ことちの会
「血がでたの?」
「うん。血がでたの。」→「ウ〇チがでたの。」
上にあるような遊びは知っていると思うが、うちの中学では、これをさらに改良したもので楽しむのがはやった。(自分を含めて10人くらい)その集まりを『ことちの会』と名付けた。「こ」と「ち」というのは、「うん」を頭につけたあと、「ウ〇コ」「ウ〇チ」となるからである。この会の作品の例としては、
「コボちゃん?」、「コミックス?」、「告訴?」、「地層面?」、「致死量?」
などが挙げられるが、さすがにここまで来ると、なにか文化的なものを感じる。ちなみに、ここに挙げた作品はまだ初期の頃の作品である。初めの頃は、頭に「こ」や「ち」のつく単語を思い出したり辞書で調べたりしていればよかったが、それではいくら辞書でも限りがある。そこで、
「このバス?」、「このビル?」、「これコード?」、「これシート?」
などの様に単語を組み合わせる技術が生まれた。もちろんこれらは、例えば「このバス?」だったら、「〇〇〇伸ばす。」となるわけで、「〇〇〇のバス。」ではない。後者を認めるとしたら作品が無限に生産されてしまうので、『ことちの会』では邪道とされている。単語を組み合わせる技術は応用がきき、
「遅刻がある?」、「困ったりしてる?」、「力(ちから)見合う?」、「力振るう?」、「ちくり、いいなぁ。」(ちくることがいいということ。)、「コブラ運がいい?」、「木の実噛んだ?」
などのように質の高い作品を多くつくれる。
ここで補足。「ちくり、いいなぁ。」は最後が?になっていないが、これは、「ちくり、いいなぁ。」と言ったことに対し、同感する意味で「う〜ん。ちくり、いいなぁ。」とする。
さらに技術が発展し、今度は口で言うと発音が変るものに注目するようになった。例えば、「こうする」という言葉は、発音すると「こおする」となる。「お」を「を」としてみれば、「こうする?」→「ウ〇コをする」とできるのである。これは、実際に口で言ってみて理解できるものであり、この技術の発見が『ことちの会』をさらに発展させることとなった。作品の例は、
「好景気にする?」、「コードレスにする?」、「香水かけた?」、「香辛料?」、「コウモリつけた?」、「甲府、見つけた?」
などだ。そして、ウラワザの発見にも成功した。それは、今までの作品に「こ」や「ち」をつけることによって新たな作品を生み出すというものだ。例えば、もともとある作品「香辛料?」に「こ」をとりつけた「ここを診療?」というものは、「ウ〇コ香辛料」となる。この技法を使えば2〜3割増しの作品増加が期待できる。例を挙げると
- 「こ」+「国際的?」→「ここ臭い敵?」(「故国最適?」ともできる)
- 「ち」+「茅ヶ崎?」→「父が先?」
- 「こ」+「小遣い代わり?」→「ここ、図解がわりー?」(図解が悪いという意味)
これを発見したときはさすがに感動した。
だいたい技法はこのくらい。作品をもう少しあげておこう。
- 「コーランだ」→「〇〇〇ウランだ」「〇〇〇を乱打」「〇〇〇恨んだ」「〇〇〇オランダ」「〇〇〇オラんだ(俺のだ)」
- 「地球開発者」→「〇〇〇9回発射」
- 「この武者震い」→「〇〇〇飲む、しゃぶる、いぃ〜。」(いぃ〜というのは良いという意味)
- 「粉が連動する」→「〇〇〇流れん。どうする?」
- 「近くのスキー場だね。」→「〇〇〇書くの好き?異常だね。」
- 「小屋、ワラ、隠したい」←→「地下、託したい」
- 「チビ、ちょびちょびいる」→「〇〇〇びちょびちょビール」
- 「紅葉よ」→「〇〇〇ウヨウヨ」
- 「コチンコチン。げ〜っ。」→「〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇」
この他にも多くの作品があるが、思いついたのはこのくらいだ。当時、作品はノートに書いておいたのだが、そのノートは別の人が持っているため、ここでは氷山の一角しか作品を紹介することができない。そのノートは1冊30円で買ったものであるにもかかわらず、作品が記録してある唯一のものであるため、我々は聖書と呼んでいた。そこでは作品のみならず、講評や10段階による評価もあった。ちなみに「講評?」という作品もある。
『ことちの会』の会長は私であり、私の作った作品は全作品の8割くらいを占めるだろう。ボツになったものもあわせると膨大な量になる。当時の私は人生を作品作りにかけていたといっても過言ではない。授業中や通学時間、家にいる時間などはいつも作品を考えていた。そして作品を作ることを優先して人生をすごしてきた。授業中も、教師の発言一単語一単語を吟味し、新しい作品の手がかりを探した。その行為は授業中に限らず日常の生活でもしばしばだった。そのためか精神的に辛くなった時期もあった。冷静になってかんがえてみると、自分はなんとバカなことに辛い思いをしているのだろうと思うこともあった。しかし、作品作りに人生をかけていた自分はカッコ良かった。燃えている自分は心地よかった。そして何よりも充実していた。ここで自分に負けることは『ことちの会』の解散を意味するものだと思った。実際、作品が全然おもいつかない時期(通称、便秘期)が何度もあった。だが、いづれ来る下痢期(便秘期の反意語)を信じて耐えた。作品を作りたいという思いが数々の技法を生んでいった。そして、自分を含めほかの会員達も成長していった。はたからみれば馬鹿馬鹿しいとおもわれるが、これに人生をかけた馬鹿者達がいたという事実を述べたうえでこの話を終わることにしよう。
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