流局 04・四槓算了
四槓流れは、どうしてできたルールなのでしょうか。
正式名称は四槓算了(スーカンサンラー)といいます(別字・四槓散了)。
中国でこれが流局となった理由は、四槓算了と死棺算了(スーカンサンラー=死んでお棺に入って終り)と発音が同じため、縁起を担いでそうなったと言われています。
古典麻雀では、最後の四槓目は嶺上牌を取得しなくても同一牌を4枚見せた段階で成立しました。つまり嶺上牌を取得する必要はなかったのです。 しかし現在ではたとえ四槓目であっても必ず嶺上牌を取得しなければならず、かつ不要牌を打ち出し、その牌がロンアガリされなかったとき成立とするルールがメジャーになっています。
むかし先輩から、「四槓流れのとき、4つめの槓をした人は嶺上牌をとる必要はない」と聞いたのですが。
これは中国古典麻雀のルールですね。
中国麻雀では4つめの槓だけでなく、海底牌ツモ者も河底牌を切る必要はありませんでした(海底牌でアガリにならなければ、それで終局)。日本でも麻雀伝来の当初はこのルールで行われていました。このルールの場合、四槓子でも4つめの槓をした時点で搶槓(チャンカン)がなければければ、雀頭待ちをアガらなくてもその時点で四槓子成立でした。
しかしやがて「手牌は13枚というのが基準。海底牌をツモっただけの状態、あるいは槓をして嶺上牌を取得しない状態は、この基準に適合していない」という観点から、「海底牌ツモ者は和了しなければ河底牌を、開槓者はたとえ4つ目の槓であろうと搶槓がなければ嶺上牌を取得し、不要牌を打ち出す」というルールが提唱されました。
「なるほど」というのでこのルールは一般に受け入れられ、以後、日本ではこのルールが普及し、今日に至っています。 しかし現在も一部には海底牌と四槓子については日本式ルールを採用し、四槓算了(スーカンサンラー=四槓流れ)の場合のみ中国式ルール(4つめの槓が搶槓されなければ、その時点で四槓流れが成立して流局)を採用している麻雀団体もあります。
そのせいか一般でも四槓流れの場合のみ、ときどき中国式ルールが採用されている場合があるようです。少し変わったルールですが、それでも事前にそういうルールを採用することが合意されていれば問題ありません。しかしめったに発生しない事なので、なかなかここまで事前の打ち合わせがなされる事はありません。そこで万が一 四槓流れが発生した時、このマイナーな中国式ルールを主張する事は適切ではないと思います。
四槓流れは縁起を担いだのが始まりとのことですが、いまの世の中では縁起など関係ありません。そこで、別に5回でも10回でもやっても構わないというルールにしてもいいと思うのですが。
たしかにその通りです。じっさい伝統的な麻雀団体である日本麻雀連盟では、槓の回数に制限はありません。ただ日本麻雀連盟の採用している二十二麻雀にはドラがありません。そこで5回でも6回でも問題が生じません。
しかし一般の立直麻雀にはドラがあります。5回めの槓でドラ指示牌を持ってゆくわけにゆきませんので、リーチドラ麻雀では、ここで困ることになります。しかし現実には1局で4回槓があることもまずありません。そこで立直麻雀では、流れるとか流れないということに関係ナシに、「1局における槓は4回まで」としているようです。
1. 五つ目の槓は出来ない。
2. 五つ目の槓をした時点で流局。のどちらが正しい、或はプロ競技団体で採用されているのでしょうか。
「どちらが正しい」と言えば、一応 1が正しいと言うことになります。
中国古典麻雀では、4つ目の槓をした時点で嶺上牌をツモらずに四槓流れとなるか、四槓子のアガリが成立しました。
4つ目の槓をした時点でどちらかが成立し、ゲーム終了となってしまうのですから、五つ目の槓など存在しません。ところが日本においては、四槓子も4つ目を槓するだけではダメで、単騎待ちをアガらなければいけない事になりました。もちろん四槓流れも嶺上牌をツモってから捨て牌しなければならなくなりました(その牌がアタれば、アガリ成立です)。
それはいいのですが、四槓子をテンパイされた方は気が気ではありません。そこで某麻雀団体が「四槓子テンパイのプレイヤーがいる時に限って五つ目の槓を認めよう。しかしドラ指示牌をツモってしまうのはまずいので、この場合のみ昔の中国流に嶺上牌をツモらずに流れ成立としよう」というルールを作ったわけです。別にどちらでもいいのですが、一般的なのは1方式と思います。
四槓算了が成立するのはいつでしょうか?
