身延七面山登詣と和讃奉詠


        一の池

平成20年5月24日〜26日、七面山と身延山にお参りに行ってきました。                                                     
七面山に登るのは10年ぶりぐらいです。
天気予報通りに、曇りのち雨。翌日は雨のち曇り。
登りは今年初めて登るTさんと調子を合わせて、割と速いペースでしたが早く着いて楽でした。
前回はリュックが重くて最後は捨ててしまいたくなるほどでしたが、今回はリュックは重たくないけれど、我が身が重い。
足を進めたくありません、もういやいやです。
でも登りだした以上は進まないわけにはいきません。
それでも前回前々回はお年寄りについて行けと言われていたので、ペースは楽だったけれど、
着いてからがお風呂とか食事とかが押せ押せでせわしかったのが
今回は割と早く着いたのでゆっくり出来たことが楽でした。

七面天女様
七面山に登ったのは24歳の信行道場の時が初めてで、その時拝んだ七面天女様は、法華経提婆品の八歳の龍女の如く見えました。
次が四十代で、このときは全く八歳には見えなくて、三十歳くらいか?ご本尊が変わったのかまさかそんなことはあるまいに、不思議でした。
そして今回は、満面の笑みで迎えてくださって中年・五十代くらいに見えたのです。
毎回違って見える七面様、其れは不思議です。自分を映しているかのようにも思えるのですがどうなのでしょうか?

翌25日、下り。
面山に着いた時からずっと雨、しかも土砂降りで、ご来光はとうてい無理です。
朝六時出発の時も土砂降り。足もすくみます。
それでも行かないわけにはいきません。カッパを着て歩き出すとそんなにつらくありません。
下りは滑らないように、体重を支えながら進むので登りより大変だと云われていますが、そう覚悟しているとそれほどではありません。
急がないけれど割と調子よかったので、連れのTさんと離れてしまいましたが、止まって待っていると、先に行っていいと言われ、一人で気楽になったので
お経を唱えながらどんどん行ってしまいました。自我偈・神力偈・観音偈に咒陀羅を繰り返し、足も軽くて全く大丈夫です。
お経を挙げていてこんなに楽なら登りもこうすれば良かったのに、と思いつつ。
やはり七面山は信仰の山なのです。行くことがすなわち修行そのものなんですね。気付かせていただいたのでした。


本栖湖から見た富士山


25日七面山下山後は身延山久遠寺にてお開帳、宿は河口湖。
26日はわさび園でわさび漬けを買って、箱根神社・箱根の関所を観光、鈴廣でかまぼこを買って帰路につきました。

七面山に登ったあとは、筋肉痛で足が痛いのです。
其れを早く治すには、揉んで叩いて塗って貼って、使うことです。
帰ったらすぐにまた身延山に和讃に行かなければなりません。
でも私と同じように、七面山にも登り、すぐまた和讃にも参加で身延に行くという方が二人いらっしゃいました。奇特なことです。

この和讃大会は、神奈川和讃会会長のOさんと青年会が企画した、
立正安国論奏進750年慶讃全国法華和讃・仏讃歌奉詠身延山総登詣大会
で全国から35団体、800名が参加しました。
とても長い命題ですが、これは来年2009年は日蓮聖人が『立正安国論』を鎌倉幕府・執権北条時頼に提出、諫言して750年になります。
それを記念し仏讃歌と法華和讃の大会を開き、身延山に皆でお参りしましょう、という意味です。


    
上沢寺の逆さ銀杏


私達は5人でレンタカーを運転手付きで借りて身延まで行きました。
30日は上沢寺をお参りして身延高校の近くのそば屋によってお昼をすませ宿坊に寄って本山で前日練習です。
31日は5時半の朝勤に出ました。
身延山の朝勤はほんとに気持ちがいい、大好きです。
私はこの朝勤と御廟所が落ち着いて大好きなのですが、今回は時間が無く御廟所に行けませんでした。
でも11月にまた全日女(全国日蓮宗女性教師の会)の輪番で御廟所に行けるのでいいかな、と思います。
朝勤が終わって坊へ戻って朝食、なのですが雨がひどく、運転手さんに電話をして迎えに来て貰いました。
今回運転手さんがいて本当に楽でした。もろもろ。
和讃と仏賛歌は、前日の練習ではそろわないところもありましたが、本番の今日はすごくそろって感動しました。
皆さんさすがです。
磯貝先生とプンダリカ合唱とお琴尺八琵琶とのコラボレーション=箏曲『日蓮』が最後を飾り成功裏に幕を閉じました。
参加して良かったと思いました。企画・発動された神奈川のOさん、日青の皆さん本当に有り難うございました。
終わって、お弁当を頂いて坊で食べ、帰りは朝霧高原に寄ってソフトクリームを食べて牛乳を買い、
横浜中華街で夕食を頂いて帰りました。


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