生き物を殺して音楽を楽しむなんて野蛮じゃないかね、ええ?」
 その時、他のテーブルに座っていた二人のアラブ人が口論になった。激した片方が、拳銃で相手の頭を吹き飛ばした。妻と夫は口をそろえて言った。
「あんな奴らは爆弾の下敷きになるか、まとめて縛り首でもになればいい」
 その間、子どもは黙って牛肉のステーキを食べ、馬の毛と腸が奏でる音楽を楽しみ、動物の命と人間の命をぼんやりと天秤にかけている。彼は将来、馬券を買うようになるだろう。

 動物の命を尊重し、大切にする。当然のことです。
 パンダを殺して毛皮にする、あるいはサイを殺して角をとる、もしくは百音節くらいの舌を噛みそうな名前がついた猿をペットにする。僕にはみんな縁がない行為だけれども、悪事だということはわかっている。だからもし網とナイフを渡されて、サバンナにサイと差し向かいで置き去りにされたとしても、僕はサイを殺さないでしょう。もっとも、そうしようとしたところで、僕の手に入るのは、自分のどてっ腹に開いた穴からこぼれ出る腸だけ、というのがせいぜいでしょうが。
 でもパンダを罠にかけたりサイを撃ったり、キンイロ・クールビズデフクヤガモウカル・オオテナガザルを密輸するのと、牛や馬や羊を殺すのとは問題が違う。前者が娯楽や奢侈のために動物を殺すのに対し、後者は生存への必要から動物の命を奪う。殺生は倫理上は悪なのかもしれないけれども、人間はその悪を長い間犯してきた。羊を食べ、鳥を食べ、馬を食べ、牛を食べ、魚を食べ、鯨を食べ、トカゲを食べて生きてきた。犬だって食べるし猫だって食べる。食べられない部分は、たとえばヨーロッパ人が馬や羊の腸をガット弦に利用してきたように、日本人は鯨の髭を人形の関節に使い、猫や蛇の皮を三味線に張って利用してきた。動物を食べるのは、動物性蛋白質が人間には必要だからであり、肉の味が快楽であるからであり、動物から楽器や人形を作るのは、音楽や演劇が日々の生活に欠かせないものであるからであって、だからこそ人間は長い歴史の中で動物の命を奪うという悪を犯してきた。
 捕鯨反対派は鯨は絶滅の危機に瀕していると言う。それなら頭数を調査して、ミンククジラが資源として利用できる水準に回復するのが何年後なのか、きちんと数字で示せばいい。あるいは、捕鯨反対派は鯨を殺すのは残酷だと言う。動物の命を奪い、積み重ねてきた人間の歴史と文化に対して、これほどの暴言はない。金持ちの道楽であるサファリなどとは次元が違う問題なのだ。
 競馬も同じことです。野生馬をふん縛って競馬場で走らせているわけではありません。人間は二百余年かけて、より速く繊細な馬を追求してきました。馬と人という関係でいえば、ダビデが死海に寝そべってテキーラ・サンライズを飲んでいた頃よりもずっと昔から、旧大陸の東西で、より速い馬、より強壮な馬が追求されてきました。その長い歴史をもつ人間の馬文化が、競走馬の背後にはあるのです。馬を鞭でひっぱたくのがよくない、と主張するよりは、寝室で旦那をひっぱたく趣味をやめる方が人道に対してまともな寄与できるでしょう。
 世界中には多様な文化があります。文化はその地域固有の歴史の歩みの有り様に立脚しています。文化の多様性、歴史の多様性を顧みることなく、鯨やイルカを殺すのは残酷だ、犬を食べるのは野蛮だ、馬に鞭を入れるな、などと言い立てるのは、傲慢以外の何ものでもありません。この傲慢は、鯨やイルカはクルージングで観賞すべきものであり、犬は散歩に連れて行くべきものであり、馬は、それがどういう生き物なのかはよくわからんがまあ自然の中に放っておけよ、という価値観を強制します。そしてまた、この傲慢を疑わない者は、なぜターバンを巻いた人々が毎日決まった時間に決まった方角を向いて地面に額を擦りつけるかを理解せず、なぜ自分の国家が他の土地に生きる人々から嫌われるかを理解せず、なぜ世界から暴力がなくならないかを理解しません。
 環境保護は重要だと思います。世界中に自由を広めるのも重要だと思います。しかしだからといってその主張が無謬のものであると信じてはいけないのです。
 マグロの数は減っているのかもしれない。減っているマグロの中トロを、僕が回転寿司屋でニカン百円で大食いするのは罪なのかもしれない。でも、誰かにマグロを食べるなと言われたら、僕は糞くらえと言い返すでしょう。数が減っているなら、一カン百円で結構。ニカン五百円でも結構。一カン千円でも結構、食べないけど。しかしマグロなし、は認められません。要は、乱獲による安価供給を修正して、贅沢の適正な幅を見つけることが重要なのではないでしょうか。
 環境保護や圧政からの解放、といった言葉は錦の御旗にぴったりで、真っ向からの反対するのをついためらってしまう。だからこれらの言葉には容易にファッショへ転化してしまう側面があると思う。それに抑制をかけるためには、歴史と文化の多様性を踏まえた冷静な留保が、社会に生きる市民一人一人に常に意識されている必要がある。その一歩は、たとえば競馬新聞をめくる時に、出走欄に載っている四百頭あまりの馬がどこで生まれ、この先どこで死んでいくことになるのか、日本は競走馬にとって生きるのに幸せな場所なのか、といったことをぼんやりと考える、そんなことから始まるように思う。

