
2000年晩秋、自身の作品展を開きました。そのときの、思い出をつづったものです。
晩秋の澄みきった空が広がった。母と私は、市街に建つ公民館の一室を陣取る。こちらへ向かってくる人影が見えた。父がつくった秋菊の花束が、来場者を迎え入れる。
「こんにちは。お名前をお願いします…」
名簿への記入を頼み、展示した資料を見てもらう。
平成12年11月23日から4日間、いままでに書いた資料・冊子を集め、はじめての作品展を開いた。会場へ足を運んでくれたのは、100人にのぼる。
「伊那の勘太郎です…」
初日突然、まわりから笑いが起こる。実名を告げられても、ボケーとした顔つきの私に、彼はメールネームを名乗ったのだ。メル友≠セけど初対面であり、思わず握手を求めた。奥さんとともにクルマを1時間ほど走らせ、ここにたどり着いたという。
後日、画像つきのメールが届く。デジタルカメラで撮った、その場に居合わせた人たちとの記念スナップだ。彼のメッセージが、心に焼きつく。
「あなたの取り組みが、私を元気づけた…」
隣の部屋でも、別の作品展が開かれた。シルバー人材センターに属する人たちの、絶品が供覧されている。会員の多くは、この地域で教師をされていた方々と聞く。
「やぁー、学君」
小学校時代の恩師が懐かしそうなおもむきで、こちらのルームに入ってくる。3年生のときに教わったS先生。T先生は4年生から卒業までの担任。当時の校長、M先生の顔もあった。
「おじいさんの介助を受けながら学校にきた、あのころが思い出されるよ」
先生方は、体が不自由な私の手足となった祖父を偲んでいた。もう30年前の昔話なのだ。帰ろうとする恩師のうしろ姿は、時の流れを感じさせた。
K君が見えた。久しぶりの再会だけど、髪を短く刈った姿は見ていて若々しい。楽譜が載った冊子を、真剣に見入っている。養護学校時代の1年先輩になるK君は、相変わらずの音楽好きだ。それ(冊子を)プレゼントするよ≠ニいったが、持ち帰った様子はない。別れ際、ステッキと痛々しい足に視線が止まる。K君の体調が心配になった。
これより4ヶ月前、ある小学校の1年一クラスと交流があった。そのときの子供4人が、お母さんや兄弟と一緒にやってくる。1年生の小さな手を握ったら、ぬくもりが伝わってきた。同時に私を覚えていたんだね。ありがとう≠フ言葉が、胸からこみ上げた。
父方・母方のおじ、おばも、作品展を覗いてくれる。短大の学生だったYさんには、3年ぶりに会える。村長さんや、近所に住むおばさんの姿もあった。
第1日目を終えた深夜、突然、愛車の警笛が鳴り続けるハプニングに遭う。驚いた母がベッドから飛び降りたとき、パイプ部分に激しく体をぶつけた。
駐車場は屋敷から離れている。隣近所の迷惑になる、という責任感が母をあわてさせる。打撲の痛みをこらえながら、ハンドルの中央を手で触れ、必死にクラクションを止めた。
私は翌朝、アクシデントを知る。息をするたび肋骨が痛むという母を、公民館まで連れていけない。作品展の中止を考えているとお母さんは行けそうだよ!≠チて、父がいった。
残りの3日間、母は催しのために力を尽くしてくれた。来場者へ展示作品の説明、冊子販売、会場の戸締まりを受け持った。お昼のお弁当だってつくる。最終日の後片づけも、無事に済ませることができた。
マイカーのトラブルは、部品の交換が必要だと分かる。打撲した母が、近くの医院で診察を受けた。ある骨にひびが入っているとのこと。心配したけど、もらってきた貼り薬を使ったら、痛みが治まったという。
退院まもない父は、家の留守役を果たす。家族の協力があったから、作品展を開けたのだ。両親に対しありがとう≠フ気持ちは尽きない。
電動和文タイプライターを手にした20年前、地区に伝わるお日待ち祭≠フ情報を一つにまとめた。今回の展示は、この冊子からはじまる。
3冊の体験記がある。謄写版やコピー機使用の手づくり版と、出版社発行の単行本だ。人々の意識を探る障害意識調査≠ヘ、5回実施する。それぞれの報告書を並べた。小・中学校の交流会からできた文集3冊に、子供たちの福祉観がつづられている。
作品展のサブタイトルは「生まれたてのジャーナリスト」と銘打った。福祉の情報を分かりやすく、多くの人に伝えようとする自身の意気込みでもある。
文章の誤字・訂正は後味が悪い。反面、文字だとストレートの伝達ができる。この長短所をわきまえ、人との心の結びつきに活用していく。
「私は福祉ジャーナリストです!」
と、胸を張れる活動をしていきたい。

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