点数 11・高点法
平和のアガリは両面聴ということになっていますが、のような 聴牌でを引いたとき、平和(ピンフ)の両面聴として構いませんか。それとも単騎のあがりとするのが正しいのでしょうか。アガリの符では,単騎待ちの方が得点が高いので、この場合だけ両面聴とするのは不合理なような気もするのですが。
あさみ
これは高点法と関東式の自摸八計算に関連した問題ですね。
得点は、結果的に一番高得点となる計算をすることになっています。これを高点法(こうてんほう)といいます。
両面聴のツモアガリとするよりも単騎待ちをツモアガリしたとする方が、もちろん符は多くなります。しかし高点法とは、個々の符の問題ではなく、結果的に得点がもっとも高くなる計算をするという原則です。
そして関東式の自摸八計算では、他の面子が順子で雀頭も翻牌でなかった場合、このケースでは両面聴のツモアガリとした方が高得点となります (約30%ぐらい高くなります)。である以上、そのケースでは両面待ちツモアガリとなります。逆に全体が平和(ピンフ)形ではなければ、単騎待ちとして計算することになります。
ツモ
聴牌は 待ちですが、このようにをツモった場合、のではなく、 のであるとして、符の計算に辺張2符を加えることは許されるのでしょうか?
同様に、下のようなあがりを単騎待ちと称することはできますか?
ツモ両面聴なら30符のところ、辺張(単騎)なら40符の計算になりますので。
あさみ
質問の最初のケースは高点法により、辺をツモったことになって辺張の2符取得となります。
同様にツモも、単騎ツモとすれば点跳ねしてアガリ点が高くなるので、そのように計算することになりますね。
匿名希望 日付:2002/10/17(Thu)
点数は一番高い役で数えるというのはよくいわれることではありますけど、あれって何が根拠になっているんでしょうか。いや、上がった人間の任意とするほうがすっきりすると思うんですが。
たとえば、七対子にも二盃口にも取れる形とか、嵌張の三色か両面の一盃口に取れる形とかありますけど、振聴はどうとろうが許してもらえませんよね。
うーん、理解してもらえるかわかりませんが、なんか理不尽ではないかと。もちろん理不尽なルールはいまに始まったことではありませんが(笑)。
あさみ 日付:2002/10/17(Thu)
「何が根拠」ということになると、ちと堅苦しい話になりますが。(^-^; ルールの合理性とか麻雀の数理的解釈という点については、中国人より日本人の方がはるかにやかましかったようです。
そこで麻雀が伝来してしばらく経った昭和初期、アガリ牌やアガリ役のからみで、こういう問題が発生したとき、さっそくいろいろ討議され、この時点で高点法という原則が打ち出されました。以後、ずっとこれが得点算出の原則として支持さているわけです。
>いや、上がった人間の任意とするほうがすっきりすると思うんですが。
得点選択機能付きネット麻雀
なんちて(^-^)
ロン
(パネル表示)以下から任意の得点を選択せよ。
またはのみ>1千6百点
>3千2百点
小三元のみ>8千点
小三元・チャンタ>1万2千点
小三元・チャンタ・混一色>2万4千点
冗談はさておき。
心情的に理解できないわけではないですが、ゲームとして考えた場合、いろいろ影響が大きそうですね。たとえば七対子にも両般高にも取れる形の場合、「振り聴だから、点数の安い七対子の方でいいよ」とか、「振り聴じゃないから、点数の高い両般高だ」などと使い分けられても、どうもすっきりしないのでは。(^-^)
さらにはアガリ者が「振り聴じゃないけど、点数の安い七対子の方でいいよ」と云った場合、放銃者は喜ぶかも知れないが、そのアガリでトップが逆転する第三者にとっては、「冗談じゃない。てめえら、グルかっ」と云うことになりかねないし。(笑)
>もちろん理不尽なルールはいまに始まったことではありませんが(笑)。
まったくその通りですね。(笑)
牌鬼屋 投稿日:2006/02/04(Sat)
「麻雀は高目に取らなければならない」ってルールが一般的ですが、これは正しいんですか?
(11)234567五六七八九でチーチ。
七であがった場合に「りー・ピン」に取らなければならない?
ペン(7)で取って「リーチのみ」と出来ないんでしょうか?
その理由は何故なんでしょう?
たとえばツモって三暗刻になっているのに上がった当人は気付かない場合、誰もそれを指摘しない。他者があがりを決めるという原則がある?(もし三暗刻があればTopが入れ替わって自分がTopになる者は指摘するけど)。
また現代では、リーチ後にロン牌が出てもあがらずにツモにかけるあがり方も出来るルールもあるようですから、安目に取ったり裏ドラを放棄するのもOK!に出来るのではないでしょうか?
