OSCタイトル

OSCとしてのJohnnie Walkersは、1998年7月7月29日、コンサドーレ札幌VSセレッソ大阪戦の日に正式結成されました。森会長・小林応援団長を中心に、現在21名が在籍しております。ホームでの応援は、主にバックスタンド・ホーム側A自由席を中心に、メインSS席やバックS席にメンバーを広く配置し、幅広い(?)応援を繰り広げています。
1998年のOSC結成後間もなくにダンマクを制作し、同年秋にはフラッグを掲げて応援しています。

フラッグ
Johnnie Walkersのダンマク。
普段はバックスタンドホーム側の端の方に貼ってあります。コーナーキックの時は要注意!
Johnnie Walkersのフラッグです。
一時は持って行くと負けが続いてしまい、廃棄も検討されました(笑)


輝ける(?)Johnnie Walkersの歴史
<2004年12月30日現在>
(文中敬称略)

〜もくじ〜
JWな人々の遠征時の戦績はこちら
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1998年
1998.4.25 かねてからの観戦仲間だった高橋・森・山崎がベルマーレ平塚戦(室蘭)を観戦に行く。一方、森の職場の同僚の佐々木が、学生時代からの友人である小林・仁木と同じ試合を観戦。試合終了後に一緒に温泉に行き、OSC結成の話が上がる。
1998.7.29 OSC.Johnnie Walkersが正式結成され、結成披露パーティが大谷地のつぼ八で開催される。
1998.8.29 OSCを母体にした「Johnnie Walkers FC」結成。サンフレッチェ広島戦前に初練習。
1998.9.12 この日の京都戦で、この年のホームゲーム入場者が10万人を達成。会長がみごと10万人目になる。
1998.9.26 SANOがJWメンバー初のアウェイ観戦(対ガンバ大阪戦)。0−1でコンサ敗戦(涙)
1998.11.14 横浜F最後のリーグ戦でフラッグが初お目見え。4−1で負け。団長がフラッグをピッチに落し、その結果このフラッグに負けぐせがつく
1998.11.21 アウェイ参戦第二弾として、山崎がJ1参入戦のヴィッセル神戸戦(神戸ユニバ)に参戦。1−2で敗戦。
1998.11.26 参入戦ヴィッセル神戸戦に森・小林・高橋・佐々木・SANO・山崎が平日日中の試合にも拘わらず観戦。0−2で敗戦。
1998.12.5 Johnnie Walkersメンバーがほぼ勢揃いし、参入戦アビスパ福岡戦観戦。結果は語りません(大泣き)
1998.12.20 Johnnie Walkers(OSC&FC合同)忘年会を f CLUBにて開催。
1999年
1999.3.14 メンバーの野島夫妻の結婚式。会長が代表して出席し、コンサコールを披露??
またこの日J2開幕。大分トリニータに0−1で敗れ、コンサつまづく。
1999.3.28 コンサ道内開幕戦となるサガン鳥栖戦(室蘭)。年を越してもフラッグのたたりは続いているらしく、2−3でVゴール負け。
1999.4.7 ナビ杯福岡戦(室蘭)に小林・山崎が仕事を休んで参戦。フラッグ作成以来初の勝利を手にする。
1999.4.18 SANOがJWアウェイ3戦目となる川崎フロンターレ戦(等々力)に参戦。やっぱり0−2で負ける
1999.5.2 厚別開幕戦となるヴァンフォーレ甲府戦。フラッグのたたりがやっと消えた分、今まで貯めていた運が爆発!!6−0でコンサドーレ勝利!フラッグのリーグ戦初勝利!(今ごろかよ・・・)
1999.6.21 Johnnie Walkers公式サイト「Johnnie Walkers ホームページ」誕生。
1999.7.3 会長、アシスと「マブ」になる。しかしこのシーズン終了後、アシス退団。JWとマブになると退団するというジンクスが始まる
