歴史 24・公侯相将牌


 柴田晴廣 投稿日:2005/03/08(Tue)

 時間に余裕のあった学生時代、今から二十数年前かじった程度で、それから全く牌をさわったことがありませんが、当時、非常に疑問に思っていたのが字牌でした。

 私は、日置流の弓を引いていて、最近、弟弟子が、三元牌の「發」の異体字、癶(ハツガシラ)の下に弓矢の字の意味を教えてほしいと質問されました。検索をしたところ、貴サイトに詳しく書いてあり、学生時代に疑問に思った字牌についても疑問も晴れました。上述のように、二十数年前かじった程度でそれから牌もいじったことのない素人の戯言ですが、思いつくままに感想などを書かせていただきます。

 「龍鳳牌」については、非常に面白かったです。ただ、龍鳳牌の「龍」が赤、「鳳」が青(緑)というのが、非常に奇異に感じました。三元牌のコラムで四神との関連が書かれていましたが、龍は、青(緑)、鳳は、朱雀と同視できるから赤(朱)とのイメージがあるからです。風牌の方角と実際の座位が異なるのと何か関係があるのかと考えましたが、何か関係はあるのでしょうか?

 「龍」が赤、「鳳」が青(緑)と、青龍、朱雀と一致しないため、仮説というより空想に近いものになりますが、「龍鳳牌」の「龍(赤)」、「鳳(青)」、「無刻牌(白)」、そして、「公」、「侯」、「将」、「相」は、黒=玄武と分類できますから、「龍」、「鳳」、「無刻牌(白)」プラス「公」、「侯」、「将」、「相」の一つが原形であり、徐々に増えていったのではないかと空想しました。

 また、「龍」、「鳳」、「無刻牌(白)」、「公」、「侯」、「将」、「相」から、無刻牌については、「龍鳳配」より、むしろ「伯」ではないのかと思いました。「公」、「侯」は、五爵位の公爵及び侯爵に基づくものなら、無刻牌は、「伯爵」に相当するのではないかと思ったからです。

 また五爵位は、公侯伯子男ですから、龍(赤)、鳳(青)、公あるいは侯(黒)、伯(白)の序列になると、ここでも白と黒が逆転することになり、風牌との相関関係が考えられるからです。さらに、「公」、「侯」、「将」、「相」が風牌に変わったという現在の視点で見れば、「龍」、「鳳」、「無刻牌(白)」というのが、ひとつのグループになり、「龍鳳配」という解釈も生まれてくると思いますが、当初において、「龍」、「鳳」、「無刻牌(白)」を一つのグループで括っていたかという疑問も残るからです。

 つぎに、「發」の異体字、癶(ハツガシラ)の下に弓矢の字と太平天国の乱との関係もなるほどと思いました。ただ、三元牌の「發射された矢が的に中(あた)る」という説を加味すれば、清朝そのものに弓を引くと見てもいいのではないかと思いました。

 その根拠は、五色旗にあります。五色旗は、旧満州国国旗として有名ですが、このルーツは、清朝海軍にあったと言われます。旧満州国国旗では、黄色は満州民族、赤色は日本民族、青は漢民族、白はモンゴル民族、黒は朝鮮民族を表していたといわれますが、清朝時代の五色旗の赤は、チベット民族、黄は、ウィグル民族、青は、モンゴル民族、白は、満州民族、黒は、漢民族を表していたといわれます。つまり、清朝時代は、白は、満州民族そのものをあらわしていたことになるからです。

 素人が戯言を長々と書かせていただきましたが、お許し願います。

柴田晴廣 投稿日:2005/03/10(Thu)

あさみさん

 改めて、自分の投稿を読み直すと、矛盾に気づき、お恥ずかしいしだいです。たとえば、「龍」、「鳳」、「無刻牌(白)」を一つのグループで括っていいのかと疑問を示しながらも、その前に龍鳳牌の「龍」が赤、「鳳」が青(緑)は、風牌の方角と実際の座位が異なるのこととの関係を問題にしている点などです。


あさみ 投稿日:2005/03/11(Fri)

 こんにちわ、柴田さん

 日置流を学んでみえるということなので、弓道のHPかと思いましたが、神道関係のHPなのですね。σ(-_-)も結構こういう事にも興味を持っています。しかしなかなかそこまで手が回りません。それにしても大部なコンテンツで、とても一息には読めませんでした。またあらためて読みついでみたいと思っています。

で麻雀の話ですが、たしかに龍は青、鳳は朱というイメージがあります。そこで龍鳳牌の「龍」が赤、「鳳」が青になっているのは不思議な感じです。しかし“風牌の方角が実際の座位が異なるのは、おそらく自然成立”、“風牌と三元牌の成立時期は異なる”という現時点の定説から考えると、風牌と龍鳳牌の色イメージが異なることと、風牌の方角と実際の座位が異なることとの関連はないと思います。