私の下家が1つ槓をしていて、対面が2つ槓をしていました。そこにをポンしていた上家が加槓をしたので、搶槓(チャンカン)が無いのを確認して嶺上牌(リンシャンパイ)をツモる前に流局としました。
しかし、「近オリ」1月号の「ぶんぶんレジデンス」では、主人公の矢鴨は嶺上牌をツモり、しかも打牌が通った時点で流局と言い、しかも「これは麻雀の基本ルールですよ」と主張していますが、どうなんでしょうか?
古典麻雀の四槓流れは、最後の四槓目は槓を宣言したあと、搶槓が発生しないことが確認できれば嶺上牌を取得しなくても成立しました。その意味では、質問者の考えも間違ってはいません。
しかし現在ではたとえ四槓目であっても必ず嶺上牌を取得する。嶺上牌を取得したあと不要牌を打ち出し、その牌がロンアガリされなかったとき成立する、つまり「ぶんぶんレジデンス」の矢鴨が云っている方法が、現在メジャーに行われているルールと思います。
私が使っていた名称は「四開槓」なのですが、これは正しくないのでしょうか?
ちょっと珍しい表現が出てきたので驚きました。といっても、別に間違っていません。四開槓は四槓算了の別の表現の一つです。
ただ四開槓は「槓が4回あった」という意味ですから、四槓算了と四槓子の両方が該当します。そして単に「四開槓」と云った場合は、「四槓子」というニュアンスが強いようです。そこで四槓流れを表現する場合には、四槓算了といった方がハッキリするという感じです。
本来の意義からすれば、古典麻雀での四槓成立で流局でいいような気がしますが、どういう経緯で嶺上牌をツモらないといけなくなったのでしょうか?。
古典中国麻雀では四槓算了の場合だけではなく、四槓子の場合でも4回目の槓は四つ目の槓材さえ示せば嶺上牌を取らなくても四槓子成立でした。これは海底牌をツモった場合でも同様で、海底牌でアガらなければ河底牌を打たないで終了だったのです。
しかし昭和5年頃、「海底牌でアガらないからといって河底牌を打たずに終了するのはおかしいのではないか」、「四槓子だからといって嶺上牌を取らずに成立というのはおかしいのではないか。単騎待ちをアガって初めて完成ではないか」という論議が起き、その主張が優勢となって現在に至っています(「13牌基準論」といいます)。四槓算了もその流れで嶺上牌の取得、打牌が必要となったのです。
4つ目の槓で嶺上牌をツモった以上は、打牌をして栄和があれば四槓算了による流局にはならないわけですね。
その通りです。
3人がリーチしていて、3つアンカンが出ているとき、4つ目をアンカンしてリーチしたら、四カン流れとなりますか? 四人リーチ流れとなりますか?
