連荘 03・二翻縛り


 連荘のときの二ハン縛りはどういう経緯で出来たルールなのでしょうか。

 (しば)と云えば、まず一翻縛りですが、もともと中国麻雀に「縛り」というルールはありません(役ナシでもアガれました)。そこで大正末期の麻雀伝来以降、長い間 りが無いルールが普通でした。しかし第2次大戦後 一翻縛りルールが普及し、やがて両翻縛りルールも登場してきたものです。
 両翻縛りルールの発生の原因はハッキリしませんが、昭和六〜七年頃、満州在住の日本人の間で連荘縛り連荘の局のみ一翻縛り)というルールが採用されていました。この満州時代の麻雀は立直(リーチ)も無い麻雀でした。第2次大戦後、日本では立直麻雀が普及しましたが、この立直麻雀で連荘縛りが採用されました。

 最初は満州ルールと同じ連荘縛り(連荘の局のみ一翻縛り)でしたが、やがて世の中のインフレにしたがい、現在のような「常時一翻縛り、5本場から両翻縛り」というルールが登場してきたのです。

 二飜縛りの起源と、その存在意味(なんの為に あるのか)を教えて下さい。

 まず両翻縛りの存在意味からですが、「射幸心(まぐれ当たりを期待する気持ち)をより刺激するため」という一言に尽きると思います。

 次に起源ですが、すでに昭和六年には「四連荘めは一翻縛り」というルールが提案されています<林茂光麻雀研究所機関誌(S6/3)>。もちろん提案されただけですが、一部では行われていたのかも知れません。※当時の麻雀はノー翻でアガれました。

 また昭和六〜八年ころには満州の邦人間の麻雀で、連荘の局を一翻縛りとするルールが行われていたといいます<手塚晴夫「南は北か」>。しかしまだ一般的ではなかったようです。

 そして戦後、手役豊富な立直麻雀が盛んになる中で射幸性が高まり、連荘縛りが普及しだしました。この連荘縛りが、昭和20年代の後半には常時一飜縛りに変身しました。*現在の場ゾロが、最初はサイコロの出目による大場・小場であったのに、いつの間にか「常時、場に両翻」となっていったのとよく似た流れです。

 連荘縛り常時一飜縛りとなりますと、「連荘の局のアガリは大きくなる」という射幸性が薄れ、物足りなくなります。そこで昭和20年代の後半には「5本場から両縛」というルールが登場し、昭和30年代中期にはすっかり定着して今日に至っています。

*昭和30年代初期には「5本場から、子供は場に千点供託する(場に三千点)。親がアガれば、親が取得する。子がアガれば子に戻す」などという折衷案のようなルールも登場しましたが、ほとんど普及しませんでした。

 2ハンしばりのあがりの条件を教えてください。
 たとえば立直・ツモは認められるかなど。

  これはルールによって異なります。 俗に言うアリアリルールの場合は、偶然役(牌底放銃・海底ツモ・嶺上開花・自摸)も両翻縛りの対象となるのが普通です。そこで役無しであっても門前聴牌であれば、「ツモ、海底」、あるいは「ツモ・嶺上開花」などの両翻でアガることができます。また門前でなくても發などをポンしてあれば、あとは牌底放銃や海底ツモなどでOKです。

 立直の場合は、これも振り聴立直や立直後の見逃しOKのルールであれば、「立直・ツモ」のみでもOKです(「立直一発」はドラと同じような扱いで、対象外とされます)。もちろん振り聴立直や立直後の見逃し不可のルールの場合は、手牌で両翻が確定していなければアガる事ができません。

 そしていわゆるナシナシル−ルの場合は、海底ツモなどの偶然役は対象となりません。そこで手牌で両翻役が完成していないと、ポンしているとか立直しているとかに関係なくアガることができません。

 私たちのルールでは、次のようにしています。
 まず普通の場(1ハン縛り)ではいわゆる形テンでもリンシャンカイホーやチャンカン・海底ヅモ・河底ロン(いずれも1ハン)によるアガリの可能性があるためテンパイとして認められます。

 ただ実際には自分でアガリパイを純カラにしている(自分でポンした牌の単騎待ち、自分で2索をカンしておきながら何らかの事情でカン2索待ちになった、など)ケースは別とします。どこまでを形テンと認めるかは難しいですが。

 そして2ハン縛りの場では通常の1ハン縛りの形テンは認められません(絶対1ハンしかつかないので)。そのかわりに普通の1ハンの手を、形テンに準じる形で扱います(前述の理由で更に1ハン追加されて2ハンになる可 能性があるため)。

 そもそも「2ハン縛り」や「8連荘」といったルール自体がいわゆるローカルルールである以上、統一した取り決めを求めるのは難しいでしょう。いわゆる「事前の場の取り決め」に委ねるのが一番でしょう。