あさみ 投稿日:2006/02/04(Sat)
こんにちわ、牌鬼屋 さん
云うまでもなく麻雀は、得点が多い方が勝ちにつながるゲームです。そこでABどちらにも取れるアガリ手の場合、当然 高い得点になる方が選択されます。それが“高め取り”というルールなわけですが、そのルールでゲームしている以上、どちらにでも取れる手のとき、“点数が低くなる選択”はルール違反 と云うことになります。
とはいえ、どのようなルールでプレーするかはもちろん4人の自由です。そこで理由はともかく、4人が「低め取りアリ=アガリ手の範囲内であれば役や点数の放棄自由」というルールでプレーするのであれば、例題の手をペン七に取るどころか、純然たるリーピンでもピンフを放棄したり、裏ドラはもとより表ドラの拒否だってOKといことになります。
ただ現時点では“高め取り”が“圧倒的な共通認識”のルールとなっています。そこで事前の何の合意も無ければ、そのゲームは“高め取り”でプレーされていると考えられます。そこで或るアガリがあったとき、いきなり低め取りルールを主張するとトラブルになると思われます。
牌鬼屋 投稿日:2006/02/07(Tue)
リーチ後にロン牌が出てもあがらずにツモにかけるあがり方も出来るルールは、Top目からダイレクトならであがりし、点棒が無いところから出たら見逃してツモに賭けるという選択が出来るってことですよね? このルールの場合は、当然安目選択が出来てもいいんじゃないでしょうか?
(ドボンで終了の)麻雀では、得点を少なく取ってドボンさせないようにして、次に上がってTopをすることによって勝ちにつながるゲームでもあります。2345の面子で、赤5を捨てて一翻下げることによって、点棒の少ないところからでても上がれるようにすることもありますし、道中の得点は多い方が勝ちに繋がるゲームとも言い切れません。ということは、Topを狙う為に、上がり点の高安の選択は自由とするのが適当だと考えます。
それから、大阪の「フリテンリーチあり」のルールの場合、リーチ後の(現物以外が出ての)見逃しはチョンボになります。14p待ちで、4pを切って宣言のフリテンリーチはチョンボになります。1順回してからリーチ宣言しなければなりません。(ブー麻雀ルールからの流れでしょうかね?)
あさみ 投稿日:2006/02/07(Tue)
こんにちわ、牌鬼屋さん
リーチ後のアガリ見逃しはチョンボというルールは、それなりに普及しているようですね。しかしそのルールと、安目選択ができるルールとは別問題と思います。
いずれにせよどのようなルールでゲームするのも自由です。そこで一度、安目選択OKのルールでゲームされるのも一案と思います。
まるたか 投稿日:2006/02/07(Tue)
横やり失礼いたします。
リーチ後の見逃しを認めるルール(大阪風ではなくいわゆるアリアリで)は、高目追求という性質を持っています。
たとえば、高目サンシキの両面待ちで、サンシキのつかない安目の出和了りを見逃して、ツモ和了りにかける。
このような、高目追求のためのルールがいわば「悪用」(といってもルールの範囲内なので「転用」と思いますが)されて、ドボン寸前のラス目からの出和了りを見逃すことができるようになっている。この事態だけを取り出して、リーチ後見逃しを「低目取り」のための手段と決め付けることはできないのではないでしょうか?
