以前、某BBSのオフ会に参加していた。みんな若さにあふれた人ばかりで非常に楽しかった。そりはいいけれど、いまどきの事とてみんな6枚切り。しかし実はσ(-_-)は7枚切り....(なんだ、この人は....)と思った人もいたかもしれないが、そこは年寄りの特権?で7枚切りを通していた。
そんな会に雀鬼会の会員だという若者が参加した。その日の組み合わせで、その人とも対局した。ゲームは何事もなく終わったが、そのあと、「浅見さんは、どうして7枚切りなんですか?」と聞かれた。「いや、大したワケは無いけど....ただ7枚だと、捨て牌列が絶対に4段にならないからね」と答えた。
#6枚3段切りでは、チーポンが2,3回あると4段になることがある。しかし7枚ならば、よほどチーポンが激しくないかぎり3段で収まる。
すると、「なるほど...しかし麻雀では昔から6枚3段切りなんですから、やはりそうすべきでは....」と云われた。うーみゅ....
6枚3段切りが行われるようになったのは、おおよそ昭和50年(1975)頃。彼とこの会話したのは平成10年(1998)頃。彼はそのとき24、5才。そこでほぼ生まれたとき、6枚3段切りが行われるようになったことになる。
行われるようになったと云っても、その頃6枚3段切りが登場して、それが一挙に広まったわけではない。昭和40年代には、捨て牌列などに気を使う人は少なかった。みんな捨てられるだけ横にどんどん捨てていって、適当なとこで折り返していた。
記憶では昭和40年代の後半になって、意識的にある程度のところで折り返されるようになった。意識的と云っても、折り返す枚数は人によって異なっていたが、大体6枚から10枚の範囲で折り返されていた。
最初のうち、一番多かったのが7,8枚での折り返し。そのころσ(-_-)は9枚で折り返すようにしていた。9枚なら一桁の範囲内だし、基本的な打牌回数である18回分が2段で収まるからだ。
最初はそれでもなんの問題もなかった。しかし世の中は6枚3段切りが普及していった。そうなると、9枚切りは6枚切りに比べていかにも長く感じる。こっちは平気でも、相手3人が6枚切りだと実にヘンな顔をされる....
そんな頃、いちおう純麻雀ルールが完成した(王牌や偶然役が無いなどの原型はずっと前に完成していたが、得点形態をいかにシンプルかつ合理的にするかが最後までの課題だった)。純麻雀には王牌が無い(この点は中麻公式ルール)と同じ)。すると摸打は基本的に21回となる。
21回なら7枚切り3段で収まる。チーポンがあったときの事を考えると、余裕をもって8枚切りとしたかった。しかし8枚では6枚切りとのギャップが大きい。また当時6枚切りが普及してきたと云っても、7枚切りもそれなりに行われていた(さすがに8枚切りは影が薄かった)。
もちろん普及度や地域度はさまざまである。或る地域では、かなり早くから6枚切りが主流であったり、或る地域ではかなり遅い時期まで8枚切りが行われていても不思議ではない。いずれにしても純麻雀との兼ね合いもあり、7枚切りでプレーするようにした。
しかし世の中はますます6枚切りが主流となり、かの雀鬼会の若者が麻雀を覚えた頃には当然6枚切り一色。「昔から6枚3段切り」と思ってしまうのも無理はない。そして現在では、フリー雀荘でも6枚3段切りを基本としている。こうなると、6枚三段切りは、もうマナーというより暗黙のルールである。
#σ(-_-)が麻雀を覚えた昭和37年頃、すでに世の中はリーチドラ麻雀が当たり前。一翻縛りは当然だった。そこでσ(-_-)もこれが麻雀だと思っていた。戦術書を買いに行くと、タイトルに「リーチどら麻雀の勝ち方(天野大三)」なんて書いてある。(なんじゃ、こりゃ。リーチやドラなんて当たり前じゃん。なんでわざわざそんな事、書いてあるのかな?)なんて思った。またそれから大分経って、誰かから「役無しでもアガれる麻雀がある」と聞いた。そのときは、「役無し? 役無しでどうやってアガるのか? 役無しという役でもあるのか?」と思った。(^-^;
もちろん折り返しが統一されていれば、1段めが整理段階、中段が形成段階、下段が勝負、あるいは手仕舞い段階と、おおよそのメドがつけられる。また全員が藤一していれば、牌の異動が分かりやすいなどのメリットがある。
別にσ(-_-)も、“死んでも7枚切り ” と思っているわけではない。そこでフリー雀荘にゆけば、6枚切りで打つことは構わない。しかしフリー雀荘では手が止まる人が多いようだし、賭け麻雀なのであまり気が進まない....(-_-)
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