歴史 14・手牌の歴史
|
最初(起源)は、手牌って一体いくつでやっていたのでしょうか?
|
麻雀がまだ紙札だった時代、手牌は九枚だったようです。
当時の紙札はトランプを縦に半分にしたほどの大きさでしたが、いかに細長くても十枚以上では持ちにくかったと思われます。
それが竹骨牌になって卓に置くようになり、手に持つ必要がなくなったので一面子増え十二枚に、さらに雀頭が必要になって十三枚に増えたようです。これが大正時代、日本へ伝わり、いまに至っています。
ところがどういうわけか、台湾ではさらに三枚増え、十六枚麻雀となりました。いつ頃からそうなったのか、ハッキリ分かりません。しかし十六枚になった理由は、ルールの単純化が大きな要素と推測されます。
|
将来、手牌が「減る」可能性はあるでしょうか?
|
4人 and 日本麻雀ということに限れば、 「減らない」ほうに百万ゼニーズ!(笑)
|
以前、麻雀は「パーリン」と言う紙札四十枚を使用した遊びと聞いたことがあります。
このパーリンの手牌がいくつか知りませんが、もし九枚だったら、山が四枚と言うことになってしまわないでしょうか。(^^; この手牌九枚とはいつ頃の事でしょうか?
|
中国には多くのカードゲームがありました。巴林(パーリン)もその1種ですね。ただ巴林は「数字の大小を競う」系統
のゲームでした。
これは40枚くらいの札を参加者に同じ枚数を配る。各人、一斉に1枚を出す。一番数の大きい札を出したものが、場の賭け金を全部とる。強い札を出すともちろん勝つが、最初のうちに出してしまうと、後で大負けの可能性がでてくる。こういう形式のゲームの場合、山を残す必要はなかったのです。
この他に中国には馬弔(40枚)、遊胡(30枚)、闘混江(30枚)、才斉矮(60枚)などのカードゲームがありました。十九世紀中葉、こういう中国カードと骨牌ゲームが取捨融合し、麻雀が誕生してきました。そして手牌が九枚であったのは中国カードと骨牌ゲームが取捨融合する前ぐらい、すなわち十九世紀中葉のことだと思われます。
|