リーチ後見逃しと高点法は、別々の論点として考えるべきでしょう。
「和了るか和了らないかは自由、しかし和了った以上は高点法に従う」というのが現行アリアリルール基本線だと思います。
あさみ 投稿日:2006/02/07(Tue)
こんにちわ、まるたかさん
最近 エネルギーが枯れ気味で、思うようにコメントが出てきません。(-_-;
そんなσ(-_-)に代って、詳しくレスしてしてくれてありがとう〜。(^-^;
牌鬼屋投稿日:2006/02/13(Mon)
ルールを「高目・安目の選択自由」とする為の質問だったんですけど・・
以前は覚えていたルールを鵜呑みにして信じてましたが、店のルールを設定する時に色んな疑問を持ちました。
(リーチ後の暗槓が「出来る」が正しいのか「出来ない」が正しいのかとか)
「当店ルール」で済むんですけど、講釈垂れが多いので、何故このルールにしているかを論破しなければ「ここのルールは変わってるから」と言われるのが悔しいので。
サンマでは、抜きドラがあるので、抜きドラを横出しして天和になるかとか、同順ツモあがりで地和になるかチョンボになるかとかで問題になることもあり、各店でのルールもまちまちです。
先日、「和了った以上は、高点法に従うしかない」ということに疑問を持ったので、その根拠を求めたのです。
あさみ 投稿日:2006/02/13(Mon)
こんにちわ、牌鬼屋さん
通常のルールの場合、途中で箱テン者が出ても関係なく オーラスまでゲームは続きます。
とうぜん最終的に勝ちを得るために、アガリ手は少しでも多く計算できる方が良いわけです。云うならそれが高点法というルールが採用されている根拠です。
そして「和了った以上は、高点法に従うしかない」ではなく、「高点法というルールを採用している以上、それにしたがう」ということになるのです。
しかしドボン終了というルールの場合、高点法ではなく 「裏ドラ拒否権アリ」とか
「安め選択アリ」とした方がより面白いと云うことであれば、そういうルールを採用するのも一案ということです。
まるたか 投稿日:2006/02/13(Mon)
またまた横ヤリ・・・ではなく、今回は便乗です。
高点法の周辺ルールについて独自解釈を。
まず、点数計算はプレイヤーの意思決定によるものではなく、本来は「判定」に属する問題ではないかと考えております。たとえば、打牌の選択、ポン・チー・カン・リーチをするかしないか、和了の牌を見逃すかどうか、等々はプレイヤーの意思決定に属する問題です。少なくとも、ルールの範囲内であるぶんには、他人がとやかくいう性質のものではない。
これに対して、和了った後の点数計算については、その和了がチョンボなのかどうか、ということも含めて「判定」という性質を持つと思うのです。本来、これらの「判定」は審判がいれば審判に任せるべきことであり、各プレイヤーの意思は無関係のはずです。
しかし、浅見さんの言を拝借するなら、麻雀においては4人がプレイヤーであると同時に審判でもある、ということになっています。したがって誰かが和了ったときは、その和了が正当かチョンボか、正当な和了であれば何点になるのか、ということは審判である4人全員の合意によって決まる、ということになります。
ということで、まず第一の結論。
「点数計算は審判(全プレイヤー)による判定事項であり、個人による意思決定事項ではない」
さて、本来ならば審判が判定する、として。
審判が恣意的に判定をくだす、というわけにはいかない以上、判定のためにはなんらかの「基準」が必要となります。その基準として、もっとも妥当なものが高点法、ということになるのではないか、と思うのです。
もちろん純理論的に考えれば「低点法」なんていう基準もアリでしょう。ただし、低点法にしたがって判定すれば、ほぼすべての和了は1飜のみ、ということになってしまい、これではゲームではなくなってしまう。また、そのほかの「基準」も考えうるでしょうが、曖昧さを排し、かつゲーム性を損なわないためには、やはり高点法がベスト、ということになるのではないでしょうか?
よって第二の結論。
「点数計算においては高点法を採用する」
なんて講釈をたれてしまいましたが、もちろん上記の解釈はコジツケ・後付けの解釈であり、歴史的な経緯とは無関係でしょう。ただ、高点法の「根拠」をこのように理論付けることはできるかな、と思っただけです。
P.S.
浅見さんのおっしゃるとおり、点数は和了った人の自由申告というルールも、決め、ということならば当然アリでしょうね。「ロン!0点です!」なんて、いろんな意味でおもしろいですね・・・
あさみ 投稿日:2006/02/13(Mon)
こんにちわ、まるたかさん
独自解釈どころか、まことにもってごもっとも。今後、ルール質問に対するレスポンスを丸投げしたいくらい。(^-^;
もとよりルールは“決めごと”なので、プレーヤーが合意さえすればどのようにするかは自由です。しかし自ずから「必然性」ということがあります。そして点数状況に関係なくオーラスまでゲームを行うというのが前提の麻雀であれば、高点法はその必然性から生じたルールということになりますね。
とはいえ ドボン終了というルール場合、「オーラスまでゲームする」という前提が崩れています。そこでそういう麻雀であれば、高点法以外のルールを採用するのも一案かも、とコメントした次第。
牌鬼屋 投稿日:2006/02/14(Tue)
うん?あ、そうか〜、Top賞も無い麻雀の場合ではアガリ手は少しでも多く計算できる方が良いわけですね。
しかし、Top賞がある麻雀では、やっぱり低点法の方がいい場合もありますね。まるたかさんが挙げてくださった聴牌料の例もそうですね。
色んな意見を出してくださる素晴らしい方の登場で面白味が増してきました〜!