リーチ後の見逃しをチョンボ扱いしている場合、リーチ後の不正なカンがあった場合のなどが考えられるからです。最後のリーチの人は4カンツテンパイではないとします。
四槓算了も四家立直も採用しているルールでということであれば、これは四槓算了による流局と考えるのが順当と思います。
すなわち4人目が四槓目を行えば、その後、4人目が立直しようとしまいが、その人が捨て牌すると同時に流局となるからです(もちろんその捨て牌でアガリがあれば、アガリ成立)。
それ以前に不正な槓があったかどうか、またリーチ後の見逃しをチョンボ扱いしているルールで、4人立直の中にそのような立直があるか否かは、別な問題と思います。
4つ目のカンをして打牌を終えたとき、次のツモ牌がなかったとき、四カン流れになるのでしょうか。それとも通常の荒牌となるのでしょうか。
海底牌一つ前の牌の槓が四つ目ということは珍しいでしょうが、一つ目二つ目ぐらいの事はそれなりに発生しているのでしょう。もちろんどのみちゲームは終了するのですが、要はそれが通常の流局であってノーテン罰が精算されるのか、四槓流れによる途中流局であって精算されないのか、ということですね。
たしかに四槓流れというルールを採用していれば、四槓流れによる流局と言えないことはありません。しかし一般には槓によって海底牌が無くなって終了したケースも、通常の流局としてノーテン罰の精算が行われています。つまり槓が1回目であろうと4回目であろうと、また四槓流れというルールの有無に関係なく、開槓者が打牌してアガリが無ければ流局となるわけです。
もちろん四槓流れというルールを採用していれば、四槓流れによる流局と言えないことはありません。しかし四槓流れというルールの有無に関係なく流局となるものを、敢えて四槓流れによる途中流局とするのは考えすぎのような気がします。
そこで「1〜3回目の槓による終局でノーテン罰の精算が行われるのであれば、それが4回目の槓であってもノーテン罰の精算が行われる」とするのが順当と思います。
こないだある本(知る人ぞしる(^^;))を読んでいて疑問に思ったのですが、四つめの槓(暗槓でしかも四槓子ではない)をしたらその牌で国士をロンされた場合、どちらが有効になるのでしょうか? もちろんこの場合四槓流れも国士暗槓ロンもありのルールであるとします。
私の考えでは、
・四槓流れは槓が成立した時点で流れると思っている。
・槍槓されたら槓は成立しない。
・だからロン優先。
なんじゃないかな〜 とかおもっているのですが、ちょと自信ありません。
私もこの部分を見て「むにゅう」と思いましたよ。(笑)
でも実はその前に、オヒキが主人公の捨て牌を槓したシーンで、「どうしてここで槓?、どうもワカランな」と思いながら読み進んで、四槓流れのところまできて「なる ほど、これが言いたかったのか....」
いや、もちろん国士暗槓ロンOKというのであれば、四槓流れアリのルールであっても、ご質問の通り、アガリが成立するというのが順当と思います。
たぶん四槓流れアリのルールであれば、四家同風も四家立直もアリと思います。しかしアガリより流局が優先ということになるのであれば、四家同風も四家立直も4人目の牌にロンアガリ宣言があっても流局の方が成立してしまうことになってしまいます。
そこで打ち合わせ無しでこのケースが発生したとき、あくまで流局を主張するのはいささか強弁と思います。それでも房州が流局を認めたのは、弟子の必死の抵抗に対する師匠のやさしさかも。(^-^;
四槓や四人リーで流れの場合、積み棒やリーチ棒、親番連荘はどうなるのでしょうか。
「その時点で親がノーテンなら輪荘」とすると、四家立直ならいいですが、四家同風のときは99.99%、親流れとなりますね。(笑)
それこそいろいろあるのでしょうが、「積み棒は増える。リーチ棒はそのまま供託。その時点で親がノーテンでも連荘」というのが一般的なルールと思います。
*昔、私が友人と打っていたときのルールは、「途中流局アリ。親はアガリのみ連荘」でした。つまり四家立直でも四家同風でも親流れとなりました。そこで親が風牌から切りだすと、子はよほどいい手でない限り、可能性を期待して、まずその風牌から切り出しました。
そこで親が第1打牌に風牌を切ることはめったにありませんでした。逆に親が風牌を切ったのに、その風牌を切らない子がいると「よほどいい手なのか?」と皆の視線が集まります。すると本人、言う必要もないのに「いや、無いんだ・・・・」(でも実際はあったりして....)(笑)
スリム 投稿日:2004/11/30(Tue)
あさみ さん、こんにちは。
ずいぶん前になりますが、NiftyServe の FMAJAN の BBS でお世話になったことがある スリム といいます。
麻雀祭都はよくお世話になっています。まさに宝夢頁^^
こちらでの書き込みは初めてですが、タイトルの件について疑問を感じたので質問させて頂きます。
私の手元にある「平成版 麻雀新報知ルール」では四槓算了は採用されてはいないものの、採用する場合は搶槓が無いことが確認できた時点で成立すると書かれています。私個人でプレイするときも(この本の記述とは関係なく)このルールでした。で、これは あさみ さんの記述でいうところの「中国式」なのですが、本当にマイナールールなのか?と疑問に感じた訳です。
四槓子が和了形を必要とするようにルールを変更したのは、「和了であるからには和了形を完成すべきである」という趣旨であって「槓は嶺上牌を引いた後の打牌まで行って初めて成立する」という趣旨ではないと思います。
もし後者の意味ならば四槓子も雀頭は必要ないことになりますよね?
