













|
1 : 1ミス以内で抑える ・・・・・・・・・・・・・・・・ * 37.9
2 : 崖から落ちて下にネットがない・・・・・・・・* 1.2 3 : デビルロード・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ * 7.0 4 : キラーマシン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ * 5.1 |







|
ここ数週間、 「バラバラ殺人」 検索で来られた方がかなりの数おられて、今日などは、2倍のアクセスがあってその大半がゲームとはまるで関係のない ”この件” における来訪者の方である。 そういった方には「ゲーム中心のHP」に辿り着いて、戸惑っておられるかもしれないが、あまり型にはまらないゲーマーとしての視点で、この 「受験生の兄が妹を殺害して解体するという凄惨極まりない事件」 に切り込んでいきたいと思うので、安心して見ていっていただけたら、と願っている。 なお前日は、 「バラバラ殺人そのもの」 に関する考察だったが、今回は受験シーズンとあって、大幅に視点を変えて、かつゲームを含めてお伝えしたい。 さて、いよいよセンター試験が今週末の土日にある。 このHPを見に来てくれる方の中にも、今年センター試験を受ける人がおられるかも知れないが、自らの ”健康” の方も気遣っていただいた上で、頑張って欲しい。 センター試験は、12年前と4年前に受けたが、今となっては懐かしいものだ。 12年前当時、クラスで ”3バカ” と担任から呼ばれていたゲーム好き高校生の自分は、 「産近甲龍」 (関東でいう 「日東駒専」 ) を目指していていたが、センター試験で得点率が 「46%」 で ( 「産近甲龍」 に行くためには例年、73%〜78%必要) 、結局そのまま一般入試も全滅し、そのまま 「浪人 → ゲーセン → アーケードゲーマー (スコアラー) 」 と、あいなった。 本当に懐かしい記憶である。 だが冷静にあの時を振り返り、センター試験結果が 「46%」 で良かった、と今になって思う。 それは志望していた大学に失敗し、 「ゲーム」 という別の道を進み、違った視点からモノを見てみたり、関連する人々との交流などを経て、それはそれで自分を豊かにしてくれたからである。それは、ストレートに大学、会社と進んで得られる豊かさとは、また別のものだった。 さらに自分の場合は、後年になって再受験するわけだが (4年前・・・ ※ 知りたい方は 「プロフィール」 を参照されたし) 、その際、「仕事」や「ゲーム」で培ったノウハウがそのまま立ち返って受験にも反映され、さらに2年前、一応今の大学を攻略することが出来た (実は現在、留年しそうなのだが・・・) 。そう考えれば、自分の受験は、大いに 「ゲーム」 により裏切られ、大いに 「ゲーム」 により救われたといえる。 だから人生何が起きるか分からない。 さて前章で、 ”健康” と意味深長な符号をつけたが、もちろんこれは事情があって、普通受験生の健康というと、インフルエンザにかからない丈夫な体を指したりするものだが、今回はタイトルからもお察しの通り、そんなテーマではない。 いうまでもなく ”健康” とは、 「頭の健康」 を指している。 今回起きた悲劇としかいいようのない 「短大生バラバラ殺人事件」 は、 ”単なる猟奇殺人” では済まされない部分も多く含んでいる。 それはマスコミがどういうつもりなのか、あまり伝えようとしない ”受験生が感じている強迫観念” や ”矛盾感” についてである。 ここからは、自分の体験も含めて、受験生を多く擁する 「進学校」 について触れながら、問題の核心部分に触れていきたい。 まずそもそも、進学校の生徒だからといって、それが精神的・人格的に完成しているかといえば、とんでもない。この点では他と同様か、いや、若干世間知らずなきらいすらある。 例えば工業高校は、主に工場で生きていくための技術を学び、商業高校では簿記や会計など、商業人として生きていくための知識を吸収し、進学校ではない一般高校では、高卒就職を見越して、企業を学校に呼んだり、ビジネスマナーを教わったりする。 だが、自分が通ったような、99.5%が大学に進学するような進学校では、就職という概念が始めからすっ飛んでいる。いやそれより、「就職を絶対に許さない風土」が出来上がっているわけである。だから自分は溶接も、簿記会計も、ビジネスマナーも、ほんの1分たりとも学ばずに高校を卒業した。しかも自分の場合、1個目の大学を2年で中退して、大学4年 (今では3年から?) に行われるであろう就職のためのトレーニング (ネクタイの締め方、挨拶など) も受けずに終わってしまったから、社会に出たとき、恥のかきとおしで苦労した。