31.Mai.2005 Dienstag アジア競馬連盟でググると

 目下、2レースで行われているアジア・マイル・チャレンジが、来年は4レースで施行されることになりました。新たに加わるのはフューチュリティ・ステークス(オーストラリア)、ドバイ・デューティー・フリー(アラブ首長国連邦)の2つのGI。
 このシリーズ、今年は5/14チャンピオンズ・マイル(HK)から6/05安田記念(JPN)で終了。しかし来年は2月末のフューチュリティ・ステークス(1600m予定)で開幕し、3月末のドバイ・デューティー・フリー(1777m)、5月上旬のCM(1600m)を挟み、6月初旬の安田記念(1600m)で大団円を迎えることになります。
 いいことだと思います。開催国が四カ国に増えてにぎやかになりますし、2月末から6月初めまで施行時期に広がりが出たことで、有力馬がよりシリーズに参戦しやすくなるでしょう。今年の日本馬でいうなら、クラフトワークやハットトリックといった冬場に連勝してきた馬が、春に使うレースがなくて安田記念までぼんやりと過ごす、といったことがなくなるはずです。
 さて、今週の安田記念はアジア・マイル・チャレンジの最終戦。Silent WitnessとBullish Luckの襲来を、アドマイヤマックスとダンスインザムード、テレグノシスが迎撃します。その陰で無視されているのが、香港から参戦のBowman's Crossing。2年半勝ち星がないうえ、父Dolphin Streetの日本での産駒成績もさっぱり。Bowman's Crossingが勝つなら、きっと他の17頭はみんな落馬しているんだろうという気もします。しかし大穴というのは、なぜこの馬が勝てたのかわからない、という馬があけるもの。香港馬三頭での決着というのも、面白い未来ではあります。

22.Mai.2005 Sonntag 久し振りだね!冗談でも聞いていきなよ

 図鑑にはこう出ている。
 気象予報士。翌日の天気を予想し、当日その予想が外れたわけもきちんと説明できる人物。
 競馬評論家。翌日のレースを予想し、当日その予想が外れたわけもきちんと説明できる人物。
 この二つは全く同じ職業に見える。だが前者はその予想で金をもらうが、後者はその予想で金を捨てるという点で全く異なっている。
 どっちがよりまともな職業かって?僕なら銀行員になるね。