となるとなぜ四槓算了がこのルール変更の影響を受けるのでしょうか?
というわけでメジャー度と合理性(一致しないこともままありますが)についてのご意見をお聞かせいただけたらありがたく思います。
http://www.asamiryo.jp/nagare04.html
あさみ 投稿日:2004/11/30(Tue)
こんにちわ、スリムさん。F麻からようこそ。(^-^)/
>まさに宝夢頁^^
どもども(^-^;
で、質問についてですが、一つは「四槓算了を採用する場合、搶槓が無いことが確認できた時点で成立するルールと、不要牌を1枚切って成立するルールがあるが、どちらがマイナーなのか」
もう一つは、「四槓算了が捨て牌した段階で成立するということであれば、四槓子は単騎マチをアガらなくても、4つめの捨て牌が通った段階で成立することになるのではないか」ということですね。
まず「四槓算了を採用する場合、どちらがマイナー(メジャー)か」という点についてはハッキリ分かりません。しかしσ(-_-)の感覚では、現在の日本麻雀においては、「不要牌を1枚切って、それがロンされなかったとき成立」というルールの方がメジャーと思います。
次に四槓算了と四槓子ですが、「槓は嶺上牌を引いた後の打牌まで行って初めて成立する」のではありません。中国や日本の古典麻雀から書き起こすと冗長になるので現在の日本麻雀の話になりますが、槓そのものはそれが幾つめであろうと嶺上牌を取得した段階で成立です。
嶺上牌を取得する以上、アガリ宣言するのでなければ1枚を打ち出さなければなりません。そして四槓算了アリのルールで、それが場に4回目の槓であった場合、捨て牌がロンされなければ四槓算了成立です。しかし捨て牌がロンされた場合、流れよりアガリ優先で四槓算了不成立となります。
そして四槓子の場合、4つめが暗槓であれば「“槓”と発声し、同一牌4枚を示した段階で成立」であったものが、「単騎マチをアガらなければならない」とルールが変ってきたのは、もちろん「和了であるからには和了形を完成すべきである」という趣旨からです。
参考
http://www.asamiryo.jp/han22.html
スリム 投稿日:2004/12/01(Wed)
あさみ さん、レスありがとうございます。
> 次に四槓算了と四槓子ですが、「槓は嶺上牌を引いた後の打牌まで行って初めて成立する」のではありません。
> 中国や日本の古典麻雀から書き起こすと冗長になるので現在の日本麻雀の話になりますが、槓そのものはそれが幾つめであろうと嶺上牌を取得した段階で成立です。
この点がちょっと意外でした。
四槓子については参照先の記事で納得ですし、私もそうするのが合理的であると思います。が、四槓算了についての記述を見ると、もともと「槓は晒して搶槓が無ければ成立」であったということですし、私はそれを変更する必然性を感じないからです。
槓をしたら嶺上牌を引くのはルールですが、だからといって槓の行為の一部とみなす必要はないですよね?
特に理由は無くて四槓子のルール変更に引っ張られた結果なのでしょうか?
