歴史27・麻雀の起源


Cr 投稿日:2007/06/07(Thu)

 ご無沙汰しております。ニフティの FMAJAN でお世話になったCr(クロム)です。こちらの掲示板に顔を出すのは初めてですが、このサイトはいつも楽しく拝見させて頂いております。

 さて質問なのですが、以前「麻雀の起源は太平天国の乱に遡る(逆に言うとそれ以上遡らない)」ということを教えて頂いたのですが、それは麻雀が「太平天国軍の内部で」発生したということなのでしょうか、それとも「太平天国軍を鎮圧しようと集められた清の軍隊の内部で」発生したということなのでしょうか?
 私は後者だと理解していたのですが、よく考えると前者の意味でおっしゃってみえたのかもしれず、最近とあることがきっかけでその辺のことが急に気になりだしたのです。
というわけで、どうかお教え下さい。よろしくお願い致します。m(_ _)m

あさみ 投稿日:2007/06/08(Fri)

 いやあ、久しぶりも久しぶり、超久しぶり(^-^)/

 え〜 最初に煙幕を張りますと、当時 どのような表現をしたのかよく覚えていません。(^-^;
 とはいえ[太平天国の乱(1850年)以前に遡ることはない」ということはハッキリしています。しかし誕生が「太平天国軍の内部からなのか、包囲軍の内部からなのか」ということになると、「そのように区別することはできない」という感じです。

 太平天国の乱も後期になると風紀も乱れ、兵卒達が無聊をなぐさめるために、さまざまなカードバクチを盛んに行っていたようです。また兵卒クラスの中には、両方の組織を渡り歩いていたなんて話もあるようです。

 また言うまでもなく、麻雀にはプロトタイプ的なゲームがいくつも存在します。そこで現在は、「そういうゲームのカオスの中から あの時代の歴史と文化を背景にし、自然発生的に古典的な麻雀ゲームが誕生してきた」と思っています。

 もうご覧いただいたかも知れませんが、いちおう下記が関連コラムです。

http://www.asamiryo.jp/his1.html 太平天国

http://www.asamiryo.jp/tre40.html 麻雀概史(後篇)

Cr 投稿日:2007/06/08(Fri)

 早速のご回答、ありがとうございます。
 麻雀の歴史の研究に関して、ここ数年欧米で少し動きがあったらしいことは知っていたのですが、ここのところ忙しくて、そっち方面のことはサボッてたのです。最近になってようやく手元にある論文をいくつか読んだのですが(前回「とあることがきっかけで」と書いたのはこのことです)、その中に「麻雀の起源と太平天国とは無関係」という論旨のものがありまして。(因みにフランス人が英語で書いたもの)

 その根拠は
・太平天国は中国の伝統文化を徹底的に排斥した。麻雀も、紙牌から骨牌への変化といったことはあるものの、基本的には伝統的なものであり、太平天国ではむしろ忌避すべきものであったはず。
・初期の麻雀牌の中には天王、東王、南王、西王、北王といった花牌(と呼んでいいのかな?)が含まれており、これが麻雀の起源と太平天国を結びつける有力な証拠とされているが、ならばなぜ翼王がないのか。
(どっかで聞いた話だと思ったら、このサイトにありました。下記参照。
  http://www.asamiryo.jp/rekisi22.html  )
 翼王は天王に次ぐ人物であることを意味する(と述べられているのですが、この場合の「翼」は 「補佐」という意味だと受け取っていいんですかね?)であり、東王・南王・西王・北王の牌があるのなら翼王もなくてはならない。が、実際にはなかった。・・・ということだそうです。

 なお後半の話は、1870年頃は148枚で1セットとなっており、その中に翼王なんて牌はなかった、という仮説が前提となっています。因みに想定されている花牌は「春、夏、秋、冬、天王、地王、人王、和王、東王、南王、西王、北王、万化、同化、索化、?王(?は「総」の簡体字に手偏をつけた変な字)」の16枚だそうです。