また「龍(赤),鳳(青),無刻牌(白)、“公侯将相”は、黒=玄武と分類できますから」とありますが、同じ字牌同士といっても、三元牌(龍鳳牌)と公侯将相牌では性格が異なります。そこで両者にまたがって色イメージを考えるのは、無理があるように思えます。

 三元牌は、龍鳳牌であろうと發中であろうと、牌そのものに色があります。しかし公侯将相に色はありません。青朱白黒という色イメージは字牌の4枚1組が東南西北で定着した後、四神との連想で生じたものです。すなわち後付けの色イメージです。

 また五爵位との関連で、「“龍鳳配”は、“龍鳳伯”では」との件、非常に面白い着想と思いました。しかし“龍鳳”を皇帝、皇后になぞらえるなら、そこに五爵位で3位の“伯”を同列に並べるというのも無理があるようです。

 また「当初において、「龍」、「鳳」、「無刻牌(白)」を一つのグループで括っていたか」という件についてですが、たしかに三元牌は3種が同時にセットとして誕生したのではないようです。

 まず無刻牌(白)が登場し、のちに「晩涼」とか「龍鳳」という牌が登場。それが無刻牌(白)とドッキングして三元牌のセットとなったようです。また無刻牌(白)にしても「晩涼」、「龍鳳」にしても、中国紙牌にルーツの牌種があるようです。

 つぎに「“癶の下に弓矢”という異体字が使用されたのは、“清朝そのものに弓を引く”という意味があったのでは」という件ですが、五色旗の話題も併せて“なるほど”と思いました。もとより立証困難なことですが、面白い仮説と思いました。

 麻雀学はここ10年で飛躍的に進歩しました。飛躍のもっとも大きな原因は、麻雀博物館の誕生にあります。それまで麻雀学は、個々の研究者によってそれぞれに行われていました。それが麻雀博物館によって多くの資料が収集され、研究者同士の情報交換も容易となり、飛躍的に進歩したわけです。そこで“昨日の珍説、今日の定説”ということが大いにあり得る状況となっています。
#じっさい、ここ10年で、いろんな事が見直されています。

 というわけで、柴田さんの着想も、明日の常識かもしれません。(^-^)


柴田晴廣 投稿日:2005/03/14(Mon)

あさみさん

 私自身、弟弟子に質問されて、泥縄式なところもあり、あまりよく整理できていませんでした。それにもかかわらず、丁寧なご回答、感謝しております。文書もこなれていなく、表現が不足している点もありました。

 503で書いたように、私もあとで読み直し「青朱白黒」という色イメージは、東南西北で定着した後に四神との連想が生まれたと思います。この点、混乱していました。一方、“公侯将相”を黒=玄武としたのは、あさみさんも仰るように龍鳳牌であろうと發中であろうと、牌そのものに色があります。そして、その色は、青、赤、白かと思います。

 この青、赤というのは、龍あるいは中が赤で、鳳あるいは發が青(緑)で書かれていることを指していると思います。私は、そこから、“公侯将相”が黒で書かれていることから黒=玄武とのイメージを持ちました。

 そして、そこから仮説として、「龍(赤),鳳(青),無刻牌(白)」プラス“公侯将相”の一つのグループというものを考えてみました。つまり、龍―皇帝、鳳―皇后、“公侯将相”の一つ、たとえば、公、プラス伯(無刻牌)というグループがあったのではと想像しました。

 最初に無刻牌(白)が登場し、のちに「晩涼」とか「龍鳳」という牌が登場し、それが無刻牌(白)とドッキングして三元牌のセットとなったとの説は、非常に参考になりました。

 上述のように、私は、「龍(赤),鳳(青),無刻牌(白)」プラス“公侯将相”の一つと想像したわけですが、“公侯将相”プラス無刻牌という過程があったとすれば、公、侯、伯(無刻牌)、子、男という可能性は、ありますでしょうか?

 そして、そこから、子、男が、将、相に変わったと。仮説に仮説を重ねた妄想ですみません。


あさみ 投稿日:2005/03/15(Tue)

こんにちわ、柴田さん

>“公侯将相”プラス無刻牌という過程があったとすれば、

 麻雀牌は、さまざまな中国カード(紙牌)と骨牌が融合して誕生したと考えられています。しかしその取捨選択の過程はけっこう複雑で、なかなか端的には語り尽くせない状況です。とはいえ いまのところ無刻牌を加えた三元牌のセットより前に、「公侯将相+無刻牌」というセットがあったという状況は確認されていないようです。

>公、侯、伯(無刻牌)、子、男という可能性は、ありますでしょうか?

 その可能性は薄いと思われます。
 19世紀後半、、麻雀とは従兄弟(いとこ)くらいの関係の昇官牌という骨牌ゲームが登場しました。その字牌群のなかに、無刻牌とは別に完全な5爵位(公侯伯子男)牌が存在します。「伯」牌とは別に無刻牌が存在するのですから(全部で14枚もあります)、「伯」が変化して無刻牌になったとは考えにくいのです。