あさみ 投稿日:2004/12/02(Thu)
こんにちわ、スリムさん
>もともと「槓は晒して搶槓が無ければ成立」であったということですし、私はそれを変更する必然性を感じないからです。
流局ルールには、四槓算了のほかに三家和や四風連打、九種九牌などがありますが、いずれもルール的必然性があっての存在しているルールではありません。そういう状況が珍しいというだけで、理屈抜きに流局としているわけです。
中国式の四槓算了にしても同様で、ルール的必然性はありません。4回の槓は珍しいというだけで、嶺上牌の取得を行わなず理屈抜きで流局としているわけです。
しかし日本では、「4回目の槓であっても、槓した以上はちゃんと嶺上牌を取得しようよ。その嶺上牌でアガリでなければ、1枚切って流局としようよ」ということになったと思われます。
>槓をしたら嶺上牌を引くのはルールですが、だからといって槓の行為の一部とみなす必要はないですよね?
嶺上牌を取得しないまま打牌すれば少牌となってしまいます。したがって開槓後、嶺上牌を取得するのは手牌を正常な形に戻すための必要不可欠な行為であって、「みなす」という問題ではないと思います。
>特に理由は無くて四槓子のルール変更に引っ張られた結果なのでしょうか?
「四槓子のルール変更に引っ張られて」というより、同時進行の形で「四槓算了は不要牌を1枚切って終了、四槓子はアガって成立」というルールになってきたと思います。
スリム 投稿日:2004/12/03(Fri)
あさみ さん、レスありがとうございます。
> たまたまそういう状況になったというだけで、理屈抜きに流局としているわけです。
> 中国式の四槓算了にしても同様で、ルール的必然性はありません。
流局とする論理的必然性がない点では全くそのとおりですね。
しかしそれを流局にした理由(この場合「縁起の悪い」ですね)が何であれ存在するわけですから、成立条件を変更するならばそれ相応の理由があるのが当然だと思うわけです。
で、
> たまたまそれが4回目の槓というだけで、嶺上牌の取得を行わなず理屈抜きで流局 としているわけです。
(少なくとも)中国式では嶺上牌の取得が槓の行為の一部ではない、ということではないでしょうか? 槓が成立した時点で流局の条件「四槓」が成立しているのであれば、そこで流局とするのは当然ですね。
つまり
> 嶺上牌を取得しなければ少牌となります。
中国式では嶺上牌からの自摸は(普通に壁牌から自摸るのと同じであって)槓の行為の一部ではなく、槓に続けて行うべき行為であるということではないでしょうか?
打牌から次の自摸までは手牌は13枚ですが、この状態を少牌とは言わないように、槓から嶺上牌の自摸までの手牌が13枚の状態も少牌とは言わないわけです。
このように解釈するのは無理があるでしょうか?
私としてはこちらのほうがずっと合理的であるように見えます。
あさみ 投稿日:2004/12/04(Sat)
こんにちわ、スリムさん
>(少なくとも)中国式では嶺上牌の取得が槓の行為の一部ではない、
>ということではないでしょうか?
何式に関係なく、嶺上牌の取得は槓の必然的部分です。
ただ中国古典麻雀では、四槓算了や四槓子については、その必然的部分をナシにして成立としていたということです。
>中国式では嶺上牌からの自摸は(普通に壁牌から自摸るのと同じ>であって)
>槓の行為の一部ではなく、槓に続けて行うべき行為であるということではないでしょうか?