 で ここから、天王などの牌は太平天国とは無関係に生じたのだろう、と言うのです。東天王・南天王・西天王・北天王は中国の仏教寺院にもふつうに見られるし、天地人和は天九牌の遊びにも登場するのだから、と。

 ところが太平天国の乱の後、これらの牌は否が応でも忌まわしき太平天国を思い起こさせるものとなってしまったため、1890年頃にはこの種の牌は姿を消した。現に千葉の麻雀博物館に収録されている麻雀牌の中に天王などの牌が入ったものは一つもない。唯一の例外は中村徳三郎が『麻雀競技法』の中で言及している牌である。
となると、天王などの牌は太平天国の乱が始まる以前からあったはずである。

 ……と、まあざっとこんな論旨なんですけど。
 論文の中では「翼王」が「乙王」となっている点(どちらも発音は yi ですが「翼」は四声、「乙」は三声。「乙」を「天王に次ぐ」の意に受け取っている)や、麻雀の起源と花牌の起源を混同している点で、私としては納得しかねるんですが……。
 なお 本人の名誉のために申し上げておきますと、この論文を書いたフランス人はトランプゲームの歴史的研究では大変に優れた業績を残していらっしゃる方です。


あさみ 投稿日:2007/06/10(Sun)
ども、Crさん

 テーマが大きいので、個々の点についてコメントしますと枝葉の話になりがちなのですが。

 「天王などの牌は太平天国とは無関係に生じたのだろう」と云う話は、証明さえできればじつにすごい話と思います。しかし紹介されただけの論旨では、論拠として不十分と思います。

 太平天国の乱は あの時代の象徴的な出来事であり、その乱が麻雀を生み出す要因になったと思ってます。しかしそれは要因であって、あくまで麻雀は「あの時代の歴史と文化を背景にし、ゲームのカオスの中から自然発生的に誕生してきた」と思ってます。

 そして太平天国軍の中ではバクチなどは忌避すべき行為であったこともたしかです。しかしそれも初期のうちだけ。後期になると、風紀も紊乱し、天国軍の中でも包囲軍の中でも盛んにバクチが行われていたことも確かなようです。

 またその論考では“翼王”牌が無いことが重要ポイントとなっているようです。たしかに“翼王”牌が存在すれば、麻雀の誕生に太平天国の乱が関係している、より明確な資料となったと思います。しかし存在しなかったとしても、史実を左右(麻雀の誕生=太平天国以前)するほどの重要ポイントであるとも思えなません。

>因みに想定されている花牌は

>となると、天王などの牌は太平天国の乱が始まる以前からあったはずである。

 言及されている牌は、すべて中村徳三郎の『麻雀競技法』に掲載されている写真の牌なわけですが、掲載された牌がいつ頃製造された牌なのかは判然としません。しかしσ(-_-)は「『麻雀競技法』掲載の牌は「太平天国の乱以降」に製造された」と思っています。となれば、それがどうして「天王などの牌は太平天国の乱が始まる以前からあった」という話になるのか、その点がよく分かりません。

>論文の中では「翼王」が「乙王」となっている点(どちらも発音は yi ですが

>「乙」を「天王に次ぐ」の意に受け取っている)

 四声が少々違っていても翼と乙が同音であることに着目するというのは、まことにユニークな着想と思います。そしてたしかに翼王は太平天国軍の中でも重要な王であったようです。しかしその翼王牌が存在しないからといって、「麻雀の誕生=太平天国以前」と論じてしまうのは少し強引な論旨のように思えます。

 それより問題なのは、「どのような状態を以って“麻雀の誕生”と認識するか」という問題と思います。
 σ(-_-)は「麻雀概史(前編)」の冒頭でも述べたように、「用具として駒札(144枚の麻雀牌)を使用する」という点をポイントとしています。しかしそれ以前に多くの紙牌麻雀や骨牌ゲームが存在していました。その紙牌麻雀の時代には字牌もなく枚数も少かったわけすが、それでも「麻雀(マーチャオ)」と呼ばれていたようです。σ(-_-)の中では、それ等は いわば「麻雀のプロトタイプ」なのですが、その紙牌麻雀を「麻雀の誕生」と認識すれば、このフランス人の論旨も間違っているとは云えないことになります。