 一翻縛りの時と二翻縛りの時の考え方が一致しているわけですから、順当なルールと思います。

 普通の麻雀で一翻縛りの時メンゼンツモのみでアガれるのに、両翻しばりになるとタンヤオ・ツモが認められないのはなぜでしょうか。これではまるで完全先づけのルールみたいです。

 「『ツモ』は確定した役ではないからダメだ」という人がいますが、それなら一翻縛りでもツモのみではアガれないことになると思いますが、どうでしょう。

 その通りですね。
 両翻縛りのとき、「『ツモ』は確定した役ではないから、タンヤオ・ツモはダメだ」と云うなら、理屈では、一翻縛りの時でも「『ツモ』は確定した役ではないからダメだ」ということになる筈です。それが一翻縛りの時「メンゼンツモOK」で、両翻縛りのとき「タンヤオ・ツモはダメ」では確かに???です。

  両翻縛りは一般の麻雀のことですからどういうルールでも仕方がありませんが、ルール的な整合性で考えれば「一翻縛りのときメンゼンツモOK。両翻縛りのときもタンヤオ・ツモOK」ということになる筈です。

 しかし両縛アリのルールの場合、一翻縛りの時は後付けOKであっても、両翻縛りになると「アガリ以前に手役で二翻が確定すること」というルールが多いのは事実です。「アガリ以前に手役両翻確定」ですから、「タンヤオ・ツモはダメ」は不可ということになりまね。

 しかし「アガリ以前に手役両翻確定」すればいいのですから、一筒などをチーしたあとダブ南をポンして、それのみでアガることができます。いうなら両翻縛りになると、変則的な完先ルールに変化すると言うところでしょう。

 連荘のときの二飜縛りは、どういう状態のものを聴牌と呼ぶのでしょう?(つまり、ノー聴罰符に絡んでくる問題なわけですが)

(1) とにかく聴牌していればよい。
(2) 二飜が確定していなければならない。
(3) 「ツモったら二飜になる状態」ならばよい。

 いうまでもなく麻雀には様々なルールが存在します。言い出すとキリがないのですが、大ざっぱにいって一般麻雀では俗に言う「アリアリ(後ヅケあり、食いタンあり」というが主流です。

 そのアリアリルールの場合は、(3) ツモったら二飜になる状態ならばよい。さらに云うと、アガったとき両翻あればよいわけです。そこで 役無しの門前聴牌も二飜縛りの聴牌になる(海底自摸などが重なれば二翻になるので)、高め安めのある一翻手の副露聴牌も二飜縛りの聴牌になる、ただし役無しの副露聴牌は不可と云うことになります。

 しかし完全先ヅケルールの場合は、「何が出ても両翻で栄和できる状態」、つまり(2)二飜が確定していなければならない、ということになります。

 連荘で二ハン縛りになったら流局した時、二ハンないと聴牌にはならないといわれました。つまり形式聴牌(役無しドラ1など)では二ハン縛りにおいて聴牌とはみなされないといわれました。

 「それじゃあ普通の場でも形式聴牌はダメになっちゃうじゃない」と反論したら、「海底が確定するからいいんだ」と返り討ちにあいました。その場では一応納得したのですがどうも腑におちません。基本的に私は二ハン縛りは好きではありません。

 二ハン縛りでは形式聴牌は認められないんでしょうか?

 ここで云う形式聴牌とは、役無しの手をチーポンして聴牌している形ということで話をすすめます。

 通常の一翻縛りの場合、形式聴牌でも海底ツモの一翻などによるアガリが可能です。アガリが可能なのですから、形式聴牌でもOKとなります。

 しかし両翻縛りになると、まったく役無しの形式聴牌では、河底放銃してもらっても海底ツモしても絶対に両翻にはなりません。そこで両翻縛りの場合は、後付け(後役付け)OKのルールであっても、役無しの形式聴牌は有効な聴牌と認められないのです。

 二翻しばりの局でピンフでテンパイをしました。待ちは一萬四萬です。ただし一萬がすべて場に出ていて、待ちは四萬のみだけです。となれば一萬が切れた時点でピンフ、タンヤオ確定となるのでしょうか(手牌に一九牌等はありません)

 両縛アリのルールの場合、一翻縛りの時は後付けOKであっても、両翻縛りになると「アガリ以前に手役で二翻が確定すること」というルールに変化します。これは「完全先役付け(略称=完先)」ルールですが、途中でポンしたダブ風のみでアガることも認められているので、変則的な完先ルールと言えます。

 で完先ルールでは、、アガる前のテンパイの形が問題になります。つまりアガリの前の手牌形で両翻役が確定していなければなりません。質問のケースは一萬四萬待ちで、一萬では両翻にならない形ですから、たまたま四萬しか残っていなくても四萬でアガることはできなません。そこでこのケースの場合は、アガるためにはリーチをかける必要があります。