この辺りは言葉の表現の問題みたいですが、要は(日本の一部ルールを除いて)中国式でも日本式でも嶺上牌からのツモは普通に壁牌から自摸るのと同じ、したがって嶺上開花はすべてツモアガリ。ただアガリ方が珍しいので、海底ツモのように一翻がプラスされるということです。
>槓から嶺上牌の自摸までの手牌が13枚の状態も少牌とは言わないわけです。
先回、「嶺上牌を取得しなければ少牌となります」とコメントしましたが、表現が不正確でした。m(_ _)m 正確には、「嶺上牌を取得しないまま打牌すれば少牌となります」です。
以下、
>それを正常な形に戻すために嶺上牌を取得するわけですから、それは槓の行為に>必要不可欠な部分であって、「みなす」という問題ではないと思います。
と続きます。
スリム 投稿日:2004/12/04(Sat)
あさみ さん、レスありがとうございます。
> 何式に関係なく、嶺上牌の取得は槓の必然的部分です。
> ただ中国古典麻雀では、四槓算了や四槓子については、その必然的部分をナシにして 成立としていたということです。
ここのところ私には調査のできるところではないので、これ以上
はその経緯や根拠を伺うしか私にはできません。
あさみ 投稿日:2004/12/04(Sat)
こんにちわ、スリムさん
>ここのところ私には調査のできるところではないので、
中国古典麻雀についてなど、σ(-_-)にしてもわずかな文献類から伺うのみです。
で、前回のσ(-_-)のコメント
> ただ中国古典麻雀では、四槓算了や四槓子については、その必然的部分をナシにして
> 成立としていたということです。
に、少し補足しますと、中国古典麻雀といってもバクチの世界。全国ルール委員会など、あるわけありません。そこで「四槓めの場合は特別に嶺上牌を取得しないで終了としよう」などという論議の結果、そうなった、などとはもとより考えていません。単に「お、4つめか。ハイ、終わり、終わり」という感覚で、自然にそうなってきたに決まっています。
ツモをしてアガリでなければ1枚打ち出すのですが、中国古典麻雀では、河底牌取得者がアガリでなかった場合、1枚打ち出さなくて終了というルールが通り相場だったようです。
アガリもしないのに手牌14枚で終了するのはゲームのルールとしてはおかしいのですが、バクチとなれば問題にもなりません。しかし日本伝来後、ゲーム的感覚が導入されてくると問題になってきます。金銭が介在するのは同じであっても、中国麻雀と日本麻雀の違いは、そんな部分にあると思います。
スリム 投稿日:2004/12/05(Sun)
あさみ さん、レスありがとうございます。
いっそのこと四槓算了を5つ目の槓で搶槓がないことを確認した時点で成立する(嶺上牌は取得できないので当然そのタイミングになりますね)ようにしていれば、根拠もはっきりするし、成立条件の解釈が問題になる確率がぐっと減るし、四槓子の例外扱いもしなくて済んだんですがねえ…
四槓子を例外扱いした上で5つ目の槓で流局とするルールがあるのに、この方式を提案した人はいなかったのでしょうか? 四槓算了の確率が下がってしまうのが問題なのかな? それとも四槓算了はゲームバランス上、やっぱり4つ目の槓であるべきなのかな? などと疑問は尽きません。
あさみ 投稿日:2004/12/05(Sun)
こんにちわ、スリムさん
>いっそのこと四槓算了を5つ目の槓で搶槓がないことを確認した時点で成立する
なるほど。この考えは初見です。これは四槓子と四槓算了を別形態にしておく必要はないので、いいアイデアと思います。
ただ現在、競技麻雀ではほとんど流局規程は廃されています。となるとこの方式を採用する対象は一般麻雀においてということになりますが、その一般麻雀でも、“三家和は片ハネ、またはトリロン”、“4リーは誰かがアガるまで”など、流局規程の縮小傾向があります。
#σ(-_-)が提唱している純麻雀には「槓」そのものがありません。
四槓算了はその中でもっとも発生頻度の低い流局規程です。縮小傾向にある流局規程の中でも最も発生頻度が低い事に対する合理化案となると、四槓算了の確率が下がるとかゲームバランスということに関係なく、一般麻雀への浸透は難しいかも知れませんね。
南北 投稿日:2006/08/26(Sat)
はじめまして、南北と申します。
麻雀は実戦をおろそかに、ルールの考察にばかりふける現状となっております。
「5つ目の槓」について質問させていただきたいと思います。
「5つ目の槓はできるが、搶槓されなければ流局」というルールのもとで、4つ目と5つ目の槓を連続して行うことはできるのでしょうか?