1999.8.29 FC東京を4−1で粉砕!有志で祝勝会開催。大谷地のつぼ八にコンサコールが鳴り響いた。
1999.9.26 イヤーブック向けの記念撮影を新潟戦終了後行なう。しかし1−2で負けたため、みんな暗かった。
1999.10.17 山崎がアウェイのFC東京戦(江戸川)に参戦、1−0で勝利しJWアウェイ参戦初勝利となる。
1999.10.24 この日の鳥栖戦で、厚別競技場の通算来場者が50万人を突破。高橋が惜しくも500,001人目となる。
1999.11.21 今季最終節に、会長・高橋・佐野・山崎、そしてJWFCの鎌田が参戦。チーム創設以来初となる対仙台戦敗戦の歴史的瞬間を目の当たりにする。
1999.12.5 天皇杯2回戦(対マインドハウスTC戦、室蘭)に山崎参戦。今季最後の道内開催ゲームを勝利で飾る。フラッグは雪のため初のお休み。
1999.12.19 恒例のJW(OSC&FC合同)大忘年会を「f CLUB」にて開催。今年はFC選手の表彰も行なわれた。
2000年
2000.3.12 2000年J2開幕戦、鳥栖vs札幌(鳥栖)に山崎が遠征。また、留守番部隊はサポートシップスポンサーの「水月」に集結。4−0の圧倒的勝利を告げる山崎の電話速報に全員が酔いしれる(笑)
2000.3.30 2000年J2道内開幕戦、札幌vs新潟(室蘭)を森・高橋・小林・山崎が平日にも拘わらず観戦。エメルソンを中心としたスピーディーなサッカーに全員目をまるくする(試合は3−0でコンサ勝利)。その後札幌に戻りf CLUBで祝勝会。
2000.4.23 森・高橋・小林・山崎とFCの奥田・大河原が函館ホームゲーム初開催となる山形戦に遠征。長距離遠征の甲斐なく0−2でコンサ今季リーグ戦初黒星。
2000.6.4 山崎が、2000年リーグ天王山の浦和戦(駒場)に遠征。1−0でチームタイの8連勝を見届ける。フラッグとダンマクは混雑が予想されたため持参を断念。
2000.6.25 山崎が、湘南戦(平塚)に遠征。2−1で逃げ切り、J2記録となる12連勝を見届ける。湘南の風にフラッグが大きくひるがえった。
2000.7.16 第8節浦和戦延期カードを高橋、小林、森、山崎が遠征。1−1の引き分け。その後札幌に戻り、SC札幌が主催する「池内友彦選手大激励会」に参加。SC札幌スポンサード・JW制作の池内選手応援ダンマクが披露される。
2000.10.21 昇格がかかった湘南戦(平塚)にSANO、山崎が遠征。3−0でコンサが勝利し、J1復帰を決める!!JWアウェイ遠征成績が遂に勝ち越しに転じる!!
2000.10.29 この日行われた大宮戦でコンサのJ2優勝が決定。大谷地のつぼ八にJWメンバーが集まり、優勝祝賀会が開かれ、祝杯をあげるとともに、HFC増資のため、JWで1株購入を機関決定。
2000.11.19 J2リーグ戦最終節となる新潟戦(新潟)に森が遠征。有終の美を飾った最終節を見届ける。これで、今季JWメンバーのアウェイ遠征は5戦全勝!!通算成績も6勝4敗0分となる。
2000.12.3 コンサ2000年道内最終戦となる天皇杯・草津東(室蘭)に森・仁木・小林が遠征。6−0でコンサ勝利。コンサ最後の生え抜き選手・村田のラストプレーを見届ける。
2001年
2001.2.某日 JWのジンクスどおり、池内選手がレンタル期間終了のため鹿島に復帰し、コンサを去る。SC札幌さんから託されていた池内応援ダンマクは、SC札幌さんを通じて、池内選手のお父さんに寄贈。
2001.3.10 トップリーグ復帰初戦となるC大阪戦に山崎が遠征。終了直前の播戸のゴールで2−1の勝利。思わず山崎、壊れる
2001.3.17 初の高知開催のホームゲーム、柏戦に小林がホーム皆勤賞欲しさに遠征初遠征初勝利(2−1)に遠征にハマったかも??