Cr 投稿日:2007/06/11(Mon)

ご回答、ありがとうございます。

> また「天王などの牌は太平天国とは無関係に生じたのだろう」と言うのは、
> 証明さえできれば実にすごい話と思います。しかし紹介されただけの論旨では、論拠として
> まだ不十分と思います。

そうですよね。

> まず太平天国の乱は あの時代の象徴的な出来事であり、その乱が麻雀を生み出す要因に なったと思ってます。
> しかしそれは要因であって、あくまで麻雀は「あの時代の歴史と文化を背景にし、ゲームのカオスの中から自然発生的に誕生してきた」と思ってます。


 別人さんのお考えと例の論考とは、もうこの時点で違っているわけですね。あの論考では「麻雀は太平天国軍の内部で生まれた、というのは間違いだ」ということを示すのに躍起になっているだけなので。

> σ(-_-)は『麻雀競技法』掲載の牌は「太平天国の乱以降」に製造された牌と思います。
> となれば、それがどうして「天王などの牌は太平天国の乱が始まる以前からあった」という話になるのか、その点がよく分かりません。

あー、済みません。これは完全に私の説明不足です。例の論考の論点は、
(1) 太平天国の乱が収まった後、「天王」「東王」といった言葉は太平天国を想起させる忌まわしきものとなった。
(2) 1890年頃以降、「天王」「東王」といった牌が姿を消したのはこのためである。
(3) ならば、「天王」「東王」といった牌が生まれたのは、「天王」「東王」といった
 言葉に悪いイメージがつきまとうより前でなければならない。それはつまり太平天国の乱よりも前、少なくとも1851年以前に違いない。
・・・ということなのです。

中村徳三郎の『麻雀競技法』は、このうちの (2) に対する反論、すなわち「1890年以降にも天王・東王等入りの麻雀セットは作られた」ということを示す例として挙げられているわけです。論点 (3) とは全然関係ありません。
言葉足らずで済みません。m(_ _)m

なお、この論点について、当然のことながら次のような疑問が湧きますよね。
・天王・東王等の牌が姿を消したのは本当にこれらの言葉に「太平天国=悪」という イメージがつきまとうようになったためなのか?
・たとえそうだとしても、1850年代前半の時点で、天王・東王等の言葉にすでに悪いイメージがつきまとっていたのか?
……私としては、疑問に思わざるをえません。(^_^;

> 四声が少々違っていても翼と乙が同音であることに着目するというのは、まことにユニークな着想。

いや、単なる筆者の誤解だと思います。(^_^;
文中に「乙王・石達開」とあり、「乙は二番目(に偉いこと)を示す」とあるので、「いや、石達開は翼王のハズだが……」と思った次第。中日辞典(ドラゴンズの辞典じゃないですよ、念のため (^ ^; )を引いてみるとどちらも yi となっているので誤解の原因が分かったわけですが、すると問題となるのは「翼」ってこの場合どういう意味になるのか、という点。「補佐」という意味が記載されていたので、それかなとも思うのですが、素直に読めば「翼のはえた王様」ですよね……?

> σ(-_-)の中では、それは いわば「麻雀のプロトタイプ」なのですが、その紙牌麻雀を 「麻雀の誕生」と認識すれば、このフランス人の論旨も間違っているとは云えないことになりますね。

 筆者のフランス人も「麻雀そのもの」というよりは「麻雀のプロトタイプ」として認識しているようなのですが、ただ天王・東王等の牌は古い紙牌の中には(今のところ)見つかっていないので、麻雀の直接の祖先として、麻雀誕生の鍵を握る重要な牌だと認識している、ということのようです。

