用語・幺九牌/老頭牌


 断ノム九の「ノム」というのは、どのような意味の字なのでしょうか?

 「ノム」は「幺」の俗字、すなわち慣用字です。逆に言えば「幺」は「ノム」の本字です(「ノム」の「ノ」は、「幺」の左肩の部分の一本(ヽ)を省略した形です)。

 「幺」は見た通り、糸という字の先っぽ、頭の方の部分です。そこで部首名を糸頭(いとがしら)といいます。糸の先っぽですから「小さい」、「(かす)」などの意味を表します(「幺」は幽(ゆう)の音とも通じています)。この「小さい」という意味から転じて、最小の数字である1を表すようになりました。

 そこで「ノム」の代わりに「幺」を使用してもまったく問題ありません。「[土敦](dun)」≒「幢(tong)」のように、字義の異なるものを音通だけの理由で使用するのとは異なり、書体が異なるだけで同じ字だからです(正確な表現ではないのですが、いうなら日本の旧字と新字(學と学、檜と桧)の違いみたいなもの)

 ついでながら、中国書では「ノム」の代わりに夭(ヤオ=よう)という字が用いられている場合もあります。は幼子が首を傾げている姿を表した象形文字で、同じく小さい、若いという意を表します。そこで幼くして死去することを夭折(ようせつ)といいます。幺と同様、転じて最小の数字、1を表すようになっています。

 数牌の一と九を総称して「老頭牌」といいますが、この「老頭」とは 一体どういう意味なのでしょうか?

 「老」は老人の老、つまり一番年を取った数字(九)という意味です。
 「頭」は普通は「首」という意味で用いられますが、物の頂きという意味があります(山頭→山の頂き)。つまり頂きの数字=1という事です。

 「幺九」というのは「一と九」なのに、なぜ「幺九牌」というとは「一と九と字牌」という意味になるのでしょうか?。

 現在「老頭牌」といわれているものこそ、「幺九牌」と呼ぶべきではないでしょうか?。

 結論を言いますと、「幺九牌という用語に字牌もひっくるめて表現している」と言うことです。そこで現在、広義には一九字牌、狭義には一九牌の意味となっているわけです。
 しかし特に一九牌だけを意味したいとき、幺九牌と表現したのではまぎらわしいですね。そこでその場合は、明確に「一九牌」と表現するわけです。
 字牌も含めた適切な表現がないのは、もともと麻雀は数牌だけを使用するゲームで、などの字牌が存在しなかったからだと思われます。
の前身のようなものはありましたけど。

中華 投稿日:2007/02/03(Sat)

 浅見先生こんばんは。先日 黒竜江の麻雀を書き込みをした中華です。
 先日どこかのサイトのコラムで「混老頭は清幺九とするべきだ」とか「純全帯幺九はおかしい。全帯老頭とすべきだ」と書いているのを見ました。

 ふーんと思いながらの意味を辞書を調べてみると、「数字の1」 「末の」 「一番下の」というふうに出てきました。そうなると老頭も幺九も結局同じ意味になりますよね?なぜ字牌が幺九牌何でしょうか?本当は別の字なんでしょうか?

 ちなみに黒竜江の知人は一九字牌を 「ヤオ」 と言っていたのでてっきり幺九牌の略かと思っていたのですが、字で書かせてみると、「要」と書くそうです。国士無双の事も十三要でした。
ただ単に知人の思い込みによる勘違いでしょうか?(黒竜江の麻雀はあがるのに1九字牌が必要)。それとも本当は「要」なんでしょうか?

あさみ 投稿日:2007/02/04(Sun)

ども、中華さん

>なぜ字牌が幺九牌何でしょうか? 本当は別の字なんでしょうか?

 これについては、まず上記のコラムをご覧ください。

 というわけで、幺九牌は広義には一九字牌、狭義には一九牌を意味するわけです。

 次にどこかのコラムにあったという 「混老頭は清幺九とするべきだ」というコメントについてですが、清幺九は「清(Pure)=純粋な幺九」ということですから、すなおに考えれば狭義の幺九牌の意味となります。それを字牌入りのアガリ役の意味とすべきだというのは、どうもチグハグした主張に感じます。

 また「純全帯幺九はおかしい。全帯老頭とすべきだ」というコメントの方ですが、たしかに「幺九」を広義に解釈すれば“純全帯幺九”は「純粋な字牌入りのチャンタ」という意味になるので、少しおかしいですね。また狭義に解釈すれば幺九=一九ですから、「あらためて“純”を付ける必要はない」ということになります。そこでこちらは、或る意味“お説、ごもっとも”という感じがします。
 ではどうしてこういう事になったのかと言えば、もともと全帯幺九(チャンタヤオチュー)というアガリ役に “字牌入り” “字牌ナシ” の区別は無かったからです。その全帯幺九が日本で “字牌入り” “字牌ナシ”に分離しました。
 そこで両者を区別するために、日本で “字牌ナシ” の全帯幺九に“”の字を冠したので、考えようによっては重複したような表現になってしまったわけです。とは云うものの、世の中には重複表現はいくらでもあるので、慣用的に定着しているなら それでいいじゃないかと思います。

 #重複表現で有名なのは「後で後悔」ですが、麻雀では中張牌(ちゅうちゃんパイ)という表現があります。はもともとという意味なので、中張牌では中の牌の牌ということになってしまいます。しかしおかしいからと云って、いまさら中張、 あるいは中牌などと言い換えるのは、もっとおかしな感じです。

 次に「 “ヤオ” は “要” なのか?」という件ですが。前述のようにもともとは「(ノム)」です。そこで 黒竜江の方が一九字牌を単に “ヤオ” と言っていたのは、広義の意味の幺九をさらに省略して表現していたのだと思います。

 また「」という表記は、「」との音通(おんつう)から用いられているのではないかと思います。もちろん「」と「」では四声が異なりますが、まぁ 似たようなもんだですし....(ノд`) (幺は陰平、要は去声?)

また前コラムで 「“幺” の代わりに “夭” が用いられていたことも」とコメントしましたが、じつは別の本では “ ” という表記が用いられていたこともありました。しかし “夭” なら音のほかに意味も通じる部分がありますが、“ ”となると、音しか通じてないような気がします。その点 “十三要 ” は「(一九字牌が)13枚要」とも取れるので、“ ”よりよっぽど良い音通に思います。