歴史 12・風位
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どうして麻雀の東南西北は、実際の方位の東西南北と違うのでしょうか?
で私は推理してみました。
1)昔は時計回りで進行していたけど、いつしか逆回りになった。
2)実は合ってる(ややこしいんだけど...例えば、東を向いた時は右の方向が南になりますよね?外側から見るか、内側から見るか、の違い)
3)単なる間違い
4)昔は、地球が逆回転していた。
さて、どれでしょう?
ちなみに、疑問は下の図のような感じです。
北 北
東 + 西 西 + 東
南 南
麻雀の方位 普通の方位
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これについては明確な理由は判っていません。というより、恐らく明確な理由は永久に判らないと思われます。そこで昔、福地信世という著名な鉱物学者が次のような思いつきを発表しました。
「麻雀はもともと神々のゲームである。人間は空を見上げ、観戦していた。やがて神様が『この面白いゲーム、人間にも教えてやろう』と考えた。やがて麻雀を教わった人間はいつも神様を見上げていた通りの方位順でゲームをした。そして麻雀の風位順は現実と逆回りとなった」
氏は鉱物学者ですから、測量関係にも携わっていました。地学や測量関係の羅針盤には、方位が逆に示してあるそうです。すなわち麻雀の方位と同じ状況になっているわけです。
聞くところによれば、羅針盤の表示を逆にしておくと、目線の方向が北からどちら方向に何度ズレているか分かりやすいからだそうです。これは方位を下から上(空)を見あげた状態になっているわけですが、氏はそこからこのような思いつきを得たそうです。
氏は後に「もちろんデタラメだよ。しかし目先がちょっと変わっていて感心するじゃないか」と述べるなど、たぶんに冗句の積もりだったのですが、他にこれといった説が無かったのと、「もともとは神々のゲーム」という点が愛雀家に受け、現在も通説となっています。しかしこれは本人が述べてるようにあくまで冗句、実際は以下のような理由ではなかったかと思われます。
麻雀の大先祖ともいえる葉子戯は、唐の時代に発祥し、骨牌・游湖・馬弔などの中国カードとなって約二千年間、遊ばれてきました。約百四十年前、これらのゲームが取捨融合し、また風牌が成立し麻雀が誕生しました。この二千年の間、風牌が存在しないのですから、方位を気にする必要はありません。そして恐らく葉子戯は、現在と同様、左回りでゲームされていたと推測されます。
これはもちろんタイムマシンでも発明されないこれは確認困難な事です。しかし敢えて推論すれば、古代中国では左方向に移動するのは左遷、左降といって格下を意味しました。そこで親の移動には左遷を嫌い、右に移動したのではないかと思われます。少なくとも子供が親になるのは出世には違いありません。そこで親の移動が右方向に続くと、結果的には左回りとなります。
そこへ風位が誕生しました。とはいえ別にバクチができればいいのであって、現実の方位と合致しようとしまいと関係ありません。そこで二千年、行われてきた左回りにそのまま東南西北の風位を当てはめた結果、現実と逆回りになってしまった。これが東南西北逆回りとなっているの単純な真相と思われます。
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どうして麻雀では「東南西北」なのでしょう?
4文字なら、「春夏秋冬」でも「酒池肉林」でも「一ニ三四」でもいいと思うのですが。
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風牌は麻雀が成立した頃に登場したもので、もともと麻雀の前身であった紙牌ゲームや骨牌ゲームに風牌は存在しませんでした。
西暦1850年、勃発した太平天国の乱の頃に、中国カードや骨牌ゲームが融合して麻雀が完成したと考えられています。戦争の最中に誕生したのですから、思いっきりのバクチゲームです。
そこで新しい花牌がバンバン考案されました。その花牌の中に東王・南王・西王・北王という牌がありました。清稗類鈔という文献の「又麻雀」という項には、「これは(太平天国軍の)封号である」とあります。
※太平天国軍は首領、洪 秀全の天王を始め、幹部は全員、王号を潜称していたのです。すなわち東王・楊
秀清、南王・馮 雲山、西王・粛 朝貴、北王・韋 昌輝という具合です。
また別途、「東化・南化・西化・北化」という牌も存在しました。「化」は「花」と同音で、「花」の意味ではないかと推測されています。つまり東化・南化は東花・南花ということです。これは現在の花牌となにか関係があるかも知れません。
太平天国の乱は西暦1864年、鎮圧されましたが、麻雀は残りました。やがて多くの誕生した花牌はかなり淘汰されましたが、東南西北の花牌は風牌に変身し、今日の姿になったと推測されています。
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どうして親はいつも「東」なのでしょうか? 風の位置は移動しないで、「ボク北、でも親ね」としていた方がラクに思うのですが。
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たしかに。
そしてじっさいに一部のルールには親は移動しても風位は移動しない定座法というルールもありました。そして一局ごとに親が移動する現在の方式を変座法といいます。
ではなぜ変座法が行われているのかということですが、方位の中でも朝日の昇る東が一番偉いというのは共通認識です。そこで中国でも親の移動とともに、風位も移動するというのが主流で行われいたと思われます。
そして日本へは変座法だけが伝来し、現在に至っているわけです。
定座法ならいちいち「いま私は何の風?」と聞かなくていいから楽なのにね。
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風牌の順番は、どうして東西南北ではなくて、東南西北なのでしょうか。
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親がいつも「東」であるのは、「東」が一番偉かったからです。そしてそれが東西南北ではなく東南西北の順であるのは、風位にも位階があり、それが東南西北の順であったからです。
すなわち東(トン)は太陽の上る方向で第1位。中国の国歌も昔は「東方紅」でした(現在は義勇行進曲だそうです)。東(トン)という発音は「登(トン)」に由来するといいます。
南(ナン)は東の次に暖かいので第2位の方角。「君子は南面す」という言葉もありますね。音は「暖(ナン)」に由来します。
西(シー)は太陽が沈む方角で第3位。音の由来は「垂(シー)」。
北(ペー)はもともと二人の人物が背を向けている姿を表しています。暖かい南に背を向けているのですから一番寒くて暗い方角と言うことになります。おまけに敵に背を向けて逃げますので、「敗北」などとも使われ、散々ですね。
音の由来は、墨暗(ぼくあん)の墨(ほく)とか。
そこで太平天国軍の王様も、教祖であった首領の天王は別として、以下、東王・南王・西王・北王の順に偉かったのです。
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