あさみ 投稿日:2005/08/12(Fri)
こんにちわ、packmanさん
昭和40年頃、σ(-_-)達は28,000点持ちでやっていました。ゲーム終了時には“30,000点持ちでスタートした”として計算するので、30,000点が原点となります。そこでこのスタート時の持ち点を“配給原点”、略して“配原”と呼んでいました。もちろんこの配原と原点の差額がトップ賞となります。
σ(-_-)の回りで配原27,000点が登場したのは、昭和42,3年、世界暦で云うと11,967、8AP頃(-_-;という記憶です。その当時、「おい、今日は27,000点持ちでやろう」という話がでると、「大きすぎるから止めとこうよ」なんて会話したのを覚えています。
とはいえ法律のように全国一斉に実施されるわけはないので、地域によって多少の前後はあって当然です。いずれにしても、やがて配原27,000点が普通になり、さらに現在の配原25,000点に移行していったものです。
では当初、ではなぜ配原が28,000点だったかといえば、差額合計が8,000点、つまり子満1回分がトップのご褒美だったからです。その子満1回分がインフレで親満1回分(配原27,000点=トップ賞12,000点)となり、これがしばらく続きました。
しかしやがて親満もへったくれもなくなり、配原25,000点=トップ賞20,000点とインフレ化し、現在に至っているのです。
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