謹賀新年X
昨日は風邪をおしてゲーセンに行ったが、プレイしたゲームが相当悪かったためか、胸から下腹部まで、まんべんなくズキズキ痛くなってしまった。すがすがしいはずの正月気分も、これでは台無しだ。
すがすがしいといえば、ここのところの正月三箇日、東京や横浜・川崎や名古屋や四日市や大阪や神戸や広島や福岡や北九州に住んでいる皆さんは、「空気が澄んでいる」と思われたのではないか。でもこれは決して、新年気分だからといったメンタリティの問題ではなく、もちろん、この三箇日に仕事がなく、車やトラックの通行量がほとんどないのと、海沿いの工業地帯の多くが操業を停止しているからである。自分は生まれてから現在まで、都市以外の環境で生活したことがないので、きれいな空気が吸えるのは毎年、この3日間だけなのである。
自分はダイオキシンと光化学スモッグの街、大阪府堺市で生まれ育った。小学校時代は、いつものように授業を聞かずに、外の工業地帯の煙突群をずっと眺めていて、するとたまに、スモッグだけでなく「硫化水素系ガス」も流れてきて、よく困ったものだった。
この頃の記憶を思い起こすと、常に背景が「灰色」となる。「セピア色」とかそんないいものではい。もちろん、市街地と工業構造物とそれに付随する煤煙の色である。
そのせいなのかどうかはわからないが、自分は今でも「灰色」に抵抗がある。そしてそれを「水色」や「ピンク」で打ち消したいと思うのだ。
そんな環境で生まれ育って、おまけにゲームばかりしてきたものだから、自分は社会問題にもなった、まさに80年代の象徴的「不健康児」だった。
しかし外で遊ぶにも、野山があるわけではなく、川はヘドロを引っ掻き回したような色で腐臭がしてドブと変わらず、小学校の社会科教科書で、公害問題の項目で取り上げられていた「東京・多摩川」の写真を見て、「大和川や石津川と比べて何ときれいなことか」と思ったくらいである。だから魚やカメを獲りに行くには、せいぜい休日でかつ、友達の親(工員)の機嫌のいい日に、車に乗っけてもらって数十キロ南下して、そこで獲るしかなかった。
また、わずかにある公園も煤煙にまみれ、それですら奪い合いになる。大抵は「子ども会」だの「○△野球チーム」だのに占拠されているので、自分達は隅のほうで、落っこちている工業用ベアリング類を投げ合って忍者のフリをするくらいしかない。
そんな中、近所の空き地にネズミが出たとかイタチが出たという話が飛び込むと、それだけで大騒ぎになる。そういえば、隣町にネコの白骨体があると聞き、みんなして胸躍らせて見に行ったこともあった。
まあそれほど自然が少なかったということである。
また、当時自分の周りには、今から思えば信じられないくらいの確率で「喘息持ち」がいた。となると、ちょっとした運動をすることも難しくなるので、ますます外で遊ぶ機会が減ってしまう。
そんな自分達にとって輝いて見えたのが「ゲーム」である。そのプレイ画面には、極めて擬似的でこそあれ「鮮やかな色」がついていて、光っていた。心躍らされたし、普通にきれいだと思った。そこには沖縄の人が、ハイビスカスやブーゲンビリアを見るのと同じくらいの心的効果があったのではないかとさえ、都市民のエゴで勝手に思っている。
しかし社会的には、こんな発言は許されない。「ゲームは心身共に不健康」でなければならないからだ。
けれども実際のところ、ゲームをしたところで、別に「ゲーム脳」になるわけでもなく、今の実社会の生活と比べれば、何のことはないではないか。せいぜい個人的に、運動不足になって太る程度のものである。
それに社会人ともなれば、ドイツやフランスといった先進国とは違い、仕事や塾通いが無駄に忙しいため、スポーツをする時間もままならない。昼食も「マクドナルド」やコンビニのおにぎりといった偏ったもので済まさねばならない。なのでこれは、ゲームばかりの問題ではないだろう。
またその一方で我々は、そんな生活に疲れたといっては腐心して、「たれぱんだ」といった癒し系キャラクターを編み出しては、本質には遠く及ばない「上皮的治癒」に専心するしかない。それとて、今の我々には絶対的に必要だ。
「福祉」といえば、我々の頭ではもはや、「老人」と「障害者」しか浮かばなくなってしまっているようだが、本来は、我々市民全体の健康と幸福のためにある。
不健康の原因はどこにあるだろうか。
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