歴史22・太平天国


 フリテン:2001/08/30(Thu)

 はじめての書き込みでいきなり質問ですが、よろしくお願いします。

 麻雀の方位の話ですけれど、9月号のプロ麻雀に、ある人が「太平天国説をとった場合、東南西北が東王南王などに由来するとすれば、翼王はどうなった」と書いていました。これはどういう意味なのでしょうか。


 あさみ 2001/08/31(Fri)

 これはたぶん「太平天国軍には、東王〜北王などのほかに翼王もいた。そこで東王〜北王牌があったとすれば、翼王牌があってもおかしくない。そして東南西北が東王・南王などに由来するとすれば、翼王牌はどうなった」という意味と思います。

 たしかに太平天国軍には翼王もいました。しかしこの他にも多くの王がいました(正確な数や名前はいま思い出せない....)。しかし麻雀牌として確認されているのは東王〜北王のほかには天王、地王、人王、和王牌だけです。もちろんσ(-_-)が知らないだけかも知れませんけれど。.

 東南西北以外のこれらの牌は淘汰されて現在に残っていないわけですが、もし当時翼王牌が存在したとしても、同じく淘汰されたということになります


 ぱしり 2001/08/31(Fri)

 太平天国では、後半は王の粗製濫造で3桁の数の王がいたとか。4桁だったかも。


 あさみ 2001/08/31(Fri)

 そうだったかも。記憶モードで書いたので、ちと曖昧。と云っても記録に残っているような人はたぶん2桁ぐらいだろうかと。
#この中では、σ(-_-)は忠王が好き。(^-^)

 それにしても3桁、4桁となるとまさに粗製濫造。どっかのプロ世界と似ているような.... 翼プロ、なんちて。。。。


 江場/heba
   日付:2002/11/20(Wed)

 麻雀博物館からガイド「世界の麻雀」なる冊子を送ってきました。世界のさまざまな麻雀牌がカラー写真で掲載されていて見応えがあります。

 その中に「麻雀誕生のミッシング・リンク」という項があって、陳魚門が考案し、寧波が発祥地であることが最近の研究で明らかになった、とあります。

 浅見さんが『遊戯史研究』に発表された「麻雀概史」には太平天国の乱の中で成立したのではないかという考察がありましたが、先日このサイトに掲載された麻雀外史(後編)には太平天国の文字はありません。ということは、麻雀の成立に太平天国の乱は関わりを持たなかったのでしょうか?

 また、陳魚門が考案したというのは中国の研究者によって最近明らかにされたそうですが、それは誰で、どこに発表されているのでしょう?

 また、麻雀博物館の文章は著者名が書いてありませんが、浅見さんは関わっているのでしょうか?


 あさみ
   日付:2002/11/22(Fri)

 こんにちわ、エバさん。それは博物館の新パンフですね。前のよりも一段とよくできてる。で、σ(^-^)が関わっているかと云うことですが、じぇんじぇん関わっていましぇん。“綺麗だなぁ”と思いながら眺めているだけでーす。#書いたのはFさんとか。

>麻雀の成立に太平天国の乱は関わりを持たなかったのでしょうか?

σ(^-^)は大いに関わりがあったと思っています。なのにupした「麻雀概史(後編)」の出だしに太平天国の乱の中についての言及が無いのは、前編でさんざん言及してあるからです。(笑) もっとも前編は今から5年も前に書いたものです。近年の研究の進捗もあり、改訂しなければならない箇所が多々ありますけどね。

>陳魚門が考案したというのは中国の研究者によって最近明らかにされたそうですが、それは誰で、どこに発表されているのでしょう?

 中国にも多くの研究者がみえるようですが、博物館の新パンフでいう研究者および発表論文とは、たぶん麻雀博物館会報1号掲載の周時薫(寧波市文化局長)の論考、あるいは寧波起源地博物館の会報「麻雀の歴史と文化」掲載の虞浩旭(起源地博物館・副研究員)の論考などを指していると思います。

 そしてたしかに「麻雀の歴史と文化」には、「陳魚門氏が紙牌と骨牌を融合させ、そこに三元牌や風牌を加え、麻雀を考案した」という主旨の記述があります。見ていたわけではないので否定もしませんが(^-^)、無条件に賛成もできません。

 現在、天野大三氏はリーチ麻雀の祖のような存在となっています。天野氏のリーチ麻雀への寄与のことを考えると、それに対して異議ありません。しかし「リーチ麻雀は天野氏が考えた」と言ってしまうと、史実的には問題があるわけで。

 陳魚門と麻雀との関わりも、リーチ麻雀と天野氏との関わりと似ているのだと思います。