馬弔も骨牌も唐・宋・明の時代に流行したゲームですが、ゲーム法はもとより得点体系も麻雀とは大きく異なっていました。
馬弔は40、80、108枚ものなど様々な種類があり、枚数が増えるに従ってゲーム法も複雑になっています。しかしもっとも初期の40枚の段階では「4人に8枚づつ配り、残り8枚をめくり札とする。大をもって小を撃つ(清稗類鈔・馬弔の項)」ゲームでした。つまり組み合わせを競うのではなくて、打ち出された手札の数の大小を争うゲームだったわけです。
また竹骨系のゲームである骨牌≒打天九はサイコロの目のコンビネーションを元にした下記のような三二枚の牌(駒札)で構成されていました。
11・11・12・13・13・14・15・15・16・16
22・22・23・24・25・26
33・33・34・35・36
44・44・45・46・46
55・55・56・56
66・66
「清稗類鈔・骨牌之博」には「骨牌は1寸ぐらいの大きさで牛骨・竹・木などで作る。32枚で1セット。(中略)普通は二人・三人・四人で遊ぶ。この場合1人が親となってゲームする。(中略)時には64枚・80枚・105枚でゲームすることもある。この場合、天和・地和・人和を将として得点は倍とする。(中略)一人あたり八牌配り、大をもって小を撃って遊ぶ。上手な人は小をもって大を制す。(中略)すなわち打天九の遊び方は馬弔牌とよく似ている」とあります。
要は紙札ゲームである馬弔も竹骨ゲームである骨牌も、基本は大をもって小を撃つゲームであり、得点体系は麻雀とは大きく異なっていたわけです。やがてこの「大をもって小を撃つ」という馬弔ゲームが、手牌の組み合わせでゲームする同棋等の骨牌ゲームと融合して麻雀が誕生したのです。
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