 私としてもいろいろと疑問に思うこともあり、反論したいこともあり、なのですが、いかんせん何も知らないので。
せっかくこのサイトで「麻雀を語る前にこれを読め!」という文献をご紹介頂いているんですから、それを読んで勉強すればいいはずなのですが、残念ながら入手できたのは中村徳三郎の『麻雀競技法』だけです。どれも入手難ですね〜。(;_;)

というわけで、別人さんにご相談した次第です。ありがとうございました。
 もう少しお伺いしたいこともあるのですが、話題がマニアックすぎるので、個人メールにでもさせて頂こうかと思います。長文失礼致しました。m(_ _)m


ども、Crさん

その論考の論旨、よく理解できました。
またこれに対するCrさんの疑問、
>なお、この論点について、当然のことながら次のような疑問が湧きますよね。
はまったくその通りと思います。
 この論旨で話を進めるなら、
>(1)太平天国の乱が収まった後、「天王」「東王」といった言葉は太平天国を想起させる忌まわしきものとなった。
ということを多少なりとも立証する資料(たとえば 乱が収まったあと、時の行政機関とか民間などから出版 または発行された、そういうことが類推できるるような文言のある文書とか)が必要になると思います。でないと何の根拠もなしの、単なるヒラメキだけからスタートして(3) の結論に至ったような話になりかねません。

 それに
>「(2) 1890年頃以降、「天王」「東王」といった牌が姿を消したのはこのためである。
ということですが、当時 「公侯将相」とか「龍鳳白」などという字牌がけっこう製造されました。現在はまったく消滅してしまいますが、まさかこれも“「天王」「東王」といった言葉は太平天国を想起させる忌まわしきものだったから”というわけではないと思います。

 そこで「東南西北などの字牌が太平天国軍の王号に由来するか否か」ということも一つのポイントですが、それよりも「紙牌麻雀に字牌(風牌や三元牌)が加わり、それが骨牌と融合して現在の麻雀牌となったたのはいつか」ということだと思います。

>とも思うのですが、素直に読めば「翼のはえた王様」ですよね……?

 論考に「“翼=yi”なので、yi=乙=二番目(に偉いこと)を示す」とあったのではなく、最初から「乙王=石達開」と記されているわけですか。となれば、それは音通から来た筆者の誤解かも知れませんね。もちろん「翼」は、「広大無辺」と言う意味を持っていますので、“二番目”かどうかは別として、領袖であることを示していることは間違いないと思いますが。
※三国志で有名な張飛も、字は翼徳(「演義」)です。でも張翼徳は、関羽に次いで3番目。(^-^;
#余談ですが、「演義」ではなく“史書”では「益徳」。σ(-_-)は史書の「益徳」は、“益州後略の後に、字を改名したんじゃないか”と思ってます。(^-^;

>筆者のフランス人も「麻雀そのもの」というよりは「麻雀のプロトタイプ」として認識しているようなのですが、
>ただ天王・東王等の牌は古い紙牌の中には(今のところ)見つかっていないので、麻雀の直接の祖先として、麻雀誕生の鍵を握る重要な牌だと認識している、ということのようです。


 たとえプロトタイプであっても、太平天国の乱以前の紙牌麻雀、あういは骨牌牌で「天王・東王」等の牌があるセットが発見されれば、それこそ麻雀史を揺るがす大発見かと。
 いずれにしても歴史なんてものは、少ない資料を元にあれこれ推論を組みたてています。そんなところに一つの小さな資料が発見されただけで、それまでの推論が音を立てて崩壊する、あるいはまったく思いも依らぬ視点から指摘を受けただけで足下がよろつくなんてことが幾らでもあります。じつは最近も中国古典麻雀における点数計算について、ある中国人とメールでやりとりする中で、σ(-_-)の考えを大きく修正したばかり....(_ _;

>残念ながら入手できたのは中村徳三郎の『麻雀競技法』だけです。

出版点数は多かったので、こまめにネット検索していれば、入手可能と思いますよ。

>個人メールにでもさせて頂こうかと思います。

いつでもどうぞ。(^-^)/