5つ目の槓についての問題が発生するのは、誰かが四槓子を聴牌している場合だけかと思っていましたが、こんな場合もあることに気づきました。四槓算了は4つ目の槓の後の捨て牌がロンされなければ成立というルールだとします。そこで他家がすでに3つ槓をしているときに、自分が4つ目の槓をし、嶺上牌を自摸ってきた状態で「5つ目の槓」のための槓材があったとしたら――?
「5つ目の槓はできない」ルールであれば、この場合にも5つ目の槓はできないということで議論の余地はないでしょう。では、「5つ目の槓はできるが、搶槓されなければ流局」というルールだったら?
5つ目の槓に関する従来の議論では、「5つ目の槓は、誰かが四槓子を聴牌している場合のみに現れる例外的存在」という暗黙の了解があり、このような形で5つ目の槓が現れることは想定されていないのではないかと思います。果たして「4つ目の槓に連続する5つ目の槓」を、「四槓子聴牌者がいる場合における5つ目の槓」と同様に扱ってよいものなのでしょうか。
ちなみに、この問題に気づいたのはファミコンソフト「4人打ち麻雀」のプレイ中でした。同ソフトでは上記の場合に「5つ目の槓は可能で、搶槓されなければ流局」という処理が行われました。それまでは私も、「5つ目の槓は、四槓子聴牌者がいなければ現れえない」と思っていたので、こういった形でも5つ目の槓が現れうるという事実に驚き、またそれと同時に疑問が生まれたため、こうして質問させていただいた次第です。
あさみ 投稿日:2006/08/27(Sun)
ようこそ、南北さん
>ルールの考察にばかりふける現状となっております。
こうやってルールをあれこれ考察するのも、りっぱな麻雀の楽しみ方の一つと思います(^-^)/
質問の「他家がすでに3つカンをしているときに、自分が4つ目のカンをし、嶺上牌をツモってきた状態で、”5つめのカン”のためのカン材があったとしたら」というケース。まさに超レアケースですね。σ(-_-)もけっこう雀歴は永いですが、四槓算了自体、お目にかかったことがないですから。
そこでもしσ(-_-)がこのファミコンゲームのプログラマーだとしたら、たとえ五槓を認めるとしても、やはりそれは「四槓子テンパイ者がいるときの特例」とするでしょう。
である以上、それ以外の状況では5つめの槓はできない=四槓めの嶺上牌と取得後 不要牌を1枚切り、ロンされなければ四槓算了=流局」という設定になりますね。
にんじゃ 投稿日:2011/10/17(Mon)
アガったときの手牌公開義務って一般的にあるんですかね。
もしあれば、おかしなカンをしたときにはチョンボになります。チョンボより基本的に和了優先なので、流れる前にアガリがあれば問題ないですが、途中流局時の決まりは聞いたことないです。
どんなケースかわすれたのですか、確かどこかのコラムで浅見さんは他家から求められれば手牌を公開するべきとの見解を述べてたような記憶あります。
現状の一般的ルールでに照らして、スーカン流れ時においてリーチ者のカンの正当性を確かめる権利は他家にあるのか、どう裁定されますか?
あさみ 投稿日:2011/10/20(Thu)
ども、にんじゃさん
>アガったときの手牌公開義務って
これは「リーチ後にアンカンしたあと 他家のアガリがあったとき、自分のカンが不正ではなかったことを証明するため、手牌を公開する必要があるのか」という意味ですよね。これはすでに にんじゃさんのコメントにあるように、
>アガリがあれば問題ない
つまりアガっていないプレーヤーは手牌を公開する義務はない、と云うのがメジャーと思います。
>スーカン流れ時においてリーチ者のカンの正当性を確かめる権利は他家にあるのか。
現在、「ノーテン罰あり」というのが一般的なルールと思います。それプラス「スーカン流れアリ」でゲームしていてスーカン流れとなったのであれば、リーチ者は当然 手牌の公開義務があると思います。その時点でリーチ者の不正カンが判明したならば、不正カン者はチョンボというのが順当かと思います。