何せ、ネクタイの締め方が完璧なまでに間違っていて、しかもそれにすら気付かず、面接先の人事担当者に笑いながら直してもらったくらいである! (もちろん自分も、その場は一緒に笑うしかなかったが、後日キッチリと落とされた) 思わず話があらぬ方向に脱線してしまったが、要は、進学校出身者は意外と世間を知らない、ということを述べたかっただけのことである。 そしてここからが本題である。これは身内の恥を晒すようで情けないのだが、受験直前期だっただろうか、突然教室で 「俺は大学に受からないと生きていられない!!」 と絶叫したクラスメートがいた。 別に発狂しているわけではなく、いつもは普通のヤツだ。ただその時、「視野狭窄」(しやきょうさく)に陥っていた。要は受験しか見えなくなっていて、「人生全部=受験」のように錯覚して捉えられているわけである。 自分はその頃から 「ゲーム」 (あるいは「小説」) というヘビーな趣味 (ちょっとした ”たしなみ” 程度でやるようなものではなく) があって、受験が人生の全てではないと客観的に知っていたから、実に冷めた目でその光景を眺めていたのを覚えている。 この「視野狭窄」は、進学校の生徒ならもちろん、受験を真面目にする人にとっては、避けて通れない道である。 そして他方において、受験生全てが、自らの受験を心の奥底から受け入れているわけではない。 というのは、余程向学心に燃えたごく一部の受験生を除けば、他の大部分が親の見栄や進学校という、進学以外に他の選択を許さないある意味不幸な環境のために、 ”一応大学に入ってみた” 人が多く、入学後も 「とりあえず卒業しておこうかな・・・」 程度のスタンスで在籍している。講義中に寝る人も多いし、試験直前にならないとまとまった勉強をしない (こちらはあまり偉そうなことを言えないが・・・) 。ある特定のスキルを教える専門学校に志願して入って学んでいる専門生にとっては、それはイライラする光景かも知れない。 ともあれ、「とりあえず進学」という背景のもとに暮らしていれば、心の中で、どこか 「煮え切らないもの」 が出来てしまい、感受性の強い人になると、それを大学入学前の ”受験の段階” で感じてしまう。 したがってこの、片や受験のために 「視野狭窄」 になり、片や「煮え切らないもの」を識域下において潜在的に持っているという状況は、分裂的であり、決していい精神環境とは呼べない。 それゆえに今回の事件も、自由奔放な亜澄さんに 「夢がないね」 と言われた時、勇貴容疑者の内々に持っていた 「煮え切らないもの」 に引火し、 「視野狭窄」 で客観的判断もつかぬまま激情となって殺害に至ってしまったのではないか、と自分はみている (まあこの辺は、その筋の専門家によくよく調べてもらいたいところだが)。 ただ、受験において、「視野狭窄」に陥るのは当然のことで、むしろそうあるべきなのである。というのは、チーターが獲物を取る際、視野には獲物の姿しか映っていないのと同様に、受験をする際にはそれ以外のものが見えては困る。例えば、これまで自分が受験にあまり強くなかったのは、「ゲームという強烈な意識」があり、それを取り払えなかった(取り払うつもりも毛頭なかったわけだが)ことによる。 だから、 「視野狭窄」 は残念ながら、受験テクニックとしては基本でさえあり、この事件を勇貴容疑者の異常性に特化して述べ、命題において普遍性を失ってしまうなら、我々はこの事件から何ら学び得ないことだろう。 しかし、いざ狩り(受験)を終え、見事獲物(志望大学)を仕留めた場合、あるいは不幸にも獲物を取り逃がした場合のいずれの場合においても、 「視野狭窄」 から抜け出し、サバンナ (社会) 全体を見る余裕が欲しい。 人生は、受験によって全て決まるというほど寂しいものでもない。なおどうしても受験があきらめられないのなら、アメリカのように人生経験を積んでから再び大学を目指す道もあるにはある。経済的事情が許すなら、正直自分は視野が広がっている分、学びにおいてはむしろ、そちらの方がいいとさえ思う。 そして人生は、必ずしも自分の思い描いたようにはならない。いや、全く違う方向に行くことの方が多いかもしれない。 自分の指導教授は、「俺はプロスキーヤーになるつもりだったが、気付けば大学教授になっていた。ワケ分からん」と話されていた。頭を使う以外に何ら共通点が見つけられない。自分もまた、子どもの頃は今の自分になるなど、想像もつかなかった。そして今後も、想像のつかない未来が待っているような気がしてならないし、その際には、誓ってプラスに受け入れようと考えている。 つまり自分がいいたいのは、「現在をもっと大切にして欲しい」ということ。それは決して”刹那主義”に生きろという話ではない。心的に豊かな現在を送って欲しいということだ。ここがゲームのHPであることからも分かるように、自分はゲームに心血を注いでいる。ただ未来に不安ばかり覚え、戦々恐々として過ごしていたならば、決してこのような生活は出来なかっただろう。自分が人生に後悔していないのは、もっぱらこの点においてである。未来を自分で固定するな、ということである。 結論として、 「自分の進路をこうだと決めつけずに、しかし一生懸命生きること」 だと思う。 |

