包 01・包の発生経緯


 パオの発生の歴史的経緯について教えて下さい。とりあえずは役満のそれと、リンシャンのそれしか思いつかないのですが、それがいつ頃発生して、そのあとどのようになっていったかが知りたいのです。

 麻雀学の祖と称される榛原茂樹(はいばらしげき)氏の想定寧波ルール(日雀連機関紙「麻雀春秋(S27年1/1)」)には、すでに大三元と四喜和についての包が記載されています。そこで包則は、中国古典麻雀で役満貫が成立したとき、ほぼ同時にできたと思われます。

 中国麻雀では摸和、栄和に関係なく3人払いということは前にお話ししました。しかしAがDに役満を放銃してもABCの3人払いになるのは、BCにとってツライことになります。そこで役満を副露で完成させた人がいた場合は、その役満に対して責任払いというルールが発生したと思われます。

 「リンシャンのそれ」というのは大明槓による嶺上開花の1人払いという意味と思います。槓の項でもお話しましたが、もともとの中国麻雀では、どのような槓の嶺上開花でも、常に3人払いでした。現在でも、日本のほとんどの麻雀団体では、3人払いルールが採用されています。
※一部の麻雀団体では責任払いとしています。

 この大明槓によるよる嶺上開花の1人払いルールが日本で登場したのは、みんな払いたくないので、「槓できる牌を出したお前の責任だ、お前が払え」、というところから誕生したものと思われます。