日本に歌謡界が誕生して以来、今日までで最大の歌手を一人挙げよと問われれば、やはり美空ひばりと返事する。その美空ひばりは数々の名曲を世に送ったが、σ(-_-)は「川の流れのように」が一番好き。
σ(-_-)はこの曲が平成元年のレコード大賞だと信じて疑わなかったが、なんと別の曲が大賞に選ばれた。。。選ばれた別の曲というか歌手に恨みはないけれど(それどころか、実はその歌手のファンだったりして・・・)、それ以来、我が家ではレコード大賞の中継は見なくなった。。。。
てな話はおいといて。
麻雀に流れがあるか無いか、マージャニストにとっては最大の関心事。これまで多くの霊能者、じゃなかった、多くのプレーヤーによって、ツモの流れ/ツキの流れなどが語られている。
いわく。ツモ山の流れを感じ取ってツモ牌を予測する/亜空間を通じて、ツキの流れを操る/天運・地運・人運を看破し、すべての結果を予見するetc。。。。
しかしツモ牌を予測する/ツキの流れを操る/すべての結果を予見するなど、とても常人のなせる技ではない。そこで、そもそも流れなどあるわけ無いぞという主張も存在する。
たしかに常識的には、そのような流れなど存在しないように思われる。にも拘わらずいまも論争の種になっているのは、そのようなものが存在するとしか思えないような現象がよく発生するからだ。かといってその有無について実証されたということはない。そこで侃々諤々の論争となる。
もとよりσ(-_-)にはツモの流れを予測したり、ツキの流れを予見したり、さらにはツキの流れを操ることなどまったく出来ない。しかし自分が出来ないからといって、出来るという論に反論する気もない。
お釈迦様だって色即是空 空即是色(形ある物は即ち実体は無く、実体が無いものは即ち形となる)とおっしゃってみえる。なんだか難しくてよく分からんが、どうやら有ると思う物でも実は無い、無いと思う物でも実は有るということらしい。
そこでσ(-_-)も麻雀の流れもこれと同じじゃないか。すなわち有ると思う人にはある、無いと思う人にはないものじゃないか。きっと有ることを実感できる人には、流れの行き先を予見することも操ることもできるのだろう。もちろん関知し得ない人には、操るどころか予見することもできない。
では「おまえはどう思っているか」というと、前述したようにσ(-_-)はツキの流れなるものを感じとったり操ったりすることはまったくできない。出来ない以上、たとえ存在したとしても、σ(-_-)にとっては存在しないのと同様で。。。。
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