2001.4.7 道内開幕戦となる東京V戦に森、小林、仁木、高橋、丸井、佐々木夫妻、山崎が遠征。2−0で勝利。すでに長居で免疫が出来ていた山崎以外全員が俺王臣下となる(笑)
2001.4.18 ナビ杯大分戦に、小林、佐々木(美)、高橋、丸井、山崎が遠征。まったりムードの試合に、久々にホームゴール裏に陣取った山崎が応援放棄試合に勝ったものの、得失点差でナビ杯一回戦敗退。
2001.4.29 函館開催のG大阪戦に、森、小林、高橋、山崎とFCの奥田と奥田の若いお母さんが遠征。見づらいバックスタンドでの観戦にいらつきながらも、念願の函館開催初勝利を見届ける(1−0)
2001.5.12 待ちに待った厚別開幕戦。俺王様2得点で鹿島にチーム創設以来初勝利。試合終了後、俺王様がJWメンバーに謁見その模様が翌日の道新朝刊で大きく報道される。
2001.5.19 1stブッチギリで首位爆走中の磐田との対戦を見届けるため、山崎が磐田戦(ジュビスタ)に遠征。和波のゴールで先制するも、終了直前に同点にされ、結局Vゴール負けしサッカーの厳しさを学ぶ。っていうかあそこまで踏ん張ったなら勝てよ!(怒)
2001.6.23 昇格組対決初戦の浦和戦(駒場)に森・山崎が遠征。山崎の対浦和不敗神話(2勝1分)と森の対浦和不勝神話(1分)の対決は森の圧勝(泣)
2001.7.21 コンサドーレが札幌ドーム初見参!A自由席ではフラッグが振れないとのことで、ドームではフラッグ振りはおやすみ。そのせいか、横浜Mと引き分け。
2001.8.18 セカンドステージホーム初見参となるFC東京戦で、自爆(OG2、PK1)の末2−5の大敗。あまりのショックに山崎がスタンプラリーのスタンプをもらい忘れる。
2001.9.8 厚別に福岡を迎え、連敗阻止に向けて山崎が99年5月以来のゴール裏で応援。前半2−0、後半も一時3−1でリードするも、今年何度も喰らったロスタイムの失点で同点に追いつかれ、追い撃ちをかけるように3−4でVゴール負けし、A自由席に陣取ったJWメンバーがついにキレる
2001.9.15 5連敗阻止に向けて、JW準会員の梅原がJWフラッグをゴール裏で振る。その甲斐あって3−2でVゴール勝ち。このため、当面ドームのゴール裏で梅原がフラッグを振る羽目になる。
2001.9.22 佐々木夫妻とJWFCの鎌田がG大阪戦に遠征。アダウト・健作が退場処分で9対11の試合となり、翌日行ったUSJのアトラクションより数十倍スリリングな試合を満喫しかし試合はコンサの懸命のディフェンスにより0−0のスコアレスドロー。
2001.10.13 SANOが東京V戦に遠征。あっさり1−0で勝利。昔のジンクスはどこへやら(^^;
2001.10.31 SANOが趣味と実益を兼ねて名古屋戦に遠征(っつーかただの仕事だったらしい)見せ場もなく0−2で敗戦。
2001.11.17 山崎がJALのバーゲンフェアを利用して柏戦とユースのFC東京戦に遠征。柏には0−1、FC東京ユースには1−3とまったくいいところなしの遠征だった。
2001.12.16 毎年恒例のJW忘年会をf-CLUBで実施。これまた恒例のカルトクイズは準会員の梅原がぶっちぎりで優勝し、ビョーキっぷりを発揮した。
2002年
2002.3.3 J1が開幕し、広島に1−5で敗戦。小林団長宅で観戦会が開かれたが、一同沈黙。
2002.3.9 高知で行われたホームゲームの仙台戦に小林団長と準会員の梅原が遠征。かつおのたたきの美味しさにやられ、試合の記憶は全く無かったそうです(ということにしておきたいらしい)。
2002.4.13 道内開幕戦、森・小林・高橋・丸井・山崎、JWFCの鎌田が参戦。しかし京都に1−2vで敗戦。平岡の暖中でヤケ食い大会開催(涙)
2002.4.20 函館での鹿島戦に、小林・高橋、JWFCの鎌田が参戦。ユース出身の新居が初出場初ゴールを決めるも1−3で敗戦。参戦者は毎度おなじみの記憶喪失に。
2002.7.13 W杯明け初リーグ戦となる神戸戦(神戸)にSANOが遠征。セットプレー1発で0−1の敗戦。
2002.7.20 コンサ国立初見参となる浦和戦に山崎が遠征。東京に転勤になっていた元JWFCの奥田とその奥様も参戦したが、2−1で敗戦。また、この試合から準会員の梅原が私財を投じて作成したJWビッグフラッグがお目見え。しかし、サイズを発注し間違えたという噂があるが、真相は本人のみぞ知る。
2002.8.7 たまたま仕事で関東方面に出張中SANOが、「千葉の知人に会う」とかテキトー、かつバレバレなウソをこいて市原戦参戦。攻撃陣3人出場停止に加え、よーへー退場でさっくり0−2で敗戦。
2002.10.27 コンサ、2度目のJ2降格決定。JWメンバーは残念ながらその瞬間に誰も立ち会えず。
2002.11.23 山崎が牛タンを食べに仙台に遠征。何やら仙スタで元コンサの村田が活躍しているということなので、ついでに見に行く。
2002.12.14 OSC&FC合同の忘年会をf-CLUBにて開催。恒例のクイズ大会の優勝者は、たまたまf-CLUBに来ていた一般のお客さんにかっさらわれる。
2003年
2003.6.某日 この月発行のファンクラブ会報にて、JWの紹介が掲載される。
2003.6.21 この日行なわれた甲府戦のSBゾーン席のJW席で、誰も知らないおやぢがハーフタイム中にJW席に座ってしまう珍事が発生。しかし全員が「誰かの知り合いだろう」という勘違いをしたため、お咎めなし。おそらく森会長の怪音波にやられたであろう。
2003.10.18 すっかりJ1昇格の望みもとうの昔に断たれたとういうのに、奇特にも高橋と山崎が川崎F戦(等々力)に遠征。0−1というスコアより、札幌が僅かシュート2本という公式記録に驚愕。っつーか、そんなにシュート打っていたっけ?