21.Mai.2005 Sonnabend 小噺を一つ

 授業中、ある学生が、自分は預言者であると言い出した。困った教師がその生徒に、なぜそんな馬鹿げたことを考えるのか、と尋ねると、生徒は「神様のお告げがあったからだ!」と胸を張った。すると教師は言った。「俺はそんなことを言った覚えはない」。

20.Mai.2005 Freitag 理想と僕と現実と

 やりたい仕事があるんだ。
 それなら黙ってそれをやればいいじゃん。
 その通り。だから僕は黙る。その仕事を実現できるまで黙る。
 でもそれは多分、その仕事を実現できなかった時に、自分が傷つきたくないからなんだろうと思う。僕のアップル・パイが傷もうと傷むまいと、それが僕だけのパイならば、それが僕しか知らないパイならば、僕は他人の目から隠れてそのパイを始末することができる。そうじゃないだろうか?
 筆記で落ちるのはまだいい。いや、まだいい、どころじゃない。テーブルに花を飾ってクラッカーを鳴らしたいくらいだ。パンパカパーン、おめでとう、君はreflectの後ろにinが来るのかonが来るのか判別できませんでした。ひゃっほう僕、とりあえずラムでも飲もうぜ!
 でも面接となるとそうじゃない。面接官の渋い表情を、あるいは頸部の横方向への反復運動(日本ではこれを「ダメだこりゃ」というらしいけどさ、ハハ!)を、テーブルの花とクラッカーですませるわけにはいかない。
 何が言いたいかって?そう、それを明確にしなきゃね。論旨を明確に、これは誰だって中学校の小論文の授業で教わることだから。
 認めよう、僕は落ち込んでる。もちろん、結果は何も出ていない。今期一発目の面接が今日終わったというだけだ。来週にはもう一つある。再来週にはもう一つ、さらにその次の週には……。結果がでていない内から何を悲しむ必要があるかって?ねえ君、人当たりに多少の自信があってさ、幾らかの準備をして新幹線に乗ってさ、それで一日かけて返ってくるものが、チョーさんには遠く及ばないおっさんの渋面とダメダコリャ、だったとしたら、ちょっとくらい凹んでも誰に文句をいわれる筋合いがあるんだい?支給される交通費を時給として計算に入れるとしてもだよ。
 自分がどうしてもやりたい仕事があって(就きたい職業という意味じゃなくて)、それでもその仕事にかける意気込みを相手に伝えられなかったというのは、きっと企業研究(この言葉は「英語の授業お願い」と同じくらい嫌いなんだけれど)が足りなかったから。あるいは、自分がやりたい仕事と、自分が志望する職業との間の結びつきを、僕自身まだよく理解していなかったから。こう書くと、自分がまるで、バカという名のアンコで練ったアホウという名の巨大な饅頭にでもなったような気がして、いたたまれない。でもきっとそうなのだ。まだまだ勉強が足りないということ。誰かが言っているのが聞こえる。おいおい、二ヶ月間も図書館通いを続けたあげく、出てくる結論がそれか?
 競馬の話を。僕はずっと競馬に打ち込んできた。それは逃避だったろうか。僕にとって小説がそうであったように?文学や文芸は自己との対決でなければならない。少なくとも、芭蕉や漱石、キング(この三つの名前を並べることに違和感を抱かない僕は異常なのだろうか?ある種の人々にとってはそうかもしれない、でも僕は独り砦に篭って銃を撃ち続けなければならないハメに陥ったとしてもこの立場に立ち続けるだろう)にとってはそうだった。僕はそう思っている。
 ええと、何の話だったっけ?そう、競馬だ。僕は五月に入って競馬をやっていません。GIすら買っていません。
 勝馬を予想するというのは一種の予言です。だから競馬予想も、王者が勝つ時は堂々と一番人気を指名し、王者が一敗地に塗れる時にはあっと驚く風雲児を指名する、といった姿勢でありたいものです。天皇賞・春で何となくヒシミラクルを本命にすえるような馬券だけは買わないようにしないといけません。
 オークスも買いませんし、ダービーも買いませんので以下の予想は甘いです。馬券予想の範疇にすら入らないいい加減なものとして捨ててください。そんな捨てるような文章を何で書くかといえば、それは上記からお察しください。
 さて、優駿牝馬(オークス)、面白くなりました。ラインクラフトがでないというだけで、ヒモ荒れ予想に動きたくなります。しかし一番人気のシーザリオは、マイルのGIであれだけの競馬。今回は三着までと考えて、波乱を待ちたいと考えます。
 軸に押すのは、16番ビッグフラワー。砂で負けを重ねた母父トニービンの鬱憤が暴発すると見ます。相手には1番エリモファイナル、3番コスモマーベラス、7番レースパイロット、11番エイシンテンダー、14番ジョウノビクトリア、18番ジェダイト。無責任に穴の予想をする時くらい、せめて派手な予言者を気取りたいところです。

15.Mai.2005 Sonntag Silent Witnessの敗北と、コスモバルクの大敗と

 アジア競馬連盟というものがあるそうです。アジアといっても西はトルコから南はニュージーランドまでをも含む、非常に広い地域の競馬主催団体が集まって作っている連盟のようです。伝聞調で書くのは、最近までその存在を知らなかったから。ついでに今もよくわかっていません。
 小説や漫画だったら、競馬連盟の位置づけをとても簡単にすませることができるでしょう。連盟の会長はオイル・ダラーを操る世界でも有数の富豪、Mr.X。人前に顔を出す時は常に黒覆面に黒眼鏡をかけているため、その素顔を知るものはない。そんなMr.Xに付き従う二つの影。Mr.Xの表の世界の生活を取り仕切る美少女秘書(←この言葉には僕の中の大切なものが破壊される脅威を感じる)、蝶可憐。闇の世界で兵器や麻薬の取引、大掛かりな八百長といった汚れ仕事に携わる謎の美女メズーサ。彼らは、モンゴルの聖地で開催される百年に一度のレースで、ある賭けをしようとしていた。Mr.Xが求めるのは、果たしてアジアの支配権か、それとも核を用いた第三次世界大戦なのか――。一方その頃、日本のある山奥では、Mr.Xの資本による極秘競馬施設の造営が進められていた。アジア競馬連盟の正当性に疑問を持ち始めた老調教師鹿島大造、メズーサに父を殺された病床の女子高生馬主(←これも脳の神経が一本死ぬくらいの響きがあるな)草涼子、少年忍者トビ丸。三人はある日、競馬施設の近くでサルのような少年に出会う。彼こそは猿谷に住む、天才騎手の素養を持った少年、猿谷猿丸だったのだ!山での平和な生活を乱されたスーパージョッキー猿は、鹿島調教師や草涼子、その他もろもろのワケあり登場人物と一緒に、義憤に燃えてMr.Xの陰謀に立ち向かっていく!!
 プロゴルファー猿、懐かしいなあ。僕はあらゆるスポーツで教科書を決めていて、野球なら『ドカベン』、水泳なら『ラフ』、リアクション芸なら『美味しんぼ』、潜水艦なら『沈黙の艦隊』を常に参考にします。これから先、もしゴルフをやるようなことがあれば『サル』が僕の教科書群に加わるでしょう。プロゴルファー猿じゃなくてね。
 妄想修了。む、いい言葉だ。妄想とは終えるものではなく修めるものである、カント。エマヌエルじゃなくて山本だけどな。
 さて、現実のアジア競馬連盟は、もちろんそんな頭のネジが、普段は一本なんだが特別キャンペーン価格で二本もぶっ飛んだ存在ではありません。今のところ、いくら広いアジアとはいえ西欧スタイルの競馬が盛んなのは中東の一部と日・韓・香港程度。それも明らかに同レベルではなくて、ドバイを抱える中東が一歩も二歩も先んじ、香港と日本が肩を並べ、その後ろから韓国競馬が歩んでいるという状態。当然、アジア競馬連盟と謳っても、地域内でも協力関係というのはあまり存在していません。中東資本が日本競馬を席捲するのにここまで手間取っているのも、そのあらわれのように思います。事情通にはまた別の見方があるでしょうけれども。
 今回、5月14日に香港で行われたアジア・マイル・チャレンジ第一戦、チャンピオンズ・マイルは、競馬のアジア選手権競走設立の第一歩になるかもしれません。このレースに勝った馬は、第二戦の安田記念(於日本・東京競馬場)でも優勝すると、アジア・マイル・チャレンジ総合優勝馬として表彰され、馬主には賞金とは別に100万米ドルの褒賞金が付与されることになっています。第一回目である今回、無敗の17連勝を続ける香港最強馬Silent Witnessが参戦しました。日本から挑むコスモバルク、マイネルソロモン(熱発で回避)はこの馬に胸を借りる構図です。
 ところで、このシリーズは、開催地が極東であるにもかかわらず、アジア最強マイラー決定戦として、だけではなく、春季の世界最強マイラー決定戦として、成長していくかもしれません。昨年、欧州の三歳牝馬のトップマイラーを決定する1000ギニーに英愛二カ国で勝ったAttractionの参戦があったからです。ヨーロッパから極東へ、たった一戦消化するためだけの輸送はためらわれても、域内で二つの重要なGIレースを使うローテーションが組めるなら、欧米からも名馬は来るのです。昨冬のJCに参戦した外国馬も、その後漏れなく香港に寄ってから帰っていきました。
 今後、日本の初夏に、ヨーロッパやアメリカのチャンピオン・マイラーが来るかもしれない。そう考えるだけで胸が躍ります。不整脈の気があるのでしょう。
 ただ、希望に満ちたアジア・マイル・チャレンジ第一戦は、残念ながら期待外れに終わった、と見る向きがあるかもしれません。なぜなら、香港ではオグリキャップどころではない騒ぎになっているSilent Witnessが二着に敗れ、コスモバルクは十着に、Attractionは十一着に、それぞれ大敗したからです。アタマ差で無敗の名馬を下したのは、皮肉にもSilent Witnessと同厩のセン馬Bullish Luckでした。
 しかし僕はこの結果を期待外れだとは思いません。Silent Witnessは1400mもこなすところを示していたとはいえ、その連勝記録を1200m以下で積み重ねてきた馬でした。この馬の本質は1200mで力を見せるスプリンターでしょう。今回の惜敗はむしろ、不向きな1600mを堂々の逃げで「克服した」レースであったととらえるべきです。今回の敗戦で安田記念への参戦がどうなるかはわかりませんが、このチャンピオンズ・マイルはSilent Witnessの価値を損なうどころか、その輝きを増すものだったと思います。
 コスモバルクは深刻です。陣営の目的がわかりません。3200mの天皇賞を目標にしておいて、なぜ今回1600mの、それも負担の大きい海外でのGIへの参戦となったのか。陣営がコスモバルクに望むものは何なのでしょう。ハルウララのそれのような浮ついた人気なのでしょうか。
 やめてください。そんなもののために、僕は昨年あなた方の馬の馬券を買い続けたわけではない。セントライト記念のコスモバルクでいいじゃないですか。JCの彼でいいじゃないですか。皐月賞の彼でもいいじゃないですか。それでは足りませんか。有馬記念のコスモバルクを見て、何も思わなかったとしたら、そいつはどうかしているとしか、僕には思えません。
 二着に敗れた馬と、十着に大敗した馬とでは、記録上は同じ負け、賞金がついても負けは負け、それでも全く競馬の質は違っていました。人馬という言葉、あえて一考の余地があるでしょう。

18.April.2005 Montag 皐月賞感想

 辞書の「子供扱い」という項目に、用例として載せておきたいようなレースでした。スタートでつまずいた時、そして向正面でやや頭が上を向いた時、ディープインパクトの勝利を危ぶみましたが、出遅れようが引っかかろうが、直線に入れば単騎別次元の脚を使うのですから恐ろしい馬です。
 まず一冠はとりました。二冠目はどうでしょう。
 ディープインパクトの母ウィンド・イン・ハー・ヘアの父アルザオは、リファールの直仔でスピードと仕上がりの早さが売り。しかしアルザオの血を単純な早熟マイラーと断定してしまうことはできません。半兄にトムロルフを持つ母レディ・レベッカが、アルザオを通じてその産駒にそこそこのスタミナを伝えているからです。
 ウィンド・イン・ハー・ヘアの母系にはブランドフォード、フェアウェイといった血が入っており、奥深い血統を構成しています。鈍重なのかタフなのか、あるいは古臭いだけなのかよくわからないという意味で、ですが。
 ちなみに、こんな母血統分析をする理由は、僕が「サンデーサイレンスは母系で走る」という信念にしがみついているから。同じSS×Lyphardの配合ながら、母系に今ひとつ目立つものがなく2000mがベストだったバブルガムフェローと違って、ディープインパクトはある程度距離をこなすでしょう。彼が無事に競争生活を終えた時に振り返れば、案外2400mが適距離だった、などということになるかもしれません。ダービーはこの馬と、中山で死んだふりを続けるスキップジャック、そして青葉賞ないし京都新聞杯の結果次第ではダンツキッチョウ、この辺の組み合わせを楽しみにしたいと思います。

16.April.2005 Sonnabend 三冠開戦前夜

 新種牡馬やマイナー種牡馬の特徴をつかむために、それういった種牡馬の産駒成績をまとめる作業をしています。アドマイヤベガ産駒がダートでまだ一鞍も勝っていなかったり、マイネルラヴ産駒のダート戦勝鞍が直線で坂のあるコースにのみ集中していたり、新しく知ることが多いです。父テイエムジャンボとか父フサイチソニックといわれても、血統がすぐには出てこないので、ここらでしっかり勉強しなおしておこうと思っています。
 明日は皐月賞が行われます。上位人気七頭は14番ディープインパクト、3番マイネルレコルト、13番ローゼンクロイツ、16番アドマイヤジャパン、6番ビッグプラネット、18番ダンスインザモア、5番ヴァーミリアンで、14を除く全頭が単勝二ケタ台のオッズをつけています(前売り土曜17:30時点)。
 マイネルレコルトは折り合い面に不安があります。人馬の不和から弥生賞の二の舞となる恐れがあり、買えません。ローゼンクロイツは毎日杯を快勝するも、弥生賞やスプリングSを避けたローテーションが不満で、買いません。ヴァーミリアンは前走があまりに不甲斐なく、デムーロだから買うというのも無様な理由で、特に前二年はこの騎手にしてやられているのですから、ここで宗旨替えなどもってのほかです。
 三連複で攻めます。攻めるってほどの馬券ではありませんが。6-14-16、6-14-18の二点で勝負です。前者なら37倍前後、後者なら75倍前後の回収があります。

09.April.2005 Sonnabend 赤心を集めて花の静かなる

 桜花賞は皮肉な枠順になりました。ラインクラフトが17番、ショウナンパントルが18番枠。同条件の阪神JFでライラプスが17番枠に入り、道中外々にロスを重ね、二番人気を背負いながら八着に沈んだ過去を思い出させます。そのライラプスは今回11番枠。意趣返しが見たいものです。ラインクラフト、ショウナンパントルが、外目を中団から後方に控えて回るようなら、ライラプスの先行力が生きるでしょう。
 阪神JF組を嫌えば、当然シーザリオ、エイシンテンダーの無敗両頭を買わざるをえません。しかしシーザリオは、同厩のディラデラノビアとの兼ね合いから桜花賞は使わない予定だったものを、急遽出走に踏み切った点で不安があります。ここはエイシンテンダーがローテーション、コース経験で有利でしょう。
 馬連8-11一点で取れるレースです。これで57倍もつくなら何も文句はありません。

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