2003.12.20 OSC&FC合同忘年会開催。席上、OSCの役員改選が行なわれ、投票時にトイレに立っていた山崎が本人の知らぬままに会長就任となる。いや、トイレ中に欠席裁判はやめましょ〜よ〜(涙)。
2004年
2004.春 某プロスポーツチームオフィシャルガイドブックの制作を通じて、久しぶりの新メンバーとして吉田が加入。
2004.11.14 天皇杯4回戦、市原戦が室蘭入江で開催される。リーグ戦のモチベーションそのままにJWのメンバーは小林と山崎、それに準会員の梅原だけが参戦。市原に先制されるも、上里のミドルで同点、延長に入り相川がVゴールを決め、望外のジャイアントキリングを目の当たりにする。
2004.12.12 天皇杯5回戦、大分戦が熊本陸上競技場で開催され、JWから山崎が遠征。後半10分に権東がヘディングシュートを決め、そのまま逃げ切って1−0で勝利。JWアウェイ遠征時の連敗記録を3年ぶりに止める。
Johnnie Walkersメンバー
アウェイ&道外ホーム遠征時のコンサ成績
10勝13敗1分 得失差−2(得点22、失点24)
遂に3年振りにアウェイ勝利ゲット!!2005年もこの勢いで!!
年月日 遠征者 相手(競技場) 結果 コンサ得点者
1998.9.26 SANO G大阪(万博) ●0−1 なし
1998.11.21 山崎 神戸(神戸ユニバ) ●1−2 棚田
1999.4.18 SANO 川崎F(等々力) ●0−2 なし
1999.10.17 山崎 FC東京(江戸川) ○1−0 吉原
1999.11.21 森、高橋、SANO、山崎 仙台(仙台スタ) ●0−1 なし
2000.3.12 山崎 鳥栖(鳥栖スタ) ○4−0 播戸、エメルソン3
2000.6.4 山崎 浦和(駒場) ○1−0 ビジュ
2000.6.25 山崎 湘南(平塚) ○2−1 エメルソン2
2000.10.21 SANO、山崎 湘南(平塚) ○3−0 名塚、播戸、エメルソン
2000.11.19 新潟(新潟) ○2−1 播戸2
2001.3.10 山崎 C大阪(長居) ○2−1 ウィル、播戸
2001.3.17 小林 柏(高知春野・ホーム) ○2−1 ウィル2
2001.5.19 山崎 磐田(磐田スタ) ●1‐v2 和波
2001.6.23 森、山崎 浦和(駒場) ●0−2 なし
2001.9.22 佐々木 G大阪(万博) △0−0 なし
2001.10.13 SANO 東京V(東スタ) ○1−0 アダウト
2001.10.31 SANO 名古屋(瑞穂) ●0−2 なし
2001.11.17 山崎 柏(日立柏) ●0−1 なし
2002.3.9 小林 仙台(高知春野・ホーム) ●0−1 なし
2002.7.13 SANO 神戸(神戸ユニバ) ●0−1 なし
2002.7.20 山崎 浦和(国立霞ヶ丘) ●1−2 小倉
2002.8.7 SANO 市原(市原臨海) ●0−2 なし
2002.11.23 山崎 仙台(仙台スタ) ●0−2 なし
2003.10.18 高橋、山崎 川崎(等々力) ●0−1 なし
2004.12.12 山崎 大分(熊本)<天皇杯> ○1−0 権東
集合写真
OSCメンバー(一部欠席者あり)  1999.9